仁徳天皇が淡路島より見られた島々は淡島、おのごろ島や檳榔之生えている島です。それから、再び、
“佐気都志摩美由”
と、書かれております。この二つの間には、何も書かれてはおりませんが読み手としましては、やや間を置いて読むのがいいのではないでしょうか。
「おのごろ島等のずっと向こうの方に、その形は見えないのですが、恋しい黒日売がいるはずの吉備の国「黒崎」のある「サケツシマ」が見えているはずだ。」
ぐらいの解釈になるのではないかと思います。
さて、では、この「サケツシマ」は何処でしょうか???サケは酒です。ツは津です。酒津のある島だということになります。現在、倉敷市に酒津がありますが、この一帯は、太古、仁徳天皇の時代です。酒造りが盛んだったことを意味します。なお、ここで言う「太古」とは縄文時代の終わりごろ紀元前5,6世紀の事です。その当時は、日本では「米造り」はまだ行われていない時です。やっと北九州等日本の一部の地方にしか米造りが行われてはいません。米による酒造りが行われるは仁徳天皇の父親である応神天皇時代のことです。
でも、吉備の国では早くから黍を使った酒が作られていたことが記録からも分かります。この吉備で作られてお酒を全国に輸出する港「サケツシマ」が、黒日売の住んでいる所辺りにあったはずです。その「サケツ」という名が天皇のお耳にも達し、その辺りに住んでいる黒日売に、是非、早く会いたいものだという心が「サケツシマ」という字の中に込められているのではないでしょうか。だから、一端 「・・・阿遅摩佐能島見由」という言葉で区切っているのにもかかわらず、再び、「佐気都志摩美由」といったのではないでしょうか。本居宣長にも「詳ならず」と言わしめた島ですが、私はこのように解釈しております。