甘裸哲学

哲学をするのに特別な知識は必要ありません。このブログはあなたの固定観念を破壊して、自由自在に考える力を育みます。

存在

2013-08-17 15:48:41 | 大きな哲学
私は存在しているのか?
「......」(一時の静寂)
君が見えるよ
でもホログラムかもしれない
とりあえず触らせてもらっていいかな
※セクハラはやめましょう

僕たちがいるのは同じ世界なのか?
「たぶん(⌒▽⌒)」
君も僕も同じ物を見れるし触れる
こうやって会話も矛盾なく成立してるし
きっと同じ世界にいるはずだよ(⌒▽⌒)
ところで僕の彼女可愛いよね!!?
「はぁ? 何寝ぼけたこと言ってんのお前www」
......君とは住む世界が違うようだ。さようなら


それで、物の本質というのは一体どこに存在するのだろうか?
(目の前に木があったとして、木という概念はどこに存在するのかという問い)

選択肢1「イデア界だよ」
我々が見ている物体は全てイデアの影だ
完璧な存在がイデア界に存在して
我々はこの不完全な世界で何かを見たとき
イデア界にある完璧なイメージ(イデア)を想起するのさ
我々は元々イデア界の住人
この世界には旅行目的で来たのだよ...(痛いので以下省略)

選択肢2 「それは物の内側に備わっている」
人間の本質として魂があるのは明確だ
しかし、これは人間の身体から抜け出て勝手に移動したりはしない
幽体離脱とか頭のおかしいこと言ってる奴は皆死んだほうがいいよ
まあ、確かに[砂山の砂を一粒ずつ除去していき、どこから砂山と呼べなくなるのか]とか、[シャーペンを分解していくと、どこまで分解した時点でシャーペンと呼べなくなるのか]とか[船の壊れた部分を修理していき、どこまで修理すると元の船とは異なる船だと言えるのか(テセウスの船)]とか考えたら面倒くさいことになるけど、とにかく本質は中にあるの!...(痛いので以下省略)

完璧であることは善いことである
では、悪のイデアとは何か、など
様々な問題が発生してしまうので
これら2つの選択肢は全く以て痛いだけですね
本質がイデア界(物の外)にあっても物の中(境界含む)にあってもうまく説明できない
他に考えられる選択肢は2つくらいかな
1つは、本質なんてどこにもないという選択肢
もう1つは、本質は外にあると同時に中にもあるという選択肢
なんだか、光は粒子であると同時に波動であるという有名事実と同じように聞こえますね。まあ、何にせよ、矛盾は絶対に避けられません。そのことはゲーテルさんが証明してくれちゃいましたから。






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