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kirakira 日記

きらきらした人生にしよう♪

あり方を整える365日

2021年06月16日 23時00分00秒 | 自分軸
自分にはないものを持ってる人がうらやましかったり、でもその人にもそれによる葛藤があったり、そんなのを知れて、最終的には自分の性分だから一生向き合っていくしかないって気付く。

で、一生向き合っていくなら、どうやったら生きやすくなるか、自分が取ってる方法以外にどんな方法があるか知るっていうのが面白いー。

なかなか言語化が難しいけど、私が「あり方を整える365日」フェチなのは、それが醍醐味なんだ!
と気付き。

https://www.facebook.com/arikata365/
これ、毎日質問に答えていくと、自分が分かっていく。
面白い。

(FB投稿を編集)

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さら ドッジボールに行かない話

2021年05月27日 11時45分09秒 | 自分軸
さらがお風呂に入る前に、話してたこと。

最近、中休み(私の時代で言う20分休み)に、クラスでドッジボールをしようということになってるそう。さらの学校は、当番や係とは別に、○○会社という役割があって、外遊び会社が決めたそう。

さらはドッジボールには行きたくない。

ある日、さらと親友のあおりんがドッジに行ってなくて、休み時間後、「何で来なかったん?」と聞かれたそう。さらは、決められたことは断れなさそうなのに意外。

その時は、その前の授業で黒板で描き写してなかった絵をノートに描いたり、終わってからは折り紙をしてたらしい。流れで行かなかったということなら、この子ならあり得る。でも、終わってもすぐ行かずに折り紙をしてたというのは、自分のしたいことをする意思の表れか。

あおりんに、「行かなまた何か言われるで」と椅子を引っ張られたこともあるらしい。でも、さらは椅子を押さえて、「何か言われたら、こう言ったらいい」と動かなかったらしい。そこは意思が強い。

どう言ったかと言うと、「他の人だってイヤって言ってた人いたから、その人は外遊び会社に連れ去られたっていうことになると思う」「20分でも自分の時間があるのに、それをムダにしたくない」

私なら、行きたくなくても、行ってる子が多かったら、集団の力に流されそう。他の行きたくない子だって、最終的に行く方を選んでるんだから、多数決でいうと数の力では負けるし。
ドッジに行きたくなくて、「お腹痛くなって来た」という子もいたそう。

さらは前にも、「お母さん、多数決が正しいとは限らないよ」って言ってた。
そうだ、それを4年生の時によく言った。
多数決に流されるから、戦争とかに発展しても、誰も反対しないんだ。

お友達は、さらの意見は分かるけど、「そうだけど~」とさらの椅子を引っ張ってたけど、さらは椅子をずーっと押さえてたらしい。
さらって、言われたら、相手の言う通りにしちゃうかな、人に何か言ったり(主張とかコミュニケーションとか)する方じゃないから、我慢したりしてないかなと思ってた。けど、イヤなことはイヤというのははっきり言ってる。言うというより、態度で示してる。それを他の人にまで主張して、自分の考えを広めるとかはないけど、自分の意思は静かに体現している。

そう言えば、先日さらの行ってた幼稚園に近所のイベントのチラシを持ってって、話してた時、さらがクラスで発表とかは相変わらずしないんですけどねって話をしたら、養護の先生が「でも、自分の大切なところは言いますよ」と言ってくれた。先生、よく見ててくれてたんだな。

さらに、人に何かをしないと言う時に、「~だからイヤ」って言ったら、相手は更に正当な理由をつけて言い返して来るから、何も言わんとただそうする方がいいでと言うと、「さらちゃん、そうしてる」と言う。

私は、何かする・しないに対して、反対されそうなとき、正当な理由を言わないと、相手が納得しないと思って、主張するんだけど、主張すると相手は自分なりの正当な理由を言って来る。世の中、口が立つ方が勝ちみたいなところがあって、口が立つ人が相手だと言いくるめられてしまう。

(これが、大人と子どもなら、大人の言う事がもっともらしく聞こえて、子が折れる事もある。)

これを言ったら納得してくれると思っても、反対する人は何があっても反対して来るのであって、そうなると戦いになる。それを私は今まで気付かなかった。気付かず、どう言ったら、納得してくれるか考えてた。

最近、Mちゃんという昔同じ講座に参加した同期の子と話してて、そういう時、「議論はしない。疲れるから」と教えてくれた。「したくない事はただしない。否定を頑張るより、自分のできる事をする」と。

そういう戦い方があるのか、と思った。でも、私も元々戦うつもりはないのだ。分かってくれないから、言い合って戦いになる。これを理解してもらうとなる。そうなると、だんだん目的が変わって来る。本来自分がしたい事ができてない。
そういう方法があるんだ。

やりたくないことはやらない。
やりたいことをやる。

彼女曰く、「やらない=他にやりたいことがある」ということ。

私が、自分の人生がしんどいと思った時、心理学を学んだりして40過ぎてようやく気付いたのが、私の人生の課題は「イヤなことを言う」ということ。それをさらは早い段階でクリアしてる。

というか、イヤなことでも言ったらいけないと変なものをくっつけてるのは大人。大人の役目は、イヤなことを言う=ワガママみたいな先入観を植え付けないことだと思う。

さらは主張しないと思ってたけど、肝心なところ・自分の大事な所は守ってる。口で言わなくても、体現してる。意思がしっかりしてる。芯がある。このままでいってほしい。
ファンになりそう。同学年やったら、ついてくわ。



親として、して来たこととして、良かったと思うのは、子どもの意思・思いを否定しないこと。

子どものことで、こんなんでいいのかな(例えば、友達が少ないけど、いいのかな?)とかあっても、言わない。

子どもに、「それって悪い事?」って先入観を植え付けてしまうから。
親は不安を口にしたら楽になるかもしれないけど、子は呪いをかけられることもある。
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SNSの功罪

2018年07月07日 06時44分32秒 | 自分軸
FBするようになって、短期間的な嬉しさを追求するようになった気がする。

人にイイネされてうれしい
人に注目されてうれしい
人にコメントもらってうれしい。


人に話を聞いてもらったり、人と共感するのってうれしい。

FBって現実の生活ではなかなかないけど、自分の話を多くの人が聞いてくれる。
それは同時に多くの人を集めるのではなく、各々が自分の好きな時間にそれをできるから可能になる。

現実の生活では、多くの人が自分の話を同時に聞いてくれるって、講演者や人気者で話で人を惹き付けたり、注目させるのが上手でないとありえない。

それをお手軽にできるから、FBなどのSNSがこれだけ盛り上がったのだろう。
それでもやはり、現実世界で人との付き合いが多い人でないと、多くのイイネは付かない。


それなのに、ここでイイネもらえる事が、いつの間にかそれを追求するようになって来た。
それって、自分より人からの目を上に置いてる。

上というより、HAPPYさんの言葉を借りると、自分の中の操縦席に多くの人の目が座ってる状態。


それに、これは短期間的なハッピーに焦点が当たりがちだ。
人によっては、SNSで注目されるために何か行動をする。
インスタグラムだと、「インスタ映え」という言葉が流行るぐらい。
インスタ映えを狙うために、どこかに出かけるという逆転現象が起こってる。


○○に行きたい → 行った喜びをシェアしたい

でなく

皆に注目されたい → インスタ映えのする所に行く

という逆転現象。



それはそれでいいんだけど、そればっかりになると、長期間的でないと得られないハッピー、例えば自己実現などは置いてけぼりにされてしまう。

最近、いやここ数年の私はそんな感じだったように思える。


でも、それも分かる気がする。

小さな赤ちゃんや乳幼児がいると、日々のお世話でいっぱいいっぱいで一日が過ぎる。

一日の中には隙間時間しかなくて、社会とのつながりを感じようと思ったら、FBとかが手軽で手を出しやすい。
1人だったら身軽だけど、赤ちゃん連れだと電車の乗り継ぎなんて小旅行みたいなもの。
半径2kmだと参加できるイベントとかには参加するけど、それは枠の中でできる事をする喜びであって、自分がこれをしたいって事にぽっぽぽっぽ飛び付ける訳ではない。
そして、それは子どものために我慢してた訳ではなく、自分が子どもといたかった。
何より自分が子どもといたかった。
子どもとの時間を割いてまで、他の人に会いに行きたい程の人なんてそうそういなかった。

あったとしたら、心屋とかの自己啓発、つまり自分のためのものくらい。


でも、いつまでもこの方法だと、自分が本当にしたかった事、長期間的に計画しないとできない事、ができない。

子どもはだいぶお世話は必要になくなって来た。

自分でできる事が増えて来たし。
遊ぶのも、親に構ってもらうよりも、姉妹やお友達で遊ぶのを楽しむようになって来た。

これからは、ゆっくりじゃないとできなかった事をやって行こう。


ま、これまでも早寝早起きさせてたら、19時からは自分の時間、とかできてたんだと思うけど。
そこは、これからも課題ではある。


もっと人の目を意識せず、自分を自分の中心に置いて、本当に自分のしたかった事をしよう。

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もし誰とも比べなかったら、何をする?

2018年05月27日 22時59分13秒 | 自分軸
世の中、情報に振り回されるもので。
私だけ?いや、多くの人が無意識にやっちゃってる事だと思う。

たとえば、私、子どもと一緒にいたいから仕事を辞めた。
子どもといる時間は何千万もの価値があると思って仕事を辞めた。

でも、世の中では、仕事をする人がえらいという風潮。
子育て落ち着いたら仕事するもんだ、もしくは時間無駄にせず仕事でもしたらという風潮。
そんな中にあっては、仕事をしていない自分にすごく焦りを感じて来た。

そして今世の中は起業ブーム。
ちょっとした手作りの物を売るとかから、カウンセリングやコンサル的なものから、本格的なビジネスまで。
なんか、起業してるのがえらいかのような風潮。
「キラキラ女子です。起業女子です。月商7桁。確定申告行きました。」なんか、そんなの言ってる人がえらいかのような風潮。
しゃらくせー。

なんか違う。
なんか上っ面。
なんか皆言ってる事同じ。
うまく言えないけど、なんか違う気がして来た。

でも、資本主義の世の中って、なんかお金稼いでる人がえらいような風潮があって、そんな中で稼いでない人は肩身の狭い思いをする。

私も、元々仕事はかなりしてた方だから、やっぱ自由なお金と時間を持つためには起業かなと思ってはいたんだけど、何か起業して、勝手に勝ち組だと思ってる系の人見たら、私だってと思ってしまうわな。

私が仕事のストレスで楽になったきっかけの心屋も、起業で上り詰めた人。
そうなると、そこへの憧れもある。
心屋が好きっていうのもあるけど。

そしたら、空いた時間は、ブログ書かな、今は起業できないけど、イイネ一杯つかな、と思ってた。
焦りがあった。

子どもがいない間で当番ない日は、仕事のきっかけになる事をしないとと思ってた。
だから、自分だけ回数多く当番入れらたら、全然入ろうとしない人がいたら、苛立ってた。
焦りがあったから、苛立ってた。

子ども園もダブルスクールで通わせようかと考えてた。
それも、空いた時間に仕事の準備をするためだ。

でも、10月の締め切りで一旦辞めた時点で、生活団1本で行こうと取りあえずは思ってる。

でもさ、なんかずっと焦って、空いた時間にiPad見ては、FBにイイネやコメントついてないか、アメブロにイイネや読者登録ないか見てるのに、他の人の方がイイネ多いの見てたら、疲れて来た。
結局焦っても、イイネ多い人は多いし、少ない人は少ない。
多かったところで、それが収入につながる訳でもないと、指摘するブロガーもいる。

なんか考えたら、たいして反応ないSNSに期待して、子どもとの時間を反故(ほご)にしてるのがもったいない。

そう思うと、こんな自問が出て来た。


「もし誰とも比べなかったら、何をする?」


人がしてる事を見て、
世の中の普通とか、常識とかを見る事によって、
焦りをもとに考えたり、行動しようとするんじゃなかったら、何をする?

ここを考えて行こう。


そう思えたのも、今通ってるリベルタ学舎の「なりわいづくり講座」の講師の河合義徳さんが、FBで娘さんの誕生日に関する投稿の一節でこう書いていた。
「つまり、人間の尊厳、人間形成の育みなど、微塵もないところに、同じ土俵に乗ること自体が、我々の負けを意味し、闘って「勝ち」を得るより、戦わずに人としての「価値」を得る選択をして、一歩引く決断をした」
娘さんは大学でミニバスケをしてるそうで、そこでも絡みに関して詳しくは書かずに、過去を振り返ってこう書いていたのだけど、そう、私が上記みたいなのを最初は気にしたけど、何か違うと思った原因はこういう事もあるのかもしれない。

上っ面の売上額だけを書いて、それが評価されるべき人間だと思ってる輩。
そこを目指していいのかと。

同じ土俵に乗っていいのかと。

で、この質問が出て来た。

「もし誰とも比べなかったら、何をする?」
 


「もし1億円あったら、何をする?」
心屋ではよく聞く質問。

十分なお金があっても、今してる事と同じ事をする?
と自分に問い直す質問。

それもいいけど、現実味ないから、誰の評価もなかったら、私の場合、そこを考えて行ったらいいのではと思う。

(最後の方は5/27アメブロに投稿した文;それにその考えに至った経緯を追記)

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普通ってナニ!?にも3種類ある

2018年05月25日 23時45分47秒 | 自分軸
【普通ってナニ!?】

「普通ってナニ?」って言う人はいるけど、それにもタイプがあるんだと気付かされた今日。

私目線でいう、枠外の人に。
いい意味で言ってます。
枠外っていうのは、世間一般の考えから外れた考えを持ってるって事で、私がこの範囲と思ってるのより外で考えてるから、面白いなーと思う方。そういう人って一緒にいて、新鮮だし楽だよな。

「普通ってナニ?」という人の中には、「普通がキライ」という人と、「普通はどうでもいい」って思ってる人がいるそうです。

「普通ってナニ?」と思う人にも種類があると知って、クリアになった。

それでいうと、私は「普通って何?と普通を目指すけど、普通が分からないし、普通になりきれない人」かもしれない。

それなら最初っから諦めて、普通のラインがどこか探らんといたらいいのかも。

歳と共に、そこにエネルギー使うパワーもなくなって来るし、「普通はどうでもいい」にシフトチェンジしていこうかな。

(5/25FB投稿より)

リベルタ学舎の全6回の「なりわいづくり講座」に通ってる。
そこで、ママハタで知り合った仁保さんも一緒。
終わってから仁保さんと喋ってて、普通にも種類があると知った。
私が加えたのを入れて、全3種という所か。

なりわいづくり講座の講師の河合義徳(よしのり)さんにも、講座で「閉じるな。開け」「ブレーキ踏まないで、周りが止めるくらいアクセル踏んで」と言われてる。
それが今までの私にはなかったな。
私というか、今の時代、世の中全体がそうなってる。

どこかでどれが普通かを探って、そのライン内に収まろうとする。

でも、本当は自分をもっと表現したいはず。

自分を表現して、ありのままで受け入れられたら、気分が爽快なはず。

でも、自分を出して否定されたり、嫌われたかと思う事があったから、人は閉じる。

でも、もっと空気を読まずに、もっと普通のラインがどこか探らずに、勝とうとするでもなく、ナチュラルに自分を表現していけたら、世の中もっと住みやすい。自分が自分の人生を生きてると感じられると思う。

「普通はどうでもいい」にシフトして行こうとは書いたけど、本当は「普通はどうでもいい」と突き放す事さえ、普通を気にしてる感があって、目指すは「普通は気にしない」「自分を出す」

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