僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

余裕

2010-11-02 | Weblog
エスキモーの老人は食料が尽きた時、その場に座りこみ、他の人は老人を置いて旅を続けるという。
尊敬する谷川俊太郎さんはこれに、「余裕のある話だ」というコメントを寄せていた。
僭越ながら私も全く同感である。

武士は自らの約束を守れなかっただけでも恥と心得て自害した。自害しなければ誰かが手を下した。
時代の違いこそあれ、私はこれも同様の話だと思っている。

命とは生きる意味を知っていることだ。
子孫を守る大切さ、老人の尊厳、そして生きる厳しさ・素晴らしさを知ることこそが命なのだ。
件の話は、その命を絶つことがどれほどのことであるか、それを大上段に構えず、淡々と教えてくれる
からこそ、私たちはその行動に究極の余裕を感じ取ることができる。

今の日本には、故意で人を何人も殺めておいて、計画性がないだの、反省してるだの、改悛の余地が
あるだのという理由で命が救われる人がいる。

人を裁く裁判官や陪審員がこの余裕を感じ取れなくてどうする。
これからは裁判官や陪審員にこれらの話を聞かせてから裁判に望んでもらってはどうか。

※個人的な意見です。死刑廃止論者の方々の人間性を否定するものではありません。