「我思う故に我あり」というデカルトの言葉は有名ですね
いろいろな解釈がありますが、私なりに説明すると
相対的に色々な人がいるかもしれないけれど
私は他の人とは違う
何故なら私は
自分の存在を疑い
自分の存在に確信を持てたのだから
「自分の存在だけは絶対だ!」と言える
今までの記事を理解できてしまった方には
きっと簡単に理解できてしまうのでしょうけれど
実際に「自分の存在だけは絶対だ!」と他者に言うのは
全く以て無意味なことです
だってその価値観が絶対だと思っているのは
あなただけなのですから
他者Aにとっては
あなたの存在ではなく
他者Aの存在だけが絶対なのです
この考え方に従うと
最初にあるかもしれないと思って仮定した
他者の自我(他我)なんてものは
別に無くたって良いということになります
こうして生まれてきた
自我を持たない他者のことを
哲学的ゾンビと言います
哲学的ゾンビは自我を持たない点以外
自我を持つ人間と全く同じです。
周りがみんなゾンビの世界に生きるなんて嫌?
主な逃げ道は二つ
一つはあなたもゾンビになってしまうこと
無我の境地ですよ?ほら、悟っちゃいましょうか?
もう一つは狂うことです
え?
だから
周りの奴らはゾンビだから
何したっていいじゃないですか?
この考え方を持つと
大胆な行動が取れるようになります
まあ、ゲームだと思って気楽に
人を殺して金を奪ってしまっても構いません
哲学者は自由です
自分の好きな価値観を持つことができます
全てを疑うことで自由を獲得したあなたは
自分の望む現実を生きることができます。
さようなら。もう戻ってこなくて良いですよ?
関連:独我論に対する否定
無主体論(あまり扱ってないけど)
追伸:自分が哲学的ゾンビだと思っているものに話しかけるのは実にバカバカしいです
これは石や草木に語りかけるようなものです
別にそれがバカバカしいとは思わないのなら
あなたはかなり変わった価値観を持っていると言えます
私はそんな人とこそ仲良くしたいんだけどね...。
いろいろな解釈がありますが、私なりに説明すると
相対的に色々な人がいるかもしれないけれど
私は他の人とは違う
何故なら私は
自分の存在を疑い
自分の存在に確信を持てたのだから
「自分の存在だけは絶対だ!」と言える
今までの記事を理解できてしまった方には
きっと簡単に理解できてしまうのでしょうけれど
実際に「自分の存在だけは絶対だ!」と他者に言うのは
全く以て無意味なことです
だってその価値観が絶対だと思っているのは
あなただけなのですから
他者Aにとっては
あなたの存在ではなく
他者Aの存在だけが絶対なのです
この考え方に従うと
最初にあるかもしれないと思って仮定した
他者の自我(他我)なんてものは
別に無くたって良いということになります
こうして生まれてきた
自我を持たない他者のことを
哲学的ゾンビと言います
哲学的ゾンビは自我を持たない点以外
自我を持つ人間と全く同じです。
周りがみんなゾンビの世界に生きるなんて嫌?
主な逃げ道は二つ
一つはあなたもゾンビになってしまうこと
無我の境地ですよ?ほら、悟っちゃいましょうか?
もう一つは狂うことです
え?
だから
周りの奴らはゾンビだから
何したっていいじゃないですか?
この考え方を持つと
大胆な行動が取れるようになります
まあ、ゲームだと思って気楽に
人を殺して金を奪ってしまっても構いません
哲学者は自由です
自分の好きな価値観を持つことができます
全てを疑うことで自由を獲得したあなたは
自分の望む現実を生きることができます。
さようなら。もう戻ってこなくて良いですよ?
関連:独我論に対する否定
無主体論(あまり扱ってないけど)
追伸:自分が哲学的ゾンビだと思っているものに話しかけるのは実にバカバカしいです
これは石や草木に語りかけるようなものです
別にそれがバカバカしいとは思わないのなら
あなたはかなり変わった価値観を持っていると言えます
私はそんな人とこそ仲良くしたいんだけどね...。
当然僕は独我論よりもスピリチュアルの方が嬉しいですよ。