甘裸哲学

哲学をするのに特別な知識は必要ありません。このブログはあなたの固定観念を破壊して、自由自在に考える力を育みます。

恋愛

2013-08-17 15:49:28 | 大きな哲学
「恋愛なんて一時的な精神異常だよ」
しかし、その一言で片付けてはつまらないので
今回は、恋愛を成就させる方法まで考えていきます


まず、恋というのは、[なんか知らないけど好きだ]という感情であり
相手が持つ得体の知れない異質な何かに惹かれている状態です
単純に、好みのタイプの相手で、セックスしたいだけかもしれません

一方で、愛というのは、[○○なあなたが好きだ]という感情であり
我々はその感情を表に出し、行動で示そうとします
決意に基づき、様々な方法で愛情を表現したいと考えます

恋愛はこれらの組み合わせで成り立っているはずです


ではどうやったらモテるのかについて考えていこうと思います

男性は女性の容姿を最も重視します
流行りのファッションとかは分からなかったりするので
単純に自分が可愛いと思うかどうかで判断することが多そうです
ファッションに関する知識と観察力がある男性は当然女性にモテますし
女性の方は、単純に可愛い服装をしていた方がきっとモテます
男性に気づいてもらえないオシャレでは、あまり意味がありません

もちろん声や性格も重要です
声というのは短期間のトレーニングで簡単に変えられますし
性格の方だって、私のホームページを見ているうちに
何でもかんでも当たり前だというのは大間違いだということを思い知り
より、男性に好かれやすいものとなるでしょう

女性は若いほど男性の容姿を重視し
年を重ねるほど男性の経済力を重視するようになります
容姿は雰囲気イケメンが一番モテます
自分とは釣り合わないんじゃないかと考える必要もなく、熾烈な競争なしに手に入るイケメンっぽい存在からの愛は、一般女性の理想だと思われます
雰囲気だけのイケメンなら比較的簡単に作れるはずです
経済力は...まあ、ないなら雰囲気イケメンになって若い娘を狙ってください(苦笑)

自分の自慢話ばかりして女性の話を聞かなかったりしたら当然嫌われます
あまり見栄を張らない方がいいでしょう
女性の方は、男性を立ててあげるときっと喜んでもらえるでしょうが
あまりやりすぎると、都合の良い女として利用されて捨てられるので注意しましょう
女性は自分が大切に思われていることを常に確認したいと思っていますので
恋愛のスパイスとしての浮気や暴力は必要最小限に抑えるようにしましょう(ただ優しいだけではなく、少しくらい不安にさせるような発言をすると良い刺激となります)


同性愛などについては割愛させていただきます
出会いがない方には、SNSを利用してどんどん人脈を広げることをお勧めします
頑張ってください、健闘をお祈りします










理解

2013-08-17 15:49:28 | 大きな哲学
完璧な理解のみを理解と呼ぶのは狂っている
そもそも人間に完璧な理解など出来るだろうか
仮に出来たとしても、それは一部の人間であり
我々が普段使っている[理解]という言葉からは程遠いものとなる
これは[真の理解]などと呼び、一般的な意味での[理解]とは区別しよう
また、自分が理解することと、他人に教えることができることとは違う
これらを区別しなければ、我々が[理解]と呼んでいる言葉は崩壊する


では、一般的に言われている[理解]とは何なのだろうか
以下に二つの側面を述べる(説の名前は私が勝手に付けました)

・段階説
理解には客観的に評価可能な段階があり
我々はテストなどによってどこまで理解しているか評価出来る
ある程度理解していれば(その程度は時と場合により異なるが)合格であり
(充分に)理解していると認められるのである
また、ある人をぱっと見た時に「女だ」と思っても
よくよく見たら「......男だった」となることがある
低レベルな理解は明らかな誤解であり
このような理解は常に基準(ある程度)を下回っているものとして処理される


・干渉黙認説(独認説)
自分にとっての理解と他人にとっての理解は全くの別物である
私から見れば彼はイケメンだが
あなたには彼がブサメンにしか見えず
一生私の考えていることが理解出来ないかもしれない
いや、理解なんてものは自分の中にしかないのだ
結局は、私の感受性によって私にとっての[理解]が決められるだけであり
私が理解したと思えば理解したのだし
私が理解していないと思えば理解していないのだ








2013-08-17 15:49:03 | 大きな哲学
動物と植物と、それから人間
僕たちは他の動物とは違うらしい
食物連鎖の頂点に君臨する我々は
他の全ての生物を食料にすることができる
※もちろん好んでワームを食べたりはしないが

このことから人間の命が最も大事だと結論付けるためには
我々は、偉人や有名人の命の方が一般人の命よりも大事だと本気で思う
あるいは、神様が最も大事なものとして人間を創られたのだと本気で思う必要がある
多分、ほとんどの人が[人間の命が最も大事である]と結論付けることになるだろう

一方で、人間も他の動物の命も同じくらい重いと考える人たちがいる
また、植物も含めて、全ての生物の命は平等だと考える人たちもいる
前者の場合は、不殺生を徹底して菜食主義者になったりするが
後者の場合は、感謝しつつ食事をするだけの一般人となるだろう


次に、人間の命について詳しく考えてみよう
トロッコ問題である(以下、wikipediaより引用)

まず前提として、以下のようなトラブル (a) が発生したものとする。
(a) 線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。

そしてA氏が以下の状況に置かれているものとする。
(1) この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?

なお、A氏は上述の手段以外では助けることができないものとする。また法的な責任は問われず、道徳的な見解だけが問題にされている。あなたは道徳的に見て「許される」か、「許されない」かで答えるものとする。

つまり単純に「5人を助ける為に他の1人を殺してもよいか」という問題である。功利主義に基づくなら一人を犠牲にして五人を助けるべきである。しかし義務論に従えば、誰かを他の目的のために利用すべきではなく、何もするべきではない。
 
では次のような派生問題ではどうだろうか。A氏はやはり(a)の状態にあるが、(1)ではなく次の(2)の状況に置かれている。
(2) A氏は線路の上にある橋に立っており、A氏の横にC氏がいる。C氏はかなり体重があり、もし彼を線路上につき落として障害物にすればトロッコは確実に止まり5人は助かる。だがそうするとC氏がトロッコに轢かれて死ぬのも確実である。C氏は状況に気づいておらず自らは何も行動しないが、A氏に対し警戒もしていないので突き落とすのに失敗するおそれは無い。C氏をつき落とすべきか?

前述の問題と同様、A氏にはつき落とすかつき落とさないかの選択肢以外は無いものとする。C氏ほど体重の無いA氏が自ら飛び降りてもトロッコを止められず、またその事実をA氏は理解している。

功利主義に基づけば、トロッコを分岐させることも、一人を突き落として脱線させることも一人を積極的に死に追いやり五人を助けるという点で等しい。しかし多くの人が、1番目の質問では一人を犠牲にすることは許されると答えるのに対し、2番目の質問では一人を犠牲にすることは許されないと答える。この二つの質問で異なる点は、最初の質問では行為者の行動自体は「分岐の切り替え」に過ぎず、一人の死は(たとえ結果を承知の上でも)その意図の直接の結果ではなく副次的な出来事(つまり巻き添え)と考えることが可能であるのに対し、次の質問でははっきりと「狙ってC氏をトロッコに激突させる」という行動をとっており、行為者の直接の意図と行動によって死ぬということである。(以上、wikipediaより引用)


※法的責任の問われる現実世界では
複数人を見殺しにした場合は
絶対に無罪で
一人を殺して複数人を助けた場合は
殺した一人の遺族に訴えられるかもしれませんね


次は臓器くじについて考えてみましょう
くじで選ばれた健康な一人を殺して
その臓器で
臓器移植しなければ助からない
複数人を助けるべきか
という問題です

本質的には同じ問題でしょう?

最後に人口削減問題について考えてみましょう
人類は食料やエネルギーの問題を抱えています
科学の発展により
人工肉や再生可能エネルギーが少しずつ開発されていますが
人口が指数関数的に増加(超急激に増加)しており
このままでは増えた人類の大半が
食料不足や冷暖房不能により
苦しみながら死滅してしまいます
我々は選択を迫られています
苦しみながら滅びゆく数百億人の人類を見殺しにするか
数十億人の人々を殺して解決するか

良かったらじっくり考えてみてくださいね

存在

2013-08-17 15:48:41 | 大きな哲学
私は存在しているのか?
「......」(一時の静寂)
君が見えるよ
でもホログラムかもしれない
とりあえず触らせてもらっていいかな
※セクハラはやめましょう

僕たちがいるのは同じ世界なのか?
「たぶん(⌒▽⌒)」
君も僕も同じ物を見れるし触れる
こうやって会話も矛盾なく成立してるし
きっと同じ世界にいるはずだよ(⌒▽⌒)
ところで僕の彼女可愛いよね!!?
「はぁ? 何寝ぼけたこと言ってんのお前www」
......君とは住む世界が違うようだ。さようなら


それで、物の本質というのは一体どこに存在するのだろうか?
(目の前に木があったとして、木という概念はどこに存在するのかという問い)

選択肢1「イデア界だよ」
我々が見ている物体は全てイデアの影だ
完璧な存在がイデア界に存在して
我々はこの不完全な世界で何かを見たとき
イデア界にある完璧なイメージ(イデア)を想起するのさ
我々は元々イデア界の住人
この世界には旅行目的で来たのだよ...(痛いので以下省略)

選択肢2 「それは物の内側に備わっている」
人間の本質として魂があるのは明確だ
しかし、これは人間の身体から抜け出て勝手に移動したりはしない
幽体離脱とか頭のおかしいこと言ってる奴は皆死んだほうがいいよ
まあ、確かに[砂山の砂を一粒ずつ除去していき、どこから砂山と呼べなくなるのか]とか、[シャーペンを分解していくと、どこまで分解した時点でシャーペンと呼べなくなるのか]とか[船の壊れた部分を修理していき、どこまで修理すると元の船とは異なる船だと言えるのか(テセウスの船)]とか考えたら面倒くさいことになるけど、とにかく本質は中にあるの!...(痛いので以下省略)

完璧であることは善いことである
では、悪のイデアとは何か、など
様々な問題が発生してしまうので
これら2つの選択肢は全く以て痛いだけですね
本質がイデア界(物の外)にあっても物の中(境界含む)にあってもうまく説明できない
他に考えられる選択肢は2つくらいかな
1つは、本質なんてどこにもないという選択肢
もう1つは、本質は外にあると同時に中にもあるという選択肢
なんだか、光は粒子であると同時に波動であるという有名事実と同じように聞こえますね。まあ、何にせよ、矛盾は絶対に避けられません。そのことはゲーテルさんが証明してくれちゃいましたから。






人間

2013-08-17 15:48:18 | 大きな哲学
どうして僕は今ここにいるのだろうか?
「理由なんてないよ」(即答)
親(人間)が子作りしたからだとか
(人間の想像上の)神様が授けてくださっただとか
我々が理由として答えるのは全て人為的なものだ

どうして人を殺してはいけないのか?
「理由なんてないよ」(即答)
(人間が決めた)そういうルールだから
(人間の想像上の)自然法だから
そう、根源的な理由などありはしないのだ


人間に心はあるのか?
「そんなの分かる訳ないよ」(即答)
自分に心があることを証明する方法などありはしない
ただ、自分に心があるのだから、きっと他の全ての人間にも心があるに違いないというとんでもない理論が一般論となっているのが現実だ
しかし哲学の世界では、そんなとんでもない理論は通用しないので
心を持たない人間のことを哲学的ゾンビと呼んだりする
このゾンビは、私のようなフリーホラーゲーム製作者がよくゲームに登場させる生きる屍とは違い、ちゃんと理性的に行動する。心があるように見えるが、実は心がない人間もどきなのである。もちろん身体の構造などは普通の人間と全く同じで、ただ心がないのだ。そして、この世界で心を持った人間は自分だけであるという考えを独我論という。更には、自分にすら心がないという考えがあり、これを無主体論という。文字通り、誰にも心がないという考えなのだ。
「心がある? それは気のせいだよ」

私が見ている赤色と君が見ている赤色は同じ赤色か?
「それはない。少なくとも全く同じ色に見えることはないだろう」(即答)
我々は目で特定の波長の光を色として認識しているだけである
人によって色を認識するための錐体細胞(RGB{レッド、グリーン、ブルー}の三種類)の数やそのバランス、配置が異なるので、同じ色が見えているとは考えにくいのだ
普通の哲学者なら、ここでクオリアの話をして
この赤色が、君には私にとっての青色に見えているかもしれない
などと言い出して、このあと延々とクオリアについて語るのかもしれない
しかし、私にはそれがあまり重要なことだとは思えないので
今回の記事はこれで終わることにする(興味のある方は自分で調べてみてね)






自由意志

2013-08-17 15:47:52 | 大きな哲学
自分の意志で生まれてきた人はいないだろう
脳で物事を考えたり、身体を動かしたりするが
脳も身体も全て遺伝子に基づき作られたものである
全てが神(法則)によって決められているというのなら、我々に自由意志などないのではなかろうか?

いや、そんなことを言ったら、自由なものなど何もないことになってしまう
自由と呼べるものを一つでも認めるならば、全ての意志は自由意志であるし
自由と呼べるものを一つも認めないならば、全ての意志は自由意志ではないのだ
このように哲学では、立場によって同じ状況が真逆の言葉で表されることが度々ある
まあ、普通の人が「好き」と言う場面で
ツンデレは「嫌い」と言う、という程度の話だ

他の例もオマケ程度に挙げておこう
未来のことは確率でしか分からないが
確率に支配されている時点で自由と呼べるのかという話で
結局、自由意志の話と同じになるし
ここにオールオアナッシング、二極化された(両極端の)世界が広がっているのだ

で、結局何が言いたかったのかというと
我々は振られたサイコロに従って駒を進めてきたにすぎず
何をするにも自分の意志では自由に出来ないので
犯罪を犯そうが、どんなに善行をしようが
それについて責任を追及されたり褒められたりするのは
大変おかしなことである
が、しかし、そんなことでは世界が混沌と化してしまうから
我々は便宜的に罰や報奨を与える社会を採用している
「自由意志は存在するのだあああ!!!!!」

関連項目:ロールズの正義論

恐怖

2013-08-17 15:47:25 | 大きな哲学
恐怖とは、分からないこと、嫌なことに対して抱く感情である
以下に例を挙げて考えてみる

人間が怖い(何をしでかすか分からない)
自由が怖い(どうすればいいか分からない)
死ぬのが怖い(死んだらどうなるのか分からない、地獄が嫌)
無限、永遠が怖い(ずっと同じなんて嫌。よく分からないし)
自然が怖い(制御出来ないのが嫌。何が起こるか分からない)
お化け屋敷が怖い(出るのは分かってるのに何処で何が出るか分からないのが嫌)
浪人、留年が怖い(一年遅れるのが嫌。違う[分からない]集団に移されるのが嫌)
ゴキブリが怖い(きもいんだよ!!死ね!!!)


※恐怖は、無関心、知ったかぶり、無知の知によって克服できる場合がある
※分からないけど良いことは魅力と呼ばれ、恐怖とは区別される
※嫌なことだけど慣れてるし怖くはないという事例も報告されている
※嫌いだから怖いのか、怖いから嫌いなのかは個別に自分で考えてね


科学

2013-08-17 15:46:50 | 大きな哲学
この世界で一番流行ってる宗教は何だろうか?
「科学!」(即答)


僕は科学を信じるよ
たとえ、過去の有限個の実験データで未来を決め付けている(証明不可能な自然の斉一性原理を信じている)だけだとしても
大規模な人災を引き起こし、人々を人間不信にしたとしても
それでも僕は科学を信じるよ

ゲーテルの不完全性定理により、全ての理論は必ず矛盾することが証明されている
その影響もあってか、相対主義が随分と流行っているように思う
でもこの状況では、いつ虚無主義に陥るかも分からない
だから、僕は科学を信じるよ
科学は絶対に正しい
安心のために自分に嘘をつくことにしたのです

嘘がつけない人間→秘密が守れない人間(他人に聞かれた時に正直に答えてしまう)
あなたはこの秘密を守ってくれますか?
ここで同意した瞬間に、あなたは嘘つきへの道を歩み始めることになります
秘密を守れば、秘密をきいてきた相手に嘘をつくことになり
秘密を破れば、私に対して嘘をつくことになる

私に対して正直なら他人に対して嘘つき
他人に対して正直なら私に対して嘘つき
正直者は嘘つきなんですよ
全ての理論がこのように矛盾することを論理的にきちんと証明したゲーテルは偉い!
科学は絶対に間違ってるけど絶対に正しいのさ!(これが一元論となる)
だからこそ僕は科学を信じる!

価値観

2013-08-17 15:46:18 | 大きな哲学
世の中は思想で溢れてる
「ああするのがいい」「こうするのがいい」
色々な人が違ったことを主張する
どれが正しくてどれが間違っているんだろう


「どいつもこいつも詐欺師ばっかりだ」
そういう風に考えたあなたは価値絶対主義者だ
「何かが絶対に正しくて、それ以外は全部間違っているはずだ」
「間違いは正さねばならない。詐欺師どもに罰を与えるべきである」
こうして何かを狂信し、それに従わない人間を攻撃し始めたら原理主義者と呼ばれる


しかし、多くの人々は価値相対主義者だろう
「何かが絶対に正しいとは限らない。勝った方が正義になるだけだ」
「多数決で勝つためには多くの人々の賛同を得る必要がある。多くの人々にとって都合の良い話(詭弁)をした方が勝つのだ。偉そうにしてて皆から反感を買ってる奴を叩いて、社会的弱者が可哀想だと主張しておけば大体勝てるはずだ」



そうして価値相対主義者の一部は虚無主義者へと変化する
「議論はどちらが正しいかを決めるのではなく、どちらが多数派かを決めることしか出来ない。我々の全ての活動は正しいとも間違っているとも言えてしまう無意味な行為なんだ。全ては無意味。こんな世界に生きる意味はない」



現在では、価値相対主義に基づき、色々な価値観を持った人々が混在した社会になりました。ゲマインシャフト(共同社会)からゲゼルシャフト(利益社会)へと移行したのです。
一方で、価値多元主義というものがあります。これは、価値観が異なる者で住み分けをすべきだという考えであり、昔のような閉鎖的な社会に戻ろうという考えです。
この方が効率的なのですが、色々な価値観に触れる機会がなくなり、ほとんど全ての共同体において、よそ者を排除する習慣が生まれると考えられます。


一元論なんて信じなくてもいいからね

2013-01-07 21:01:51 | 大きな哲学
残念だが、一元論が大事なので、今回の記事はその補足のようなものである
学校が始まるので、次回の記事がいつになるかは分からないが、その時はきっと
新しく興味深い価値観(陰陽五行説とか)を紹介できると信じたい(できなかったら心の哲学に入る)
この記事で私のブログの一元論に一旦区切りをつけて、しばらくは封印したいと思う


まず「=」の意味についてだ
これはA=Aのようなトートロジー(無意味な繰り返し)ではなく
A=Bのように、表面上(表記)は違うが、本質が同じ(同質)である場合に用いる
例えば「明けの明星」=「宵の明星」=「金星」といった感じである
数学においてこの一元論は、表す数が同じである場合の「=」のみに適応されるようで
1=2=3=・・・=自然数、と表記したら、数学者に怒られてしまうのである(苦笑)

しかし、数ではなく概念に対して適応するなら、数学者は我々哲学者の意見を蔑ろにはできまい
「直線」=「円」であり、その本質は【円】である、というのは「一元論者」には当たり前の話であろう

直線は半径無限大の円である
円であるが故にその両端を定義することはできない
「両端()は繋がっているに違いないが、それを我々が想像しうるかどうかは全くの別問題である」と述べておく

私はゼミの発表で殻模型と呼ばれるものについても述べることがあった
「原子において原子核の周りを電子がまわっているのと同様に、原子核において陽子核や中性子核の周りを中性子や陽子がまわっているのである」と述べたのだが、これこそがミクロな世界の面白さであるなどと言ってうまく誤魔化しておいた
この話をきちんと理解するには、フラクタル的な考えと一元論的な考えの両方が必要であり、視聴者にそれを強いるのは酷であった
人智を超えているのは明らかであり、想像することは原理的に不可能かもしれないが、頑張って理解してもらえるとうれしいです

次は三段論法についてだ
A=BかつB=CならA=Cであるだとか
A<BかつB<CならA<Cであるといった論である

例えば、「明けの明星」は「金星」であり、「宵の明星」も「金星」であるから、「明けの明星」は「宵の明星」であるという風になる
もちろん正しいに決まっているのだが、「=」の意味を理解していない人間にとっては間違いに見えるのかもしれない
え、僕が間違ってるって?
誰か「リンゴは赤いというのはリンゴならば赤いという一方通行の矢印であり、その逆は成り立たない。リンゴ→赤いであってリンゴ←赤いではないのだ!」
俺「いやあ、【=】と【は】を同じものとして扱いたいという前提を共有した上で言わせてもらおう。子供の頃の遊びを思い出して欲しい。りんごはあかい。あかいはいちご。いちごは小さい。小さいはすな。......【=】が特定の性質の等しさを示す記号だとすればうまく説明できるよね。少なくとも国語における【=】はこれでいいだろう」
あくまでも私が否定するのは国語における三段論法であって、数学の世界に限って言えば三段論法は正しいのだ。まあ、現実の説明には全く役に立たないという意味であるが。


もう一つ例を挙げると、「ぐー」は「ちょき」より強く、「ちょき」は「ぱー」より強いので、「ぐー」は「ぱー」より強いという風になる
もちろん正しいに決まっているのだが......いいや、間違ってるよ!
今回の場合は「相性」が全く考慮されていないね
ポケモンとかが有名だし、【相性】を理解するのに役立つかな
とにかく三段論法を現実問題で使うのはやめておいた方が良いということだけを確認したつもりだ

最後に、逆説(パラドックス)についてだ
例えば「アキレスと亀」
亀の方が先にスタートして後から足の速いアキレスが追いかける
アキレスがスタートした時の亀の位置にアキレスが追いついたとき、亀はそれよりも少し先(位置1)に進んでいる
位置1までアキレスが来たときに、亀はさらにその先(位置2)に進んでいる
位置2まで....(以下略)
アキレスは亀に永遠に追いつけないというパラドックスだ
普通に計算すると、当然アキレスが亀に追いつく時間が出てくる
実はこの話、アキレスが亀に追いつくまでの時間しか見ていないのだ
つまり、今と未来を見ずに、過去だけを見ているような話である
このように物事の一側面だけを見ると、その本質を見誤ってしまうかもしれない
他の例:「全ては無意味である、だから自殺します。」というのは、世界の虚無的側面だけを見た場合に得られる結論である
それは確かに正しいが、同時に間違っているのだ


物事の本質だけを見せることはできない
表面と本質は具体例においてセットでしか認識され得ない
だから複数のセットを見せることで本質を浮き彫りにするのが一般的である

分類における一元論:君も私も人間。人間も犬も動物。動物も植物も生物。と言う風に一つにまとめていく
絶対と相対と虚無における一元論:有が無い=無が有る()
考える意味:裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏を読んだ僕の負けでした(*≧∀≦*)
過度の一般化:一元論は過度の一般化である。独我論を過度に一般化して、「全ての人間に心がある」などというふざけた考えを持っている人間に対してのみ有効である。
一元論はそれ自体に自己批判を含んでおり、他理論からの批判を一切受け付けないということも知っておいて欲しい。
一元論に則って考えると、半分正しくて半分間違っているという状態はなく、全ては100%間違っていると同時に100%正しいのである(正しい=間違っている)
一元論は、全てが一つであり唯一無二であるという考え方であり、無個性的なもの(全部同じだもの)はすべて個性的(全てであり一つしかないから)なのである
また、一元論は本質についてのみの話であり、人を見かけで判断している人々にはあまり説得力の無い話であるが、逆に中身で判断している人を批判するのに適している
一元化するのもしないのも同じこと、信じるのも信じないのも同じこと。自由に束縛できないことを自由と呼ぶのだ。
。一元論については語り尽くせないので、自分で暇なときに考えておくとよい

おわり←

関連:(三段論法)妻より1円の方が良い? (論理と意味)

一元論(全てはひとつ)

2013-01-04 16:24:54 | 大きな哲学
「明けの明星」も「宵の明星」も【金星】の一側面にすぎず、その本質は同じ(一つ)である
このような考えを一元論といいます(↔多元論)
他にも「電場」と「磁場」の関係や、「性善説」と「性悪説」の関係などを
この一元論によって綜合することができます

これを用いると、実は「一元論」も「多元論」も【一元論】であると言えるし
「絶対」も「相対」も【絶対】であると言えてしまいます
寛容であるということは不寛容に対しても寛容でなければならないという矛盾や
他人に価値観を押し付けてはならないという価値観を他人に押し付けるという矛盾が
実は一元論の正当性を示すと同時に、一元論によって肯定されるのです

「一神教」も「多神教」も本質的には【一神教】です
例えば多神教における神々が、キリスト教における数々の天使や悪魔だといえます
キリスト教におけるに当たるものが、多神教における神々を生み出した何かに対応するのです
多神教はそれを神とは呼ばない、それだけの話です
すべての宗教対立は解釈の違いによるものであり、本質的は無意味である

この考え方に対抗できるのは、無宗教とか虚無主義と呼ばれるものしかありません
矛盾を肯定するか、虚無を肯定するか、実はこれも一元論で.......

※虚無主義では虚無が神の役割を果たします
※もちろんどこまで一元論を適用するかはあなたの自由です

高学歴ムカつくから叩いとく

2013-01-03 02:11:22 | 大きな哲学
パブロフの犬についてはもう説明したよね
あれは機械的に効率良く課題をこなす残念な生き物だ
まあ、そうなるように訓練されるわけだが.....

官僚については知っているよね
感情を排し、機械的に効率良く仕事をこなす素晴らしい道具だ
では早速、高学歴を批判していこうか

上の情報だけでもう読まなくても分かっちゃったかな
東大、それは最もレベルの高いパブロフの犬を集め
特殊な訓練を施すことにより、政府の犬に進化させるための機関である
「進化を手伝ってくれるなんてありがたいよね!皆東大を目指して頑張ろう!」

Twitterでフォロワーさんの一人に
「官僚についてどう思うか」と尋ねたところ

個々の感情や欲望に引きずられて横領や汚職が起きるのであれば、
公務員のパブロフ化は妥当だと思います。むしろ理想と言っていい。
国家は人でなく、人の欲望を制御する機械であるべきではないでしょうか?


と、東大を目指す高校生らしい素晴らしい回答がもらえたので

ヘタリアに対する批判、ありがとうございます。そして、さようなら←

と、条件反射的に返信させていただきましたw
(ヘタリアは国家を擬人化したアニメです)
そうすると

あっ(察し)。ああっ!!(付加される後悔)

と返信がきました。彼のフォロワーにはヘタリアクラスタが大勢いますからね
この失言を容認するとスパブロされまくって、Twitterから抹殺されるでしょう
このような方法で相手の間違いを正すやり方を「問答法」と言います
ソクラテスがよく使った戦略ですね、「産婆術」とも言います(説明略)
このような戦略により、戦わずして勝つことができるのであれば
戦術なんてものは必要ないのですが、いつもこううまくいくとは限りませんからね
また、ソクラテスの弟子兼彼氏であったプラトンは
私のような哲学者が王となり、国を支配する「哲人政治」を理想としました
哲学のできない愚民どもによる衆愚政(民主政の堕落形態)により
師匠兼彼氏であるソクラテスを失ったプラトンだからこそ、そのように考えたのでしょう
民主主義に則って、大勢の馬鹿が数の暴力を行使する
私もそんな政治は嫌なので、ここはプラトンに賛同します
タイトルに反して最後には「低学歴のゴミども消えろ!」となってしまいましたが
私は一体どこで道を踏み外したのでしょうか

最後、あまり関係ないけど気になった話を一つ
ベンサムの功利主義は「(最大多数の)最大幸福」を目指すものである
だから我々が彼女を集団レイプしたのは、功利主義的に正しいのだ!

いろいろ考えてみてくださいね、それではノシ

宗教とか目障りなんですけど

2012-12-31 14:45:32 | 大きな哲学
資本主義ってすごく宗教的なんですよね
元々、アメリカの資本主義はプロテスタンティズムに基づくものであるし
我々を反日だという資本主義者の連中は悉く
「天皇万歳\(^o^)/」とか、宗教的なことをやっている

それに対して我々共産主義者は全宗教を全否定します
宗教は争いの種でしかありません
信教の自由とか認めるから殺し合いが起こるんですよ
あんな気持ちの悪いものを信じて、マインドコントロールされて
本当に可哀想な人たちでいっぱいです
自分は無宗教などと言っている資本主義者
どうしてその矛盾に気づかないのだろうか
矛盾は悪である、悪は排除すべきである
争いを生む宗教も悪であるし、全部禁止すべきである

まだ紹介していない日本に蔓延るくそったれな日蓮系宗教を紹介しておこう

顕正会:「日本はもうすぐ滅びる」などと言って、入信を迫ってくる
断ると、いきなり怒り出して、殴ってきたりする
入信するまで監禁される場合もあり、過去何度も警察沙汰になっている
また、鉄道マニアを装って勧誘してくる蠅川原がウザイことで有名

創価学会:公明党を使って不正に日本征服をたくらむ悪の団体
自公連立政権を樹立した際、自民党と良くない関係を持つようになった
ほかの政党(特に自民党)に多くのスパイを送り込み、裏で日本を支配しようとしている
折伏と称して、他のありとあらゆる宗教団体と争うことを好むため、とても嫌われている

顕正会は肉体的暴力、創価学会は精神的暴力により、多くの日本国民を苦しめている
資本主義を捨てない限り、この国を救う手立てなどありません
共産党に清き一票を!

しばらくは共産主義の立場でしか書けない記事を書きますから、資本主義者は読まない方が良いかもしれません

ロールズの正義論とか

2012-12-30 21:45:36 | 大きな哲学
今までの記事:個人主義とか功利主義とか資本主義とかの立場からの記事
これからの記事:全体主義とか義務論とか共産主義とかの立場からの記事

いきなりなんだよ、って思うかもしれませんが
ちゃんと説明するためには相手の立場に立って記事を書く必要があると考えたので
しばらくの間、今までとはほぼ真逆な価値観の人間を演じて記事を書くことにします
記事の質が落ちるので、がっかりしたくない方は、これ以上読まないでください


さて、今回は、ロールズの正義論だ
功利主義では、確かに全体としての幸福量は増えるのだが
それを一部の人間のみが独占するため、底辺の人々はちっとも幸福ではないのだ
この不平等性を克服するために、ロールズは、「もしも自分が最底辺の人間だったら」
という状態を考えることによって、最も恵まれない人々の生活の質を上げようと考えたんだ
そして、それこそが「正義」だと考えわけだ

自由と平等とは両立し得ない観念である
このような関係をトレードオフと呼ぶことは覚えておいてくれ
資本主義は自由を重んじた結果、不平等のピラミッドができるし
共産主義は平等を重んじた結果、不自由のプラミッドができる
そして、今の私は自由よりも平等を重んじる立場にいるわけだ


この世界が、外側の世界の何者かにとっては、単なる手段にすぎないとしたらどうだろうか
要するに、金儲けのためにアニメを制作するような感じで、この世界が生み出されたという場合だ
これは非常に虚しいし、生きていることが本当に無意味でしかないと思う
カントの義務論は、このような【愛のない世界】を全否定し、【目的の王国】の実現を目指したものであった
「もしも神がいたら世界が滅茶苦茶になるからそれはありえない」などと言う人がいるが
その神が愛を持って我々の生活を決めてくれる限りは、世界が滅亡するようなことにはならないはずである


私はあまり自由が好きではない
自分にできる仕事を与えられ、それをこなしてさえいれば、多少好きなことをすることができる世界
ほとんど皆平等で、窮屈ではあるけれど、戦争や貧困で苦しんでいる人々のいない世界
何をするか、自分で思い悩む必要はないんだ
全部システムが決めてくれる、僕は黙ってそれに従えばいい
国家の枠組みは消え、売国奴がどうこうとかいった話は全て無意味となる
みんなほとんど同じだから、余計なことで傷つく心配はほとんどないわけだ
人々が苦しみから解放されるなら、自分の自由くらい犠牲にしたって構わない
私が間違っているのか?もういい、私は自分の信じる道を行く。以上


ヘーゲルの弁証法とか

2012-12-21 22:34:30 | 大きな哲学
弁証法とは「矛盾を肯定してやることで更なる高みを目指そう」という思考法である

ある考えがあり、これが絶対的に正しいとすると
他の考えは絶対に間違っていることになってしまう
「本当にそうなのか?」ここで原理主義に陥らずに
絶対的に正しいと思っていた考えに疑問を持ち
自分の解釈の方に問題があったのだと思うようになる
額面通りの意味に受け取るのではなく、真の意味を考えようとする
そうすることで、何が本当に正しいのかが分かるようになる
文字通りの意味で捉えると、表面上矛盾している考えなのですが
深くまで見ていくとうまく結びついている、と言っているのです

ある考え(正:テーゼ)に対して
別の考え(反:アンチテーゼ)を考慮し
これらの考えを止揚(アウフヘーベン)することで
より素晴らしい考え(合:ジンテーゼ)にたどり着く

弁証法は自分一人でできるため、特に対話は必要とされない
また、考えを複素数として表し
正=a+bi 反=c+di 合=正×反=ac-bd+(ad+bc)i
のように考える人もいるようだ
実部(我々が普段目にする表面部分)では対立により引き算となっているが
虚部(我々が普段目にすることのない深層部分)では足し算により高め合ってる的な?
まあ、私の知ったことではないですねw←

弁証法は私が愛用する道具なので
このブログを読んでくれている方は
今まで説明なしに何度も見せられてきた手法だと思う
具体例など私のブログにたくさん転がっているので自分で探して欲しい
間違いは見つけ次第修正する次第でありますノシ

追伸:例えば「中道」
これは両極端の教えをヘーゲルの弁証法により止揚した結果生まれた
「あるがままに生きるのが良い」という素晴らしい教えです
決して「真ん中がいいよ!バランスが大事だよ!」などという
小学生並みの低レベルな考えではないのです
まあ釈迦がどのように考えたかなんて私の知ったことではないのですがね
そんなことより、仏教徒からの批判のコメでブログが炎上しないか心配ですw