うっちーのお気楽日記

お気楽主婦の日常、日々雑感。

娘の学校まで

2005年09月28日 | Weblog
午後、電話が鳴る。
この時間はセールス電話が多くて出たくないなぁ~って思ったけれど、
長く鳴らすので、出ようと思ったら切れた。

次には携帯が鳴る。
慌てて出てみると、娘からだった。

 「あのね、体育の時間に高飛びをしていて、ブチッといったら、
  足が痛くて歩けなくなった~。
  ちょっと腫れてきたし、迎えに来てくれる?」

当然のことながら車でお迎えにということである。
ちょっと待ってよ、学校まで1時間ちょっと、地理にも疎いんだよね~。
2度ほど夫の車で行った事あるけど、自分で運転していないから
道順はうろ覚えだし。。。

でも歩けないと言う娘に電車とモノレールを乗り継いで帰るのは無理だし
意を決して、迎えに行くことにした。

着替えて、車で出発!
直後にガソリンが無いことに気付く。
スタンドで補給、あらためて出発。

まずは○○川を渡るところまで、これは道順も自信がある。
あとはまっすぐ行けば良かったんだっけ。
確か夫は、「学校まで○○大橋をわたるとひたすらまっすぐ行けばいいんだよ」って言ってたっけ。

八王子に入ってちょっと迷った。
この辺で曲がらなかったかしら。。。
コンビニに入り地図を購入。駐車場でじっくりと見る。
あ、こっちだ!
ホントにまっすぐでいいんだわ。
しばらく行くと見覚えのある景色。
3つのトンネル、あ、もうすぐだ~。
まっすぐ進むこと30分以上。やっと学校の近くにたどり着き、道を曲がる。

1時間20分後、学校到着。
家のある市から途中4つの市を通り過ぎ、5つ目の市にあるのである。
給油とコンビニで地図を購入してたからちょっと時間がかかったけれど無事到着。
母としてはもうここでホッとしてしまった。
何で迎えに来たのかよりも、無事到着で達成感~♪

幸い娘の怪我はたいしたことが無い様子。
(まだお医者さんに診てもらってない、水曜の午後は休診だったのである)
少し痛みもおさまってきて、明日の朝、病院に連れて行っても大丈夫そうである。




追記
痛いと言っても歩いてるし、たいしたことはないと思いつつお医者さんに連れて行った。
そしたら軽い肉離れらしい。全部離れきってないから足首も動くんだって。
でも無理すると離れるって。。。
全治2~3週間、
しかし、シップとサポーターで学校には行ってもらった。
本人は、午前中の授業がサボれてラッキー!だってさ。(-_-;)

介護される側の本音は?

2005年09月27日 | Weblog
年をとり介護が無くては生活できない状態になったとき、
本当なら家族に囲まれ、長年生活した自宅で、
介護されて生活するのが幸せなのかもしれないが、
それにも限度があります。

先の見えない介護を続けていくのは、あまりに負担が多いのです。
今まで10年間に及ぶ介護の生活に兄の家族は疲れきっています。
他の3人の兄弟がいくら手伝いに行っても出来ることには限りがあり、
結局の所、同居の家族に一番の負担がかかることは明白なのです。

ところがそこのところが納得できないと言う考えの人もいます。
やっぱり本人は家で暮らしたいのがい一番の願いだろうから・・・と。

私は完全看護の場所で介護をしてもらい、
たびたび家族がそこまで面会に行く方が、お互いに良いと言う考え。
身体的な負担が多く疲れきってしまうと優しく出来ないだろうし、
介護される方も気兼ねするだろう。

義母が入院中は、私も週に必ず2回は病院に行ってきた。
毎日日替わりで4人の子供達の家族が当番制なのである。
「誰かが来てくれるとホッとするんだよ」という義母の言葉に
よっぽどのことが無い限り週に2回は続けてきた。
このくらいのペースなら、優しくして上げられるし、続けていける。
それぞれの家庭の事情もある。

でもこれが毎日何時から何時までと決められたり、夜もだったりすれば
そうはいかない気がする。
何しろ24時間、夜中だって、関係なく、介護の手は必要なのです。
寝ている時もうまく寝返りが打てなくて、体が痛くなるからです。

義母の転院の日が近づいて来ているのだが、
兄弟の仲にはまだ温度差があり、
しばらくしたら家にと考えている人もいる。
先日、外泊をして自宅に戻った義母は、
家で生活することの大変さを感じたようで
病院の方が気楽だと、病院に帰った。
家では、ナースコールで看護師さんが飛んできてくれるようなわけにはいかないから。

義母に本当はどうしたい?って聞いても答えは返ってこない。
ほんとのところはどうなんだろう。
どうするのが一番なのか
転院を間近に控えた今もなお悩み続けている。


ぶどう 2

2005年09月21日 | Weblog
再びぶどうのお取り寄せ~♪
今度はピッテロビアンコをメインに
ロザリオビアンコ、ピオーネ、甲斐路をミックス。

写真は大好きなピッテロビアンコ。
皮ごと食べられます。
長細い粒で、一粒が2~3センチほど。
一房に100粒くらいついてるんじゃないかしら。
家族4人で食べても1房食べると大満足~♪

美味しいぶどうを送ってくださる「高見園さん」
ありがとう~♪

文化祭

2005年09月18日 | Weblog
今日は娘の学校の文化祭。
お天気にも恵まれ(ちょっと暑すぎるくらいだったが)大盛況。
娘のクラスの出している甘味処も長蛇の列、売り切れ続出の繁盛振り。
クラブの演奏はほどほどの出来。
ジャズに挑戦したものの、やはり演奏し慣れていない感じ。

演奏を終えたら、甘味処であんみつを作り、
一日中、動き回って帰宅。
食欲も出ないほど疲れ果てている。
明日ももう一日頑張らなくちゃと、足にシップを貼り付け
さっさと自室に引き上げた。
私も学校内を歩き回りって疲れた~。

今年はG高校の男子がたくさん来ていた。
日曜なのに制服を着てきている。
最近は警備が厳しく、生徒からの招待状を持たない一般客(家族、受験生以外)は
受付でチェックされるのだ。(さすが女子校!)
身元を明らかにする為に、制服着用で学校名入りのカバンを持ってきたのかしらね~と、同じクラスのお母さんと笑った。


名産物ゲットの日帰りドライブ第三弾

2005年09月14日 | Weblog

先月の信州そばゲットの善光寺参り、ぶどうゲットの山梨勝沼、
それに続き、第三弾!
水沢うどん、沼田のリンゴをゲットすべく群馬まで行ってきました。

恒例通り、出掛ける時間は午前10時過ぎ、帰宅は夕方5時前後。
麺好きの私と子供達は水沢うどんは大好き。
リンゴは以前夫が沼田のリンゴ園で赤く色づいたリンゴがとってもきれいだったからと、今度行こうって言ってたの。
ところがリンゴの時期にはまだちょっと早かったようです。
今収穫されている品種はまだ少なくて真っ赤なリンゴが一面に広がっている光景にはお目にかかれませんでした。
でも、「津軽」という早生品種をゲット。甘くておいしいよ。

高速料金プラスガソリン代を使って行くにしては
あまりにささやか?
結局の所、たまにはクルマをたっぷり走らせたいクルマ好きの夫が
何とか目的を作る為に
食いしん坊の私をだしに使ってる感じ?

今度は新潟に日本海の海産物ゲットに行く?
それもいいけど紅葉の時期に温泉がいいんだけどなぁ~。。。
目的地について昼食、名産物とお土産買って即帰宅じゃ、あまりに味気ないよ~。
せめて温泉付きでお願いしたい!
「でもさぁ~温泉入ると風呂上りにビールが飲みたくなるだろ。ビール飲むと
昼寝したくなるだろ。そうするとまた運転して帰るのイヤになるからあぁ~」と夫。
「んじゃ、1泊でもいいよ~」と私。

(-_-;ウーン 夫は考え込んだ。
その1泊代はどっち持ち? きっとそう考えてるんだろうな。
当然、あんた持ちよん!! (笑)

さ~て、来月には紅葉、温泉、1泊、美味しいお料理かな~?
期待((o(^-^)o))わくわくのお気楽主婦、ココに1名!!!



サボってますが、皆さんお元気?

2005年09月13日 | Weblog
ずいぶん日記の更新をサボってます。

その間も我が家はごく普通に時間が流れています。
娘は次の日曜日に控えた文化祭に向けて
クラブやクラスのイベント準備で大忙しの毎日。
息子は平日は仕事、週末は良く遊び、
夫は早朝出勤、残業の日々。

朝の6時に朝食を食べる娘、
夜の11時に夕食を食べる夫。
我が家のキッチンは18時間営業中。(キ▼д▼;)トホホ・・

睡眠不足は昼寝で補い(寝すぎだと言う意見多し)
お気楽主婦生活、続行中。




お義母さんは、手術後の傷もずいぶん良くなり
もうすぐ抜糸できそうです。
足の役目って、歩くだけじゃないんですね。
ベッドの上で食事のために、電動ベッドの頭の部分を上に上げるのですが、
少し時間がたつと、体がどんどんベッドの下方にずり下がってしまいます。
足が無いと押さえが効かないというか、踏ん張ることが出来ないのですね。
今月一杯今の病院にいる予定ですが、
来月、転院する予定です。
やっと転院先が見つかりました。ホッとしています。


3回目の手術

2005年09月01日 | Weblog
姑である夫の母が入院して3ヶ月。
3度目の手術が昨日終わった。

今度は右足、切断。
これで両足を無くしてしまった。

痛みに耐えて毎日を送っていた母は
今日の様子を見る限り、いっそ清々したといった様子。
確かに毎日痛みにたえる日々はつらかったに違いない。
痛む部分はもう無くなったのだから、あとは手術創が治ればもう痛みは完全に無くなるのである。
手術創の痛みはそれほどでもないと言うくらいだから、
今までの痛みはそれをはるかに超えるものだったんだろうな。

2週間から20日ほどで抜糸して、今月一杯ほどで退院となる予定。
しかし介護の生活はそこから始まる。
同居していない私たち家族はともかく、
同居している兄一家は、これからが大変なのである。

常時誰かが近くにいなければならない状態で、家に帰ることは家族にとってあまりに負担が多い。
今はベッドの上に座っていても支えがないと後ろに倒れてしまうような状態。
これでは常に誰かが付き添っていないといけない。

手術前に1泊で外泊して、家に戻った時に、
夜中に2度、ベッドの上で位置がずれ、
落ちそうで怖くて家族を起こしたらしい。
これが毎日続いたら・・・。
家族は参ってしまうだろう。
今は導尿しているからまだいいが、退院時には当然導尿はしていないだろうし、
トイレの問題も出てくる。

やはり家で生活するのは無理なのか。
母は家に帰りたいだろうが、兄一家の負担を考えれば介護してくれる施設をと思うのは止むを得ないことだと思う。
母にとっても、快適な生活をと望むなら家にいるよりもその方がいいように思われる。
入院中と同じように毎日子供4人の家で日替わりで病院に通う体制もとれるし。

痛くなく、快適に過ごせることの幸せ。
そしてこれを達成させてあげることの難しさ。
無事手術が終わって、あらためて今後のことが切実になってきました。