甘裸哲学

哲学をするのに特別な知識は必要ありません。このブログはあなたの固定観念を破壊して、自由自在に考える力を育みます。

復習問題1(回答編)

2013-01-06 21:41:02 | 復習用(過去を振り返る)
私の答えは一例です。不満があればコメント願います。


問1 一元論
問2 独我論 哲学的ゾンビ
問3 無主体論 ヒュームと同様に人間は知覚の束であると考えます
問4 矛盾を肯定する相対性理論は信じる信じないの問題であるが、実際にGPSなどに応用されている。また、自然の斉一性原理という科学の大前提は誰にも証明できず、これは宗教における神の存在と同様である。これを信じることによって初めて科学が成り立つのであるし、宗教においても神の存在さえ信じてしまえば、もうその宗教を否定することはできなくなってしまう。また、ゲーデルの不完全性定理により、完全であることと不完全であることが本質的に同一であるという結論が導かれてしまい、矛盾を肯定せざるを得なくなったため、キリスト教における「父=子=精霊」の三位一体説と同様のものが度々出てくることとなった。
問5 「好き」というベクトルの、向きが反対であるものが「嫌い」であり、大きさの有無で反対なのが「無関心」である
問6 愚民どもには両面提示効果よりも一面提示効果が強く出るものである。彼らは自分たちにとって都合の良い話ばかりを聞きたがり、都合の悪い話には目を背けるのである。みんなで一つになろうなどという「全体主義」のブログなどに人気が出たりするのは滑稽である。
問7 洗脳は肉体的であり、マインドコントロールは精神的である。
問8 全体主義、共産主義など
問9 (カントの)義務論、目的という字が入っていれば基本的になんでも可
問10 非社会的という選択肢もあるのでそのような必然性はあるけどないです
問11 可哀想だけど、私にはどうでもいい話だ。
問12 0-6時くらい 誰にとっても自分の感じる時間は体感時間であり、それの平均を大雑把に考慮した結果、こうなりました。
問13 正しいかどうか現時点では判断できない人為的非道計画(実行済み含む)
問14 パブロフの犬など
問15 側面
問16 (一万度くらいの)火
問17 パラダイムシフト(鋳型移行)
問18 なんとなく(体が勝手に)
問19 TLに流れてきたから
問20 「かんら」「あまはだか」などと読むがどうでもいい。いずれにせよ私のことを指しているにかわりないし、そのような本質的でないものは一元論によって切り捨てられ「甘裸」という抽象概念だけが残ればよいと思う。ここはどんな読み方をしようが五点くれてやりますから。私は私です。


問19の回答とかコメントしてくれるとたぶん喜ぶよ
別にどこまで理論を信じるかとかはあなた方の自由ですからね
好き勝手に利用して遊んでください
あなたが理論のためにあるのではなく、理論があなたのためにあるのですから

復習問題1(問題編)

2013-01-06 20:54:33 | 復習用(過去を振り返る)
私のブログの内容をどれだけ理解したか確認するためのテスト第一回目です
制限時間はありません、一応私の解答を次の記事に載せる予定です
別に紙と鉛筆を用意しなくても、PCなどならメモ帳を使えばいいでしょう


問題は全部で20問です(一問五点)
80点以上取れれば優秀です。60点くらいが普通かな(今までの記事を全部読んでくれた方に対しての発言です)
15分あればできるよね?それでは始めてください←


問1 「価値観は相対的かつ絶対的かつ虚無的である」このように、全てが一つであると考える論を何と呼ぶか。

問2 自分以外に心がないという論を何と呼ぶか。また、その場合の自分以外の人間を何と呼ぶか。

問3 誰にも心はないという論を何と呼ぶか。また、誰にも心がないと考える根拠を軽く述べなさい。

問4 科学を宗教呼ばわりする場合の根拠を軽く述べよ。

問5 「好き」の反対は「嫌い」なのか、それとも「無関心」なのか

問6 人気のあるブログのほとんどが都合の良い記事ばかりで構成されているのはなぜか

問7 洗脳とマインドコントロールの違いを答えよ

問8 ブラック企業を肯定する主義を一つ答えなさい

問9 トロッコ問題で数人を見殺しにして一人が助かる方を選択する場合、その根拠となる価値観は何か

問10 少数派は必然的に反社会的なのか

問11 生まれつき自由が制限されている天皇家の方々に対して、何もしてあげないのは「いじめ」の傍観者と同じではないでしょうか。また、「殺害予告」などの行動を起こした人間を批判するのは「いじめ」の扶助ではないでしょうか。この問題に関してあなたなりの意見を述べなさい。

問12 人生を一日に対応させると、幼児期は何時から何時くらいに相当しますか。また、その根拠を述べなさい

問13 陰謀論とは何ですか

問14 受験に失敗した人を負け犬と呼びますが、逆に成功した人のことを何犬と呼びますか?

問15 コインにたとえると、「今」はどの部分に当たりますか

問16 プラズマって何

問17 我々の常識を生み出している鋳型が時代とともに移り変わることを何というか

問18 ニーチェのような虚無主義者が自分の考えを他者に語るのはなぜですか

問19 あなたはどうしてこのブログを読んでいるのですか

問20 「甘裸」は何て読む?

パラダイムシフト

2012-12-29 12:41:30 | 復習用(過去を振り返る)
アニメの中の二次元キャラが我々のことを知覚できないように
我々は外の世界を知覚するができない
そしてこの分からない外の世界について語るのが宗教であった
上には上がいる的な発想で、外の世界にもさらに外の世界があるのかもしれない
また、漫画やアニメの中にも漫画やアニメが登場したりすることがある
私は、このように無限に続いていく複雑な構造をフラクタルと呼んだ

さて、今回は我々に知覚できるこの世界の話である
パラダイムというのは、我々が生きているこの世界の枠組みである
様々な固定観念とか常識と呼ばれるものの鋳型である
クーンはこのパラダイムの変化によって世界が変わると考えた
つまり、我々が植えつけられてきた常識は、この時代特有のものであり
過去や未来では、人々は全く別の常識を信じるものだ、ということである

現在では、授乳と称して女性のおっぱいを与えるのが常識であるが
「どうして男には授乳させてないんだ?この時代はまだ男女差別が結構残っていたのかな」
といった風に未来の人々に馬鹿にされるという事態も当然考えられる

パラダイムシフトは歴史の転換期であり
少し前で言えば、第二次世界大戦が終わり、日本から戦争が消えたような話である
しかし、また日本で戦争が始まることも、当然考えられる
現在では、科学が宗教に取って代わり、宗教の時代は終わったかのように思えるかもしれないが
そのうちまた、宗教の時代に戻るかもしれないのだ(歴史は繰り返す)

このように考えると、現在常識だと信じ込まされているものは、今しか通用しないものであり
できれば、自分で選んで「これだ!」と思った価値観で生きたいものである
このブログは、あなた方の現在の固定観念を破壊し、様々な価値観を紹介することで
あなた方が自分にあった価値観を見つけるのを手助けします
だから、気軽にコメントして、私とは違った価値観を示してくれると嬉しいのです

関連:お前らの性格が変わったのはいつ?理由は?思い出せないだろ?それには理由がある。最新の研究で判明

追伸1:極端なパラダイムシフトのことを「コペルニクス的転回」と言ったりしますね。人々の考えが180°真逆に変わることです。

私は自分の世界が一番外側の世界であるという、天動説や人間原理と同様な自己中心的な考えは捨てました。
神の声を聞いたとか言う人たちは、この世界の漫画において作者が自身を天の声と称してキャラクターに語りかけるような感じで、外の世界から語りかけられたのではないだろうか、と考えています。狂っただけかもしれないけど、こういうのは区別がつきませんからね。「私は善人だから否定しないよ」と言っておきます。

追伸2:追伸1において、自分の世界が【一番外側】の世界であるという主張を自己【中心】的な考えだ、と表現したけれども、こういうのが一見矛盾しているように見えて実は矛盾していない【逆説】とか呼ばれるものなのでしょうかね。

義務とか自由とか責任とか

2012-12-27 18:18:47 | 復習用(過去を振り返る)
私は義務というものが大嫌いだ。手に入れた自由の対価としての責任ならまだ分かる。しかし、自分の意思によらず、この世界に閉じ込められて、そしてそのことによって勝手に生じた義務に対して責任を負えだなんて、僕はどうしても嫌なんだ。性同一性障害の人は、自分の本来あるべきだとは思えない性に生まれることで、自分の肉体に閉じ込められていると感じる。思い通りにならない閉塞感に耐えるのが本当に苦痛だ。また、ある特定の時代、場所に自分の意思によらずに生まれ、そしてそこの制度として、宗教などの価値観を刷り込まれる。教育と言う名の洗脳により、そこ独自の民族的な文化や考え方を植えつけられる。決してありとあらゆる選択肢の中から、自分で好きなものを選べるようなことはない。


カントの義務論、とか言ったか。「周りの人間を踏み台にするな」くらいのものなら、私が敵意を抱くことなどなかった。しかし、この考え方は、たびたび私の功利主義と対立してしまうのだ。彼の考えに則って、数人の代わりに、一人生き残ってしまったあの生存者はどう思うのだろうか。「彼らの分まで生きないと!」だろうか。それはものすごい義務感だろう。私が彼だったらすぐに自殺するのだけれど。逆に功利主義に基づいて、一人の代わりに生き残った数人には、対した義務が発生しない。なぜなら一人の死を数人で背負えば良いからだ。私はこれなら仕方のない犠牲だと思えるし、適度な義務感によって、よりよい生が期待できそうだとも思う。


どんな薬だろうが、適量を過ぎれば毒である。私は自分の自由に対する責任のみで手一杯であり、それ以上に、どこから発生するのかよく分からない義務感による責任を負う余裕などないのである。私は哲学によってとても大きな自由を手に入れたため、社会的な義務に対しては、とても否定的な立場に立つことになったのだ。


ブログの読者数が増えれば、当然記事の内容に対する責任が大きくなる。そして、ブログの読者数増加が、あくまで私の望みである限り、私はその責任を責任として認め、記事の内容に対する指摘には、真摯に対応することになる。より良いブログになれば私も嬉しいし、自分の力量を考慮しつつ、自分の限界を目指したいと思う。もちろん自分一人で哲学的な事柄すべてをカバーできるなんて思っていないから、苦手な哲学者の紹介は、仕方なく他人のブログに任せることもあるだろう。


改めまして、これからも宜しくお願い致します。まだ元旦じゃないけどね←

追伸:原罪とか、前世の業とか、そういうのは嫌いです。最近テイルズシリーズやりまくってるんだけど、人種差別問題や宗教問題などについてよく作りこまれていて面白いなーって思います。あともう少しで、外部リンク「世界史講義録」も読み終わるんで、記事の質が結構上がるかもしれません。