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イチョウの下のよもやま話

埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ

《考える》という事 下

2016年09月23日 | 日々之法話
それに、科学で発見されたものや、
思索の中で到達した哲学や思想、
芸術や文化も全部、
それ等は 考えた人だけが理解しているんじゃなくて、
それを学んだ多数の(場合によっては数人の)人が
解り、共感し、賞賛する。

更にはそれ等「考えたもの」「考えたこと」を発展させる。

仏陀から智顗に、智顗から最澄に、
伝教大師からあなたに(!?)





つまりは、「考え」というものは
自分だけのものでは無い。

誰のものとも言えない。



「考え」は普遍的なものである。

だから「考える」は小さな自我から脱却でき、
自然にも社会にも同化できる事なのだと思う。

「考える心」それ自体に
自分を同化させて幸福になる
という事を考えてみようと思う。

「チョコレートは美味しい」という考えって
普通的な考え。

みんなで甘い幸せになりましょう♡