BioDoxology

生物と映画と政治とマレー・インドネシア語にうるさい大学生の戯言

マレーシア旅行(3)

2011-08-09 15:59:22 | 雑記
 ちょっと日が経ってしまいました。申し訳ありません。急いで書きます。

 8月2日夜にクアラルンプール(KL)のホテルに到着し、数々の困難を乗りこえて眠りについたわけだが、3日朝には荷物をチェックアウト後まで預かってくれるように再び頼まなければならない。その不安からか、朝目覚めるまでに2、3回、フロントで荷物を預かってくれと英語で頼む夢を見てしまった。夢の中では毎度上手くいっていたのだが、直後に目が覚め、夢の中で成功しただけか、と何度かがっかりした。

 アラームをセットした午前6:15より少し前に目覚める。一応予定通りにウェイクアップコールもきた。あまり時間がないのですぐ朝食をとりに1階へ行く。「コーヒーはいかがですか?」と聞かれ、コーヒーが嫌いなのだがうまく英語で断ることもできないので、とりあえずYesと答えてしまった。朝食はバイキング形式で、たくさん食べて外で腹を壊すのも怖かったのでバゲット2切れとヨーグルト、ハム、スライスチーズ、トマト、そして例の巨大キュウリを少しずつとって食べた。


スプーンやナイフと比べるとキュウリの大きさがなんとなくわかるだろうか。

 食べ終わったので部屋に戻り、荷物を整理して出る。もうチェックアウトしてしまう予定なのでおさらばだ。そしていざフロントへ行って、今チェックアウトして明日の夜7時まで荷物を預かってもらえるか、と尋ねると、快く応じてくれた。よかった。これで一安心である。チェックアウトしてホテルで使った金額を観て唖然。ルームサービス70リンギット、電話10リンギット、冷蔵庫からもらったエビアンウォーター2本が30リンギット。計110リンギットも取られた。エビアン1本15リンギットはどう考えてもぼったくりだ(ガイドブックによればちまたの売り場での相場は1.2~1.5リンギット)。いまさら仕方ないが。ホテルを出たら、最大の関門であるバス停への移動が待っている。

 マラッカへ行くには、ホテルの最寄駅Raja ChulanからモノレールでHang Tuah駅へ行き、そこからアンパン線という電車に乗り換える。そしてBandar Tasik Selatan駅で降りれば、ホームから直通の今年できたばかりのバスターミナル、Terminal Bersepadu Selatanがある。そこで同時期にちょうどマレーシアに滞在している同級生と合流し、Transnasional社のマラッカ行のバスのチケットを買う、という予定だ。

 地図を見る限りホテルからRaja Chulan駅までは道を渡って少々歩くだけ。ホテルの職員に方向だけ聞いていこうとするのだが、道が渡れない。KLは道路にほとんど横断歩道がなく、歩行者は車やバイクの間を縫ってわたるしかない。通勤ラッシュ時には渋滞が激しいので楽に渡れるが、まだ時間が早いせいで車もバイクも結構なスピードで走っている。その上歩行者より車優先の文化らしく、道に立っていても全く止まって譲ろうとしてくれない。すりに遭わないようリュックを前に背負う(語法的に変化)のが一番安全だと旅行代理店でいわれその通りにしていたので、素早く動くのも大変である。思い切って一車線を突破するが、二車線目の車が来て道の真ん中で立ち往生し、バイクが近づいてきたので逃げるように二車線目もわたりきった。地元の人はなれたように巧みに車の間をすり抜けているのだが、初心者にあの度胸はない。

 無事、モノレールのRaja Chulan駅に到着。切符は窓口で駅員と話して買わなければならない。翌日のKL観光でも電車を多く使うと思ったので、20リンギットのプリペイドカードを購入した。改札はポールを回して通り抜けるタイプのものだった(日本だと駅より博物館で主流のタイプか)。モノレールは予想以上に小さく、朝7時台にしては乗客も少ない。しかし初めての外国の電車なのでやたらと不安になる。リュックを前に背負って不安そうに突っ立っているのだからいかにもカモである。あまり安全に注意しすぎた格好だと、逆に浮いてしまって危ない。若干乗客に見られている気がして恐怖感も募ってくる。何とかHang Tuah駅についてアンパン線のホームを発見。プリペイドカードで改札を通ろうとするが…通れない。このカード、モノレールでしか使えなかった。路線を選ばず使えるのはTouch'n Goという日本のSuicaのようなカードだったのだ。痛恨のミス。というか、事前にネットで調べて分かっていたのに、なぜモノレールでモノレール用のカードを買ったのだろうか。焦って理性を失っていた。仕方なく20リンギットのTouch'n Goを買う。ここでも、わざわざ買わなくてもよかったのに、と今になって思うのだが、やっぱりパニックになっていると変なことをするものだ。財布の金が無駄に消えていく。アンパン線も小さい電車で、またしても社内で挙動不審になりながらも無事Bandar Tasik Selatan駅に到着。駅の案内板を見てバスターミナルに向かう。Bandar Tasik Selatan駅は割と大きく立派な駅で、外壁も白くてずいぶんきれいに見えたのだが、バス停に向かって歩いているうちに壁の裏がただのベニヤだと気付いた。先進国レベルに若干届いていないところがマレーシアらしい。

 バス停のビルにつくと、同級生を発見。日本人だ。知り合いだ。日本語が通じる。幸せすぎる。安心したのでリュックも背中に背負うことにした。彼は英語が堪能なので、チケットの購入は任せることに。ところが彼が英語で職員に話すと、マレー語で返され、「分かんないからやって」と自分にお鉢が回ってきた。早口で聞き取れないので「私は聞き取りが下手なので紙に書いてください」と頼み、何とかチケットを購入。迷いながらも目的のバスに乗ることができた。バスの中ではラジオが流れていて、マレーシアの歌の歌詞が一部聞き取れた。“Indahnya cinta saat muda...Cinta masa muda, cinta paling indah...”というサビで、「若いころの愛は美しい。若いころの愛は、一番美しい愛だ」といった意味だろう。また、長距離移動バスで高速道路を使うにもかかわらずシートベルトがなかった。日本語シックになっていたので同級生にやたらとしゃべりかけていたが、時期に疲労に耐えられず熟睡し、1時間半後ついにマラッカに到着した。

 バスを降りてターミナルを歩いていると、恩師のA先生を発見。5か月ぶりの再会だ。現地で起きたことを話すと「地元のマレー語分からないでしょう?」と見事に指摘されてしまった。まずは別のバスに乗り、マラッカの中心部であるオランダ広場に行く。オランダ植民地時代の赤い建物が立ち並び、日本ではめったに見られない赤レンガのキリスト教会がある。



 そのすぐ近くには、オランダ総督の公邸として建てられ、今は歴史博物館となったスタダイスというやはり赤い建物がある。館内にはイスラム商人がマラッカに進出した12世紀ごろから、マラッカ王国、東西貿易、ポルトガル・オランダ・イギリス・日本の支配、独立から現在に至るまでの歴史がたっぷり紹介されている。解説文は英語とマレー語どちらもある。アラビア文字が書かれた青白磁、マレー文化と中国文化が融合したニョニャ文化と呼ばれる色彩の器、伝統的な結婚風景、パン工房などとにかくいろいろある。面白いのは、再現されたオランダ貴族の部屋で、天井から大きな暖簾のような布が一枚下がっている。これは昔の空調のような物で、両端をマレー人の奴隷が持って動かし、部屋を涼しくするものだという。中国の王宮では皇帝をあおぐ大きなうちわがあったりするが、こちらの大きな布は、さすが暑いマラッカならでは。また、中国の明王朝で貿易艦隊を率い、マラッカに寄港した鄭和も紹介されている。鄭和はマラッカでとても人気のようで、丸々一部屋が彼のコーナーになっている。

 スタダイスを出て、隣にあるセント・ポール教会に行く。ポルトガル統治時代にたてられた教会で、あのザビエルの遺体が10年間安置されていたところでもある(現在は遺体はインドのゴアに、右腕はローマにある)。ほかにも何人かの墓碑が残っているが、実はそのうち1つは日本人の墓で、人名はないが「JAPONENSIS」と書かれていた。この教会はイギリス統治時代に破壊され、今では遺跡のようになっている。




教会内でギターを弾いているおじさん。「イマジン」を歌っていた。

 見どころたくさんのマラッカだが、この時間帯強烈な暑さと前日以来の疲労のせいで熱中症状態で、しっかり写真を撮っておけなかった。申し訳ないです。この通り、猫も2匹寄り添ってうだっておりました。



 次回はマラッカの下町をめぐります。

 

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