こんにちは。
阪神淡路大震災から19年目の朝
あの日あの場所にいた一人として
静かに祈りをもって過ごしました。
昨年から311の真実の物語『命のづきに大事なこと』を
朗読させていただいているのですが
私自身があのとき神戸を歩いた経験を書いたエッセイが
2010年の拙著『こころの宝物』に掲載されています。
自分の原稿って恥ずかしいから
書き上げたらほとんど見ないんだけど
一昨日にFBに書いていた断捨離、PCの整理をしていたら、
その原稿が出てきて、それが今日の今日なんだもの。
だから載せておきます。
忘れることは、悪いことじゃない。
だけど、忘れちゃいけないことがある。
私たちの幸せには、気づくもの気づかないもの含め
支えてくれるたくさんのいのちがあるということ。
心からの感謝を、そして祈りをもって
今日も、そしてこれからも
いただいたいのちを大切に生ききりたいと思います。
◇幸せを支えるもの
五千人以上の犠牲者を出した阪神大震災から、はや15年以上の時が流れ
震災後すぐに生まれた甥も、この春高校生になりました。
私の自宅は、同じ兵庫県でもほとんど被害のない地域だったのですが
ちょうどその時、私は偶然友人と一緒に神戸の真ん中にいあわせたのです。
あまりにも大きな揺れに、最初は何が起こっているのか分かりませんでした。
幸い、友人も私も無事でしたが
ほんのさっきまで平和の中にあった静かな家並みが
目の前で、大音響とともにものすごい勢いで倒れ、壊れていきました。
今も私の目に焼きついて離れない
もうもうとあがる砂煙と、その上にある真っ黒な空
雑多なものが焼け焦げた匂いと、どこまでも続く瓦礫の山
人が作ったもののはかなさを、見せつけられているようでした。
目をそらしたくても、そらす場所すらなかった。
いったいこれからどうなるんだろう
余震のたびに感じる恐怖
夜になると襲ってくる、どこかに落ちていくような、途方もない不安
どこからか助けてと叫ぶ声がしても、行くこともできず
もし行くことができたところで
何ひとつできることのないだろう、みじめな自分……。
あのとき、私たちは、悲しいくらいに無力でした。
避難場所になっていた小学校には、とてもたくさんの人々が集まっていて
何をするにも長い長い列ができました。
あるとき、そんな何かの列に、疲れきってぼんやりと並んでいた私の耳に
力強い声が響きました。
「後ろに子供がおるから、入れたって」
「おばあちゃん大丈夫か?誰か椅子のかわりになるもんないか」
「お医者さんもうすぐ来るからな。がんばろうな」
それは、ほとんどがレスキュー隊でも警察でもない、ごく普通の人たちの声でした。
おそらくみんな、家も仕事も失っている。
大切な人を失った人だって、たくさんいたと思う。
そんな苦境の中で、家族でもなんでもない
たぶん知り合いですらない人たちが、声を掛け合い
驚いたことに、ほとんどの人がちゃんとそれに従っていました。
時々、怒鳴っている人もいたけれど、たしなめる人もいた。
気がつくと、張り詰めすぎて忘れかけていた涙が、ぽろぽろと流れていました。
大丈夫。私は一人ぼっちじゃない。
それは私にかけられた声だったわけではありません。
けれど私は、いえ私だけではなくあの場にいたたくさんの人々が
間違いなくあの声に助けられていました。
震源もはっきりせず、食料やお布団がどうなるかも分からないような状態で
夜は灯り一つなく、何も誰も見えなくなっても
あの声があったから、私は小さな安堵の心をもって、恐怖に自分を見失わず
人として存在することができたんだと思います。
もちろん、そんなことを感じる間もなく、亡くなった方も多い。
逆に深く人に傷つけられた方もいると思う。
今だって地震にかぎったことではなく
時間だけで癒せるものではないような
孤独や傷を抱えている人もたくさんいらっしゃることでしょう。
けれど、そんな不公平な状況の中で
運にも恵まれ、今、こうしていのちを長らえてみて
何がいちばん大切なのかと問われたとき
私はあの優しくも力強い声だと伝えたい。
寸断された道路で、お互いが滑らないようにと支えあった
見知らぬ人の手のぬくもりだと伝えたい。
今となっては名前も顔も分からない
恩人である声の主に、直接感謝を伝えることはかなわないけれど
今度は私が、真摯な生き様で、言葉で、伝えていきたいと思っています。
大丈夫。あなたは一人ぼっちじゃない。
どんな状況にあっても
そんなものがいのちを、幸せを支えているんだと、私は心から信じています。
『こころの宝物 幸せなあなたに出逢う旅』より
阪神淡路大震災から19年目の朝
あの日あの場所にいた一人として
静かに祈りをもって過ごしました。
昨年から311の真実の物語『命のづきに大事なこと』を
朗読させていただいているのですが
私自身があのとき神戸を歩いた経験を書いたエッセイが
2010年の拙著『こころの宝物』に掲載されています。
自分の原稿って恥ずかしいから
書き上げたらほとんど見ないんだけど
一昨日にFBに書いていた断捨離、PCの整理をしていたら、
その原稿が出てきて、それが今日の今日なんだもの。
だから載せておきます。
忘れることは、悪いことじゃない。
だけど、忘れちゃいけないことがある。
私たちの幸せには、気づくもの気づかないもの含め
支えてくれるたくさんのいのちがあるということ。
心からの感謝を、そして祈りをもって
今日も、そしてこれからも
いただいたいのちを大切に生ききりたいと思います。
◇幸せを支えるもの
五千人以上の犠牲者を出した阪神大震災から、はや15年以上の時が流れ
震災後すぐに生まれた甥も、この春高校生になりました。
私の自宅は、同じ兵庫県でもほとんど被害のない地域だったのですが
ちょうどその時、私は偶然友人と一緒に神戸の真ん中にいあわせたのです。
あまりにも大きな揺れに、最初は何が起こっているのか分かりませんでした。
幸い、友人も私も無事でしたが
ほんのさっきまで平和の中にあった静かな家並みが
目の前で、大音響とともにものすごい勢いで倒れ、壊れていきました。
今も私の目に焼きついて離れない
もうもうとあがる砂煙と、その上にある真っ黒な空
雑多なものが焼け焦げた匂いと、どこまでも続く瓦礫の山
人が作ったもののはかなさを、見せつけられているようでした。
目をそらしたくても、そらす場所すらなかった。
いったいこれからどうなるんだろう
余震のたびに感じる恐怖
夜になると襲ってくる、どこかに落ちていくような、途方もない不安
どこからか助けてと叫ぶ声がしても、行くこともできず
もし行くことができたところで
何ひとつできることのないだろう、みじめな自分……。
あのとき、私たちは、悲しいくらいに無力でした。
避難場所になっていた小学校には、とてもたくさんの人々が集まっていて
何をするにも長い長い列ができました。
あるとき、そんな何かの列に、疲れきってぼんやりと並んでいた私の耳に
力強い声が響きました。
「後ろに子供がおるから、入れたって」
「おばあちゃん大丈夫か?誰か椅子のかわりになるもんないか」
「お医者さんもうすぐ来るからな。がんばろうな」
それは、ほとんどがレスキュー隊でも警察でもない、ごく普通の人たちの声でした。
おそらくみんな、家も仕事も失っている。
大切な人を失った人だって、たくさんいたと思う。
そんな苦境の中で、家族でもなんでもない
たぶん知り合いですらない人たちが、声を掛け合い
驚いたことに、ほとんどの人がちゃんとそれに従っていました。
時々、怒鳴っている人もいたけれど、たしなめる人もいた。
気がつくと、張り詰めすぎて忘れかけていた涙が、ぽろぽろと流れていました。
大丈夫。私は一人ぼっちじゃない。
それは私にかけられた声だったわけではありません。
けれど私は、いえ私だけではなくあの場にいたたくさんの人々が
間違いなくあの声に助けられていました。
震源もはっきりせず、食料やお布団がどうなるかも分からないような状態で
夜は灯り一つなく、何も誰も見えなくなっても
あの声があったから、私は小さな安堵の心をもって、恐怖に自分を見失わず
人として存在することができたんだと思います。
もちろん、そんなことを感じる間もなく、亡くなった方も多い。
逆に深く人に傷つけられた方もいると思う。
今だって地震にかぎったことではなく
時間だけで癒せるものではないような
孤独や傷を抱えている人もたくさんいらっしゃることでしょう。
けれど、そんな不公平な状況の中で
運にも恵まれ、今、こうしていのちを長らえてみて
何がいちばん大切なのかと問われたとき
私はあの優しくも力強い声だと伝えたい。
寸断された道路で、お互いが滑らないようにと支えあった
見知らぬ人の手のぬくもりだと伝えたい。
今となっては名前も顔も分からない
恩人である声の主に、直接感謝を伝えることはかなわないけれど
今度は私が、真摯な生き様で、言葉で、伝えていきたいと思っています。
大丈夫。あなたは一人ぼっちじゃない。
どんな状況にあっても
そんなものがいのちを、幸せを支えているんだと、私は心から信じています。
『こころの宝物 幸せなあなたに出逢う旅』より
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