こころの宝物

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あなたのこころにも宝物が増えますように…

家族なんだな

2009-09-08 22:22:22 | なおとたつき
先日から、ご主人が急逝されたママ友だちのお話を
何回か日記に書いているのですが。

仲良しなのは母たちだけじゃなく
二人のお子さんのうち、お姉ちゃんのRちゃんはたつきと同級生で
保育園のときからのお友だちです。

小学校だけじゃなく、
ヤマハも公文もスイミングも一緒にやってきたので
クラスが変わっても毎日のように会う仲良しさんなんですね。

だから、新学期が始まって
Rちゃんに会う前に
たつきにも伝えないわけにはいきません。


「あのな、Rちゃんのお父さん、ご病気で急に亡くなられたんやって」


お通夜から帰ってすぐに、ストレートに伝えました。


それを聴いた、たつきの最初の言葉。


「そしたらRちゃんのお母さん、
 お金なくなるから、お母さんみたいに働かなあかんのやろ?
 今までRちゃんのお母さん働いてなかったから、
 ほんまに大変やろうな。辛いやろうな。」


一瞬、言葉が出てきませんでした。


お金の話なんか子どもらしくないと思われるかもしれませんが
私には、そうは思えませんでした。

これは下世話な話なんかじゃありません。


お父さんが死んでしまったこと。

もう一緒に遊べないこと。

それが悲しいね、可哀想だねということも、たしかにあります。

たつきもよくそんなふうに言われるそうです。


だけど実際、
純粋に悲しんでいられるのは、まあ長くて四十九日まで。


みんな慰めてくれます。
いろいろと気配りをしてくれる人も多い。


でもそれだって、いつまでも続くものじゃない。


そこから先は、実際の生活をしないといけないのだから。

社会的信用がないということの恐ろしさ
何もかも一人で決める心もとなさ
仕事と家事と子育てのバランス
覚悟も準備もないままに
いきなり求められるには、どれも大きすぎる課題です。


心身が悲鳴をあげそうになっても
それ自体が許されない。


ただでさえ不安な中で
そんなふうに消耗していく母親を
子どもは、どんな気持ちで見つめるのでしょう。


傍にいられる時間は減り
一緒にいても甘えることもできず。

どんなに工面しても
他のお母さんが来ている行事に行けないことも
何度もありました。
これからもあるでしょう。


子どもにはそんな事情は分からないっていうのに…。


そう思っていました。


でも、それは違ってた。


私がいろんな人に助けていただきながらも
へなちょこならへなちょこなりに
なんとか家計を支えているということ。


それが時には「大変で」「辛い」ことなんだということを
たつきはたつきなりに、感じてきてくれたんだなあと。


そしてきっと、たつきだって
いっぱい悲しくて辛かったその理由を
彼なりに考え、腑に落として、生きているんだなあと。


家族なんだな。

一緒に生きてるんだな。


いろんな想いがないまぜになって
悲しいような嬉しいような

なんとか涙をこらえながら


「そうやなあ。大変やと思うよ。
 でも、大変やけどお母さんとたつきも楽しいんやから
 きっと大丈夫やと思うよ。
 お母さんもたつきもRちゃん家族と仲良しやから
 もしできることがあったらお手伝いしながら
 今までどおり仲良くしていこうな。」


たつきは、にっこり頷きました。



新学期が始まってから、Rちゃんは弟のSくんと
元気に小学校に通っていると、たつきが教えてくれました。


たつきと一緒に
もしできることがあったらお手伝いしながら
今までどおり仲良くしていこうと思っています。





そうそう、先週たつきは、少林寺拳法の昇給試験を受けました。
いつもは送り迎えだけなんですが
ちょっと遠い別会場だったので、久しぶりに様子を見学しました。


ど真ん中です、なかなか柔らかくなってるじゃないか~。


だ~いぶサマになってきたような、きていないような…




ペアになって技をかけあいます。
ちゃんとできてるかどうかは、不明……とほほ。

合格してるといいねえ。




お読みくださって、ありがとうございました

山内 尚子 拝