同性婚については、社会的な地位と権利が受けられるという意味でメリットがあるんでしょうけど、…まあちょっと思うところがあるよね。
世間的に存在が認められる、というレベルを超えているような希ガス。タイムラインは同性婚いいんじゃね?という流れになってるけど、正直私は少し複雑。
なぜなら、最近の傾向としてやたらと「声の大きな一部マイノリティ」が出張ってるので、あまりに行き過ぎるとサイレント・マジョリティとの摩擦を呼びそうな気がするんだよね。生命というか存在の危機を感じた時の、本能的な拒絶というのは強烈なものがあるよ。何らかのきっかけでキツく出るかも。
キモいとか気持ち悪いという感情・感覚というのは、以前も言ったけど「自分の価値観や環境、感覚とは異質の存在に対する不快感」からくる言葉で、それは理屈が通じない部分なんだよね。
私は社会システムとして同性婚を浸透させるのは、まだ早いと思うんだ。今はやっと存在が認められる段階なのに。
カップリングにあぶれた先の同性愛の増加は、それはそれで自然なことなのかもしれない。ただ家族とは一体なんだろうな、と思い返す時に、性急に改革するにはあまりにその部分は重いんじゃないか、と思ってる。自分たちは良くても、不快感を秘めている人も多いんじゃないかな…
ま、私も正直、同性婚じたいには違和感が取れないんですよ。あくまでも私個人の感覚ですし、古いと思うのですけど。
もと腐女子としては、人類は基本的にバイ・セクシャルであるという持論はくつがえりませんけどね。わざわざ社会システムに組み込まなくても…というのが正直な感想です。
もちろん弾圧とか逮捕とかとんでもないと思うし、社会的に同性愛もありだよね、と認められるいまが一番いい落とし所じゃないのかなと思うんですけど、そこで権利を主張しだすと反発が生まれるのでは、と懸念しています。
人の欲望とは限りがありませんからね…
せっかく軟化し存在を受け入れはじめた段階で、やれ「あれもこれも」と主張しだすと、それは「存在を脅かすもの」として警戒され、今までの苦労が水の泡となってしまう可能性は、わりとあると思うんですよね。実際に反発はそこここに出始めているので。
とはいえ、昼にタイムラインに流れていた、なんちゃって生物学でのアレは酷すぎるというか、あまりに幼稚な論理ですね。子供が出来るかどうかで話してしまえば、不妊で苦しむ夫婦なんてどうなるか。子孫を残せなかった家族なんて昔からいくらでも存在しているのですからね。
千手院さまは慈悲深いなあ。
ちゃんと問答の中でお答えもされているのにね。それに気がつかないとは、なんという蒙昧さかと。
いやはや、他人ごとではありません。
.@Na_Universe 「シンパシーを感じるから食べない」という主張が食べない事への返答であるとしたら、「シンパシー(正直ちょっと意味がわからないです)を感じない人は食べてもいい」という事になりますよね?
まあ「罪深い」だの「こんな坊主は有難みなさそう」だのと最初から議論する気のない方ですから、ころあいを見計らってセーラームゥソでいいかなーと思ております。
.@Na_Universe 質問の意味がまったく解りませんが、慈悲の心が全ての生き物に伝わるのだとしたら、それは素晴らしい事でしょうね。で、拙僧からの質問は答えるつもりはおありですか?無いなら、これで終わりにしたいと思います。また、持論がありましたら結論まで先に全部出してください
.@Na_Universe いえいえ、朝のお勤めは、とうに終わっておりますので大丈夫ですよ(*´▽`)そうですね、全く意味がわかりません。何故この文脈で「慈悲」の言葉が出てくるのか。そこから説明いただけませんか?解らない質問には答えようもありません。持論を全部述べてください。
というか「慈悲の心が全ての生き物に伝わるのだとしたら、それは素晴らしい事でしょうね。」と述べてるんだけど、それでは答えとしては不十分なんだろうな。
私も偉そうなことは言えないけど、生命というものは基本的に生まれた時点で他の生命を喰らわねば生きていけない存在だと思ってる。植物だろうと生きてる。他の命を犠牲にしないと、存在すら出来ない修羅場がこの現世なのですよ。そして私達はそこで生きている。
もちろん足るを知り、命に感謝しながら無駄な殺生をせずに生きていくことが理想だとは思うが、「命の千引き」を「相手に対してシンパシーを感じるかどうか」にしてしまうと、いざ「シンパシーを感じない人には何をしてもいい」という事になってしまう。それはとても恐ろしい話です。
そもそも「慈悲」とは?
違う命に対し、人が偉そうに慈悲などと、よく上から目線で物事を考えられるものですね。
そもそも私達こそが、他の生命の慈悲により生かされてる存在なのにね。
地球を守るとかいう言い方、本気で嫌いです。
地球に守られてるんですよ、我々は。
(まあ、実はシンパシーを感じるかどうかが基準になっている事が、全ての争いを呼んでいる原因となってるのかもしれませんね。実際はそれが世界各地で基準になっている事実は揺らがないですからね。)