今朝、ある雑誌で辰巳芳子さんのショートエッセイを読みました。
それもしっかり読んだのは、最後の数行だけ。
編集に追われて、毎日文章と対峙しているものだから
違った文章に接することがほとんどできなくなっていたんだけれど
ほんとうに偶然、美しい木蓮のつぼみの写真に引き寄せられて
辰巳さんは「いのちのスープ」で知られるすばらしい料理研究家で
そこにはお煮しめの「段取り」というようなことが書かれていたと思います。
その最後の数行。
読んだそのフレーズが、心に染み込むようで、ちょっと涙ぐんでしまいました。
辰巳さんのお母様もお料理の世界で有名な方なのだそうですが
お母さまのつくられるお煮しめは、普段使いのお野菜が
しみじみと美わい深く、品格さえも感じられる面持ちになるとのこと。
ところがある時、40年間作り続けてこられた
そのすばらしいお煮しめの作り方を変えると、お母さまがおっしゃった。
人は、すばらしいものに到達しながら、それでもどこかで絶えず自己採点をしている。
そういう冷静な、もうひとつの目、もうひとりの自分というものが存在する。
それが人というものだし、成長を促し、実際に成長していくのだろう。
そんなことが書かれた後に、こんなふうに結ばれていたのです。
自分をせめないで、自分自身を待ってほしい。
よい段取りに気づくように。
お母さまの40年という時間を想っての言葉でしょう。
私というのは、実にぐうたらな人間で
花一輪見れば、そのまま何時間でもその花と語らっていたいような人なのです。
見つめれば、そんな自分が好きだったりする。
でもそれじゃあダメでしょ!という、自分もいる。
たくさんの原稿に囲まれていて
会社の決算期でもあり、マーチングの役員引継ぎの時期でもあり
その他にも、しなきゃならないことがたくさんたくさん
ひたすらに自分をせきたてる、結果を求める、もうひとりの自分。
昔むかし、結婚前に身体を壊して仕事を辞めた
ふと、あのときの気持ちを思い出しました。
自分のふがいなさが悲しくて仕方なかった。
待てなかった、私の中にいる、もうひとりの自分。
そういえば、辞める決断ができないでいたとき
「自分を責めなくていいよ。辞めてもいいんだよ」と言ってくれたのは、
亡き夫、きしおくんでした。
心の中で時間が行ったりきたりします。
そうして、ほんのさっきから、心にふわりと降りてきているメッセージ。
時間の流れは速くなっているのではなくて
自分で決められるようになってきているんだよ
もう、時間の束縛から解放されるときだよ。
過去も未来も、すべてが今と重なっていて、
それでこそ、私というかたちになっている。
明後日2月22日、きしおくんの命日。
亡くなって、もう9年になります。
さあ、今。
私はどんなふうにいのちを重ねるのか
過去も未来も見つめる確かなもうひとりの自分と
たしかな日常を、大切に重ねながら
いのちが輝くような、段取り……きっといのちの真理とでもいうものに
気づくことが、きっとできると思っています。
きっと、あなたからのメッセージなんだね。
きしおくん
あのときも今も、ほんとうにありがとう。