伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

田舎暮らしの日々とガーデニング 時々ニャンコと

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映画のようなシーン

2016-11-22 19:20:40 | 元同僚
 M子先生の話の続きです。

 M子さんは退職するとき新卒の時に担任したK中学校の

 教え子達が最後の授業をセッテングしてくれたとのこと


 とってもいいお話ですよネ

 教え子はそれぞれ地位を築きあげた立派な50代・・・

 

 自分たちで当時と同じ中学校の同じ教室をキープして


 同じ席に座っていたという


 半数以上の参加だったらしい


 M子さんが教室に入る前から皆さん和気あいあいで盛り上がって

 いて


 とても楽しかった・・・と話しておられた。


 ホント


 映画の一シーンを連想する。


 で


 どんな授業をしたのか忘れた・・・理科なので


 何か実験をしたのかも。


 M子さんはとっても人柄がよく 素朴で生徒に信頼されていた。


 一緒のときはあまりよく分からなかった・・・


 マンモス校で教科も違うし同じ学年になったこともないし


 ただ公務分掌が一緒の文化部で彼女は視聴覚私は図書と

 部長をしていた。


 その当時のT中学校は文化部長が学校祭を計画立案する

 という


 とんでもない学校だった(その後は生徒会に移った)


昔からの慣習だったのでしょう・・・。


 ヘンだと思いながら転勤して数年の負けず嫌いの私は


 なんとか若い先生たちに助けられ無事学校祭を終えることが


 できた。


  一人で学校祭をとりしきるなんてことはできない


  職員会議にかけ


  それぞれの部と学年の代表と学校祭の案を練り


  計画して


  文化部の先生方にいろいろと割り当てしたら



  M子さんだけ


  「今年はやり方が違うのネ」と言ったのでむっとした記憶がある。


  だからお互いにあまり良い印象は持っていなかったと思うが


  それはそれ


  二人とも性格が似ているので今では良いお付き合いをさせていただいている。


  M子さんは今でも弱い生徒の見かたでステキな先生である。



  あの時代のT中は生徒も先生も混迷していたなんせ札幌一のマンモス校


  だったから・・・


  ましてや文化部長なんて誰もなり手がなかったらしい


  管理職に頭を下げられいやいや承諾したが


  当時の管理職も職員もみな同情してくれたのか


  全面的に私に協力してくれた。


  毎年学校祭の提案では喧々ごぅごぅで前進しなかったが

  私の時は誰も質問なしであっけなく通過して


  大切な学校祭なのにこれでいいのか・・・と教頭が嘆いていた。


  各部各学年の代表で練った計画なので皆さん根回ししてくれていて


  質問などある筈がない。


  職員会議の提案の時など間違えていたら小さな声で訂正してくれる


  先生もいて 本当に助かった。


  生徒は一番荒れていた学校だったが


  職員の和は最高だった


  皆に支えられていた頃が懐かしい・・・。


  私とM子さんの出会いはそんな学校だったのです。


  歳のせいですかネ


  昔のことを語ると止まりましえーん。



  


 
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ステキな人

2016-11-22 12:52:10 | 元同僚
 女子会のメンバーの一人M子さんは

   退職して4年 来年満額年金が出るので


   ハーフの仕事を辞めようか悩んでいる。


   というのも私が会うたびに現役時代が華よ・・・と


   言っているので迷っているのだ。


   私は1年早く退職し1年だけ講師をした


   その後


   丁度私の年齢で年金が延ばされ1年間無給だった。

   辛かったけれど自由に生きたかった私は後悔はしていない。


   奇跡的に還暦でと再開


   その後も講師の仕事はあったけれども


   東京と札幌を往復する彼のために仕事をしなかった。


   1日中拘束されるより講師のほうが楽でその道を選んだ


   のですがネ。


   自由人の私としてはお金よりも時間が欲しかった・・・。



   人それぞれ


   生きたいように生きるのが一番


   M子先生はすごい人なのです・・・


   それこそ教師冥利に尽きるというような

   イベントを退職の時に元教え子が



   してくれたのです。


   はででは無かったがしっかりと生徒と向き合った数少ない


   教師の一人なのです。


   やっぱし


   M子さんにはもっとハーフの仕事をして突っ張って欲しい。


   今日はM子さんのことを書こうと思っていたのに


   ついつい自分のことから書き始めたので本文に入れなかった・・・


   次回にします。


   
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リーダー犬は星になった

2016-11-22 03:50:16 | ちょっといい話
 旅行中の3週間前の道新の記事より


 とても感動したので載せます。


 浜中町のNPO法人「ドックレスキューしおんの会」代表の

 福沢智子さんと星子の出会いは2002年2月のしばれる日だった。


 雪の中に埋もれた袋から、猫のような鳴き声が聞こえた。


 ひもで固く閉じられた袋を開けると、生まれたばかりの7匹の

 子犬がいた。

 捨て犬だった。ストーブで温めたが星子だけはなかなか動かなかった。


 額に小さな星のような模様があったことから「星子」と名付けた。


 野犬だった犬は、捕まえるのさえ一苦労だ。犬のしつけという難題を

 解決してくれたのが、星子だった。



 保護した犬と一緒に酪農地帯の広い草原を走り回り、群れのリーダーに

 なった。他の犬の動きを常に気にかけ、人からおやつをもらう時は仲間が

 そろうのを待った。犬同士がけんかしたり、人を不必要に威嚇したりする

 と、容赦なくしかった。

 


NPoの一員として、保護された犬を時には優しく見守り、時には厳しく

 しかって、270匹を新たな飼い主の下に送り出した。

 凛として、賢く、誰からも愛された星子は、9月に14年半の生涯を終えた。


  すごいネ星子・・・ただただ感動 黙とう。






 
コメント (2)
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