甘裸哲学

哲学をするのに特別な知識は必要ありません。このブログはあなたの固定観念を破壊して、自由自在に考える力を育みます。

人間

2013-08-17 15:48:18 | 大きな哲学
どうして僕は今ここにいるのだろうか?
「理由なんてないよ」(即答)
親(人間)が子作りしたからだとか
(人間の想像上の)神様が授けてくださっただとか
我々が理由として答えるのは全て人為的なものだ

どうして人を殺してはいけないのか?
「理由なんてないよ」(即答)
(人間が決めた)そういうルールだから
(人間の想像上の)自然法だから
そう、根源的な理由などありはしないのだ


人間に心はあるのか?
「そんなの分かる訳ないよ」(即答)
自分に心があることを証明する方法などありはしない
ただ、自分に心があるのだから、きっと他の全ての人間にも心があるに違いないというとんでもない理論が一般論となっているのが現実だ
しかし哲学の世界では、そんなとんでもない理論は通用しないので
心を持たない人間のことを哲学的ゾンビと呼んだりする
このゾンビは、私のようなフリーホラーゲーム製作者がよくゲームに登場させる生きる屍とは違い、ちゃんと理性的に行動する。心があるように見えるが、実は心がない人間もどきなのである。もちろん身体の構造などは普通の人間と全く同じで、ただ心がないのだ。そして、この世界で心を持った人間は自分だけであるという考えを独我論という。更には、自分にすら心がないという考えがあり、これを無主体論という。文字通り、誰にも心がないという考えなのだ。
「心がある? それは気のせいだよ」

私が見ている赤色と君が見ている赤色は同じ赤色か?
「それはない。少なくとも全く同じ色に見えることはないだろう」(即答)
我々は目で特定の波長の光を色として認識しているだけである
人によって色を認識するための錐体細胞(RGB{レッド、グリーン、ブルー}の三種類)の数やそのバランス、配置が異なるので、同じ色が見えているとは考えにくいのだ
普通の哲学者なら、ここでクオリアの話をして
この赤色が、君には私にとっての青色に見えているかもしれない
などと言い出して、このあと延々とクオリアについて語るのかもしれない
しかし、私にはそれがあまり重要なことだとは思えないので
今回の記事はこれで終わることにする(興味のある方は自分で調べてみてね)






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