あっこちゃんも言ってるけど、羽生の後半のクロスとか明らかに蹴れてなくて、本当に見てられなかった。ジャンプの転倒もそうだけど、普段と違うなってすぐわかるから。
てことでまともな思考回路になったとこでプロトコル見てたんですけど、減点されるとこはされてるし元々基礎点高いもの組み込んでて、(恐ろしい)後半3A+1Lo+3S決めちゃうしだから点数は理解できた(*・_・)ノ pic.twitter.com/evRB4Itcmj
割とコアなスケオタ(しかもロシアンクラスタ中心)しかフォローしてない(本垢のほうね)から、「感動した!」ってコメントがほとんど現れない、といのは、実際とかなり乖離した状況なんですね。いいのか悪いのか。
よくよく考えたら、ずっと羽生やハンヤンの演技を見てきた人にとってはいつも演技とぜんぜん違うってすぐにわかるから感動もなにも不安しか覚えないよね
羽生とハンヤンの激突シーン見てなくて良かった。映像も今後見ない。怖くなる。自分で滑るのも。
現場の羽生ファンは羽生を追ってただろうから、激突シーン見てトラウマになってないといいんだけど…。
これはあくまでもウチの旦那の言う一意見なのですが、旦那は「あれで良かった。あそこで棄権してしまったら、もう二度と滑れなくなる」と言うんですよね。アスリートは怪我やトラブルはつきもので、特に今回のような重篤なアクシデントの後に成功体験を持たなければ、そのまま潰れてしまうと。
私はとても納得出来ないんですが、彼は自分もそうだし兄弟や仲間たちがそうやって怪我を乗り越えて戦ってきたさまを見てきているんですよね。
つくづく、格闘技なのだと思います…。
私は完全に、にわか&文系人間だから、肉体をつかった限界の世界で戦う人たちの事はわからないのかも…とか。
恐怖は誰にでもある。でもその境界を乗り越えなくてはいけない領域もあるんですよね。だから今回のことを単純に一般化して考えることは出来ないんじゃ、と思うんです。
もちろん、事故防止のための対策、今後のためのガイドライン作成など、ここから安全策が広がればいいと思いますが。
事前にいろいろ情報があっても素知らぬ顔ですごい演技をして、終わった後にインタビューで「実はね…」とあざとい一面を見せるプルシェンコを羽生は見習うべき。素知らぬ顔でできない時は無理しないところもね。
何度も言うが、発想がデタラメすぎる。そもそも入り口に人が集まってないのだから、いくら介護職員になるための敷居を下げても人は集まらないし、ただ介護サービスの質を劣化させるだけだ。【介護業界の人不足解消となるか? エコノミックニュース】 smar.ws/jqmW7
今はどの介護現場でも人材が枯渇している。なので「現場で職員を育てる」余力は大変限定的だ。現状では、ある程度下地を整えた人材を現場投入する形にしないと、利用者への虐待や事故数を増すことに繋がりかねない。今の介護現場は、敷居を下げて素人を大量投入し現場で育てる方策に耐えられない。
当たり前の話だが、素人を大量雇用するためには、その分だけベテラン層の人材を教育に回せるだけの人的余裕も不可欠になる。介護現場はそこからして欠乏してる状況なので、今は専門学校などで一定水準基礎的な能力を会得した人材を多く排出してもらえるような社会的支援が必要な状況なのだ。
金メダリストの子供教室でスケートを習う→ジュニア大会で最年少記録更新→地元仙台で大震災に遭う→ボランティアしつつ練習→五輪金メダル、GPファイナル、世界選手権の三冠達成→休養せず翌シーズンも出場→練習中、流血事故があるも滑りきって2位、号泣。これで19歳。少年マンガを超えている。
私たちは大変な「伝説」を目撃している最中なのかもしれない。
「今後は医療体制を整え、医師判断で競技を棄権させられる制度にすべき」という話と、「今回の羽生選手の決断と演技に感動し賞賛すること」は、両立すると思っています。前者は粛々と進めればよいし、後者は大いに語り明かせばよいのでは。「その話を突き詰めると」って、別に突き詰める必要ないし。
高校野球でも箱根駅伝でも「体に悪い」「命の危険がある」という話はしょっちゅう出ます。相撲取りの平均寿命は一般成人男子より明らかに短いし、女子マラソンの選手は生理が止まるそうです。そこで語られるべきは「美談にするな」でなく、「ならより安全にするべく枠組みを整えよう」ではないですか。
自然状態の生物は危機に陥った場合、その危機的状況から少しでも早く逃れなければならないので、本来ならばリミッターとして必要である痛覚を敢て遮断して行動しようとする。たとえ後遺症が残ろうが、より危険な状況から脱して生き残る選択をする。
但しこれは合理的な判断ではなく、飽くまで動物的な行動で、将来の計画も何もあったもんじゃない。
心と体が分離すると、肉体的に苦痛を感じていても、精神はそれをそんなに大事なことだと思わないので、そういうことに鈍感になる。カロリーがホントに不足してても、肉体的には苦痛を感じているのに、精神がそんなに緊急性のあることだと思えないから、面倒で放置することも出来るようになる。
そのうち肉体的な危機にも鈍感になるので、危険なことにも泰然としていられるようになるんだが、実際この状態はとても危ない。
実際、この感覚は瞑想で比較的簡単に体験できます。慣れるとすぐできる。
慣れなくても持久系の運動で肉体をギリギリまで疲弊させると健康簡単に作り出せる。