伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

田舎暮らしの日々とガーデニング 時々ニャンコと

小説を発信中

  
  
  
  

  

二月の小舟と父の歌

2023-02-07 20:02:24 | 

二月になると必ずこの詩が脳裏に浮かぶ

吉野弘

二月の小舟

 
   冬を運び出すにしては
  小さすぎる舟です。
                   
  春を運びこむにしても
  小さすぎる舟です。
                   
  ですから、時間が掛かるでしょう
  冬が春になるまでは。
                   ・
  川の胸乳がふくらむまでは
 
まだまだ、時間が掛かるでしょう。
 
 
また 冬になると必ず更科源蔵の父の歌を思い出す。
 
 
 父の歌

果てしなく 雪は降りつみ
あたりに人影がなくなって
蒼い(あおい)夕暮れの中に独りいると
いつも父がやって来る

眉にも外套の襟にも 氷の花を咲かせ
どこまでも白い 雪明りの道を
少し前かがみに とぼとぼと
一生歩きつづけた姿で

白さを愛し きびしさに耐え
人一倍に光を愛し 温かさを求めて八十年
白銀のあごひげを ゆさゆささせ
夕闇の中に見えなくなった父が

吹雪の幕が去って
凍った山の線がうっすらと見え
その麓にポッと黄色い灯が入ると
父はそっちからやってくる

そして黙って私と並び
曲った腰をしゃんと伸ばすと
強い肩をあげて指差すのは
更に果てしない寂寞の道である

     

「父は名もなく、財力も名誉もなく、原野の中の一本の柏(かしわ)の木のように、陽がてれば地上に影をのばし、風が吹けば口笛を吹き、ほとんど人影もない、雪深い北の原野で生涯を終えた。
だが、私は自分が失望の谷間に立たされたときとか、悲しみの極みに追い込まれたときに、
氷華(ひょうが)に包まれたような孤独の影を曳きながらやってくる父の姿を思い出し、はげまされ、ふるいたたせられるのである。」

このように源蔵は書いている。

 

この詩は中学二年の国語の教科書に載っていた。

私の大好きな詩である。

そして源蔵のエッセイを読みまくった。

熱く語り朗読した若き日の女教師と

この詩を

生徒は思いだすことがあるのだろうか?

 

 
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 素敵な親子 | トップ | ポカポカ陽気に誘われて »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

」カテゴリの最新記事