うっちーのお気楽日記

お気楽主婦の日常、日々雑感。

地震来るかなぁ~???

2005年07月30日 | Weblog
このところ関東でも地震が多い気がする。
幸いにもそれほど我が家のある辺りでは震度も大きくない。
でも・・・大きな大震災級の地震が来るかも~とちょっと不安。

2000年問題のときに用意した防災グッズ。
ガレージに置きっぱなしになってるけど
中を点検しておかなきゃいけないかしらね。
確か卓上コンロは家で使っているものが壊れた時に
あそこから違うの出して使っちゃてるし、
食料品だってとっくに賞味期限切れ。
とりあえず、特売のお水1ケースとレトルトの食料を買っておこうか。

私にはそれより持病の薬の方が大事だけどね。
これってもし大地震にあって家が壊れたら持ち出すのが難しそう。
今度から3日分くらい車に入れておこうかしら。

よそのお宅では備えはしてるかしら。
みんなはどう?

ウナギ

2005年07月29日 | Weblog
土用の丑の日、ウナギ受難の日。

我が家では前日の晩に夫が会社からウナギの蒲焼をお持ち帰り。
取引先のお店からの売込みで予約しておいたらしい。
でも息子は後で食べるから~と出かけてしまい、
娘は塾で帰宅は10時。
帰ってきてもそれほど食べたくないとちょっと食べて終わり。
息子は結局帰ってきたのが日付が変わってからで、食べずに終わる。

そして、28日、丑の日。
夫から電話。
「今日もウナギだよ~、今焼けるの待ってるんだ」
「え?」
「社長がウナギ頼んであるから持って帰れって」
「あらまあ、それはそれは・・・。」
「大量にあるから実家にも置いてくるから」
別の取引先のウナギである。
帰宅した夫は焼きたてのウナギの入った袋をぶら下げていた。

今日も娘は塾、
息子は会社帰りにテニスだとかでご飯はいらないって。
今日のウナギは焼き立てでホカホカなのになぁ。
結局食べたのは夫だけ。
ちなみに私はウナギが苦手なのである。(;´д`)

冷蔵庫に仕舞われた残ったウナギ。二日分。
今日の夕食は残っていたウナギが再び登場。
小さく切ってタレとご飯に混ぜ込んで、ひつまぶし風。
ゴマと大葉も刻んで混ぜ込む。
ちょっとは目先が変わるもんね。
今日は全員、家でご飯だし、ウナギ一掃セールの趣き。ヾ(@^(∞)^@)ノわはは

さすがにウナギ3日目の夫は食傷気味。
ウナギ初日の息子は、大盛で食べた。


しかし、この数日日本全国で何匹のウナギが食べられちゃったのかなぁ~。
でも買ってきた蒲焼は温めるだけで食べられて
主婦は大歓迎だよね~。

条件

2005年07月26日 | Weblog
娘とT駅付近で用事を済ませ、デパ地下で食料品を買い、帰り道、
車から見える建売住宅、いつの間にか出来ている。
そこの一角だけ急に人口密度が高くなっただろうなと思うほど、
くっついて建っていた。
あれじゃ、風通しも悪いし、隣の声も聞こえるねと娘。
確かにそうだろうな。
でもあの家の1軒にどれだけの努力が詰め込まれているのか娘にはわからない。
「あの家に住む為にきっと気の遠くなるような長期間ローンを払わなくちゃならないのよ。」と私。

「あなただって将来結婚したらそういう状態になるかもね~」と言ったら
「そういう人とは結婚しないよ」だって。

家があり、親と同居しなくてよくて、収入のある人、
ヾ(--;)ぉぃぉぃ そんな人見つかるかい?
せいぜい頑張ってくれたまえ。

「じゃあとりあえずお父さんみたいな人を捜しなさいよ。」
「何とか家もあるし、親と同居もしてないし・・・
 ただ、お金はないけどね。」

娘は、夢が無いなぁ~とつぶやいた。

なにはともあれ無事終了

2005年07月22日 | Weblog
今日はお姑さんの手術、
予定通り、午前10時頃の開始だったそうだ。
大勢で手術が終わるのを待っていても仕方ないからということで
私は手術が終わるであろうお昼過ぎに病院へ行った。

着いたらちょうど病棟に戻り、リカバリー室に入ったところでした。
義妹と義姉が公衆電話の横にある休憩スペースにいた。
「今、戻ってきた(手術室から)ところなの」
間もなく、看護婦さんが、リカバリー室にどうぞと呼んでくれた。

お姑さんはちゃんと意識も戻り、小さな声で話せる状態だった。
今は痛みも麻酔がまだ効いているから無さそうだし、
布団のふくらみが突然無くなる左足付近以外、
昨日と変わらないようだ。
さすがに酸素マスクや血圧計モニターなどは付いているけれど。

しばらく様子を見守り、義妹と義姉にお昼を食べてきたら?と勧めた。
朝の9時から病院に来ていて、疲れているはずである。

その間、私は1人でお姑さんに付いていたのだが、
お姑さんは、
「昨夜は痛くて眠れなかった、足が無くなっちゃったけれど、手術してよかったんだよね」と
小さな声で言って、自分に納得させているようだった。

「そうですよ、おかあさん。痛い思いをして、足も切らなくちゃならなくて。
 ほんとに大変だけれど、だからこそ元気になってくださいね。
 じゃないと痛い思いをした意味が無いですからね。」
「元気になって、車椅子を使えば、どこへでも行けますよ
 美味しいものでも食べに行きましょうね。
 その時にはご馳走してくださいね。」

義母はちょっとだけ笑って「美味しいもの、ご馳走するよ」と言った。
あとは前向きに、今ある機能を衰えさせず、
元気になってもらうしかない。

嘆いたり悲しんだりしていないお母さんは立派だ。
私のかけた言葉にうんうんとうなずいているのだから。
本音はやっぱり嘆きたいだろうし悲しんでもいるだろうけれど。




予定の立たない夏休み

2005年07月17日 | Weblog
例年なら今頃には当然のように夏の予定は決まっている。
最近は子供も大きくなってきてなかなか付き合ってくれないから
1泊でドライブ&温泉の旅みたいなカンジだったけれど。

今年もどこか行こうか~って言ってはいたけれど、
義母の手術も決まり、今のところそれどころじゃなくなってきた。

義母の手術は左足膝下切断。
手術自体は難しいものではないらしいが、
やはり足を失うのである、当然、歩けなくなる。
80歳の老人に、それも体力も筋力もない人に
片足で松葉杖ってことにはならない。
だいたい右足だってかろうじて切断をまぬがれたようなものだし。
すでに足の指は無いし。

退院は順調に行けば術後1ヶ月とのこと。
自宅で介護するには、かなりの負担はまぬがれない。
過去10年の介護で家族はクタクタになっているのも確か。
そこでどこか介護施設を捜そうということに兄弟の間で決まった。
その施設探しも難航しそうな状態。
受け入れてくれる施設が見つからない。

この夏は義母のことで追われて、夏休みどころじゃないようだ。
手術は今週、22日。

あらら、まただ。

2005年07月12日 | Weblog
我が家の前には100台は停められるかなというくらいの広さの駐車場がある。
近くの団地の方達の駐車場になっているのです。

その中に紺のワゴン車、 私と息子の車に向かってフェンス越しに直角に停まっている。
持ち主は年配のオジサン。
このオジサン、何をなさっている方か存じ上げないが
日中も出入りがあるところを見ると、サラリーマンではなく
お年の頃からすれば、定年になったのかしらという感じ。

私が今日出かけていて家に戻ると、その車は定位置に停まり
まだ明るいにもかかわらずスモールランプが点いている。
先日も一晩中点きっぱなし。翌日バッテリーが上がっていて
エンジンがかからないのを目撃している。


“あらら、まただ”

気になって窓越しにその車を何度も見るんだけど、やっぱりまだ点いている。暗くなってからは余計に目立つし。。。
心なしか光は弱々しくなってきている。
明日の朝には消灯。スイッチオフじゃなく、バッテリー切れで。

今度そのオジサンに出会ったら、電話番号聞いておこうか。
点きっぱなしの時は、知らせてあげますって。
これってシツレイ?


ただ今、午前1時25分。
窓からのぞいたら、まだ点いてる。息子の車を照らしてる~。
 

夏休みも目前

2005年07月11日 | Weblog
先週の信じられない出来事に紛れて、娘の期末テストが始まり、終わった。
結果は・・・さてどうなるやら。
三者面談がコワイ。
テストが終わり、試験休み、終業式、その後は夏休み。
ホッと一息・・・とはいかない。
試験休みも無く、テスト最終日の午後から、クラブなのである。
8月の吹奏楽コンクールを目指して、夏はいつも特訓なのだ。
お弁当作りにお休みは無いのおおお~~~~!
そう吠えたい母なのである。。。



先週末には保護者のクラス親睦会が予定されていたが
連絡を受け1時間以内に病院に到着できる範囲内を超えるので
参加を見合わせることにした。
役員さんに不参加を連絡。
「子供に手がかからなくなると、介護の問題がどこも出てくるのよね。
 気にしないで、お大事にしてあげてね」
私が直前キャンセルで申し訳ないと事情を話すと、こう答えてくれた。

キャンセルしなくても参加できるかなと思っていた私だったのだが、
木曜日にまた一時的に意識が無くなるということがあったのだ。
今回は投薬ミスでもなく、継続的に続けている痛みを止める為の硬膜外麻酔の作用かもということであった。
痛みを感じさせず、そして意識がある状態を保つのは微妙なさじ加減なのかしら。
本人の体調とかで結果にふり幅があるのかもしれない。
今回も意識が戻れば、いつもと同じような状態にもどる。

でもまたこのようなことが、起きるかもしれないとのこと。
そしていつも元の状態に戻るという保証は無いらしい。
結局、もう一度手術をして、
痛む場所(壊死を起こしている足)を、切断するしか根本的に痛みをとる方法はないということなのです。


ああ、まだまだ前途多難。

信じられない出来事 4

2005年07月07日 | Weblog
夫に報告し終わった後、電話が鳴った。
義兄からでした。
「今日はほんとにお世話になった。いてくれてお袋の命が助かったよ。
 今日のことは病院のミスで、主治医3人と婦長さん、担当看護婦が揃って謝り、
 ミスも認めた。謝ってもらったからって許せることじゃないけれど、
 大事に至らずに済んだ。問題にしてもどうなるもんじゃないし、
 今まで10年も命を延ばしてもらってるんだから、今まで以上にこれからも
 良く診てもらえればっていうことで・・・」

話の内容を夫に伝えると、( ̄へ ̄|||) ウーム
仕方ないよなぁ~と言ったものの、怒りは消えないようだ。
確かに義母は10年前から入退院を繰り返し、
もうダメかもと覚悟した時もあり、主治医の先生にはずいぶんお世話になった。
この先生がいなかったら命はなかったかもしれない。
だからこそ些細なミスで命をなくしてもらいたくない。


そしてこの一件は何となく終わった。




私は病院に行くのが怖くなった。
急に具合が悪くなり意識が朦朧となる義母の体を支えながら
息があるかどうか確かめた時の、あの感覚。
当分忘れられそうも無い。

 

信じられない出来事 3

2005年07月06日 | Weblog
家に戻ると、娘が1人でいた。

「おばあちゃんが急に具合が悪くなったから、病院から帰れない」とメールしておいたが
そのあと、ケイタイの電源も切ってたから、娘からは連絡も取れなかったのである。
いつもなら車で駅まで迎えに行くのだが、娘は歩いて家まで帰ってきたらしい。

疲れ果てて帰ってきた私を見て、「どうしたの?」
私は堰を切ったように喋り始めた。
まだ興奮状態の私は一気にこの数時間の出来事を話し
「はぁー、疲れた」とソファに横になった。

「何だか気持ち悪い。。。」
家に戻り、緊張がほぐれたのか、冷や汗のような汗と気分の悪さ。
ソファから起き上がる気力が湧かない。
今夜のご飯は中華の出前~!そう決めてソファに居座りつづける。

夫の帰宅はいつもより遅い。
帰ってきた夫は仕事でも突発的なことがあったらしく疲れていた。
私が今日の出来事を報告すると、怒り始めた。
「そのミスってのは何でなんだ、誰もついてなかったら命が危なかったんだろう」
「誰のミスなんだ」
母親の命にかかわることだから当然の怒りだと思う。
私も「薬が合わなかったのかも・・・」と言った看護婦さんに不信感。
合わなかったんじゃなくて間違っていたんじゃない!
その時は投与ミスだってわかっていたはず、
それが医師の指示ミスだったのか、看護婦さんのミスだったのか・・・



                              つづく