こころの宝物

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あなたのこころにも宝物が増えますように…

ifはない

2009-08-18 22:22:22 | つれづれ
みけちゃんに聞いた話なんですが
すこし前…終戦記念日の番組かな…で
「もしもあの戦争に勝っていたら…」というお話があって
どなたかがその答えに

「ifはない」

とおっしゃっていたそうです。

妙にこころに残る言葉でした。

たしかに、過ぎたことに向かって
「もしも・・・だったら」なんてことは
考えても意味のないことですよね。



今朝、仕事で大阪に向かう電車の中
仲良しのママ友達Aさんから、メールがありました。

「ごめんなさい、すぐに電話ください」

私が仕事をしていることを承知しているし
彼女もバリバリと仕事をしていて
よほどのことがないかぎり、そんなメールを送る人ではありません。

大阪まではまだ40分以上かかります。
席を立って車両の端に行き、電話をかけました。



今朝早くに、たつきが保育園のときからのママ友達
Hさんのご主人が亡くなられた、という知らせでした。



うそでしょう?


病気だったらしいけど、詳しいことは分からない。
Aさんもさっき知ったばかりで
私に最初に連絡してくれたとのこと。


様子が分からないまま
合間にママ友達同士でメールをやりとりするうちに
ほんとに誰も何も知らないことが分かりました。
そりゃあ、そうです。
子どもたちの習い事や、PTAの活動、それ以外にもお茶したりして
それこそ週に何度も会う私ですら、何も知らないんだから。

ただ、夏休みに入る直前に
「ちょっと出かけにくくなったんだよね」と
メールをもらったので、すこし気になってはいました。


こんな時期ですから、ご遺体は信じられないスピードで
損傷していってしまいます。
だから、お通夜は当然今日。

用事を急いで切り上げて
とるものとりあえず、お通夜に伺いました。



ガンだったそうです。
見つかったのは、一ヶ月ほど前。
もう手の施しようがなく
最後は自宅で療養されていたそうです。


まだ3年生と1年生の子どもたち二人。


家族四人にとって
どれほど辛い夏休みだったことでしょう。





信じられないくらいにやつれた彼女が私を見つけて
倒れこむように駆け寄ってきました。

私に連絡しようかどうか
何度も何度も迷って携帯を見つめていたそうです。


手を握り合ったとたん、彼女も私も、我慢していた涙が
堰を切ったようにあふれました。


きしおくんが亡くなってから何年も
たくさんの人の優しさに触れながらも
羨ましさと、
分かってほしい、
でもどうせ分かってもらえないという卑屈な気持ちで

「あんたに何が分かるんだ」

何度、心の中で叫んだことか。

「もしもきしおくんがいてくれたら…」

何度、想いをめぐらせたことか。


でも、今は心の底から思います。

あんなに卑屈だった私を
変わることなく、遠くから近くから
それぞれの方法で愛情をもって、見守り続けてくれた
たくさんの存在のおかげさまで
私はこうして生きています。
ほんとうに感謝しています。

そして。

できることなら誰一人、こんな想いはわからなくていい。



だけど。

ifはありません。


ご主人は戻ってこない。

彼女がこれから何度「もしも…」という想いで
涙を流すことになるかと思うと
胸が苦しくなります。


今は気が張り詰めているから立てているだけ。
何を話しても耳に入らないだろうから
とにかく眠れなくても横になるようにと
それだけ伝えて帰ってきました。



それでもifはないのです。

現実は淡々と進んでいきます。


こんな日でも
私はこうして遅れた分の仕事をしなくちゃいけない。


待ってはくれません。


優しい笑顔のご主人の、ご冥福を祈りながら
時間がかかったとしても
いつか必ず、彼女が心からにっこり笑える日がくることを信じて
変わることなく
仲良くしていこうと想います。




お読みくださって、ありがとうございました

山内 尚子 拝




追伸
そのようなわけで、お通夜やお葬式に出かけることになり
週末には上京の予定もあるため、
急ぎのお仕事以外のメールのお返事が滞っています。
お許しくださいね。


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