
望洋-31(宮古島)
20.宮古島 昭和19年(1944年)末には、3万人の陸海軍人が宮古島にひしめいた。 急激な人口増加に加えて、平坦な地形を持つ農耕地は飛行場用地として接収され、甘藷、野菜などの...

望洋−32(宮古島(続き))
20.宮古島(続き) 20.3.地元官民の活動 20.3.1.島外疎開 政府は昭和19年(1944年)7月7日の閣議で南西諸島 (沖縄、宮古、八重山諸島)からおよそ十万人の老...

望洋−33(宮古島(続き2))
20.宮古島(続き2) 20.4.証言(戦時下の官吏の業務) 前回の話で触れたが、当時の宮古支庁の経済課長であった東風平(こちんだ)恵令氏が「戦時下の経済...

望洋−34(宮古島に向かう)
(第5章 第四戦隊の漂流) 21.宮古島に向かう 話を挺進第四戦隊に戻す。 昭和19年11月16日第四戦隊の第一中隊と第二中隊が先発隊として、...

望洋−35(宮古島に向かう(続き))
21.宮古島に向かう(続き) 21.1.第一梯隊(続き) 21.1.3.僚船の爆発その3 爆発した池内群長の乗っていた船の隣を航行中の船があった。 第二中隊の赤塚中隊長達が...

望洋-36(宮古島に向かう(続き2))
21.宮古島に向かう(続き2) 21.2.第二梯隊 宮古島への第一梯隊が1月8日に座間味島を出航した。 後発の第二梯隊が出港するのは、その10日後のことである。 第二梯隊の...

望洋−37(漂流)
22.漂流 宮古島に向かった梯隊船が航行中に漂流した、その体験談について次に話したい。 ...

望洋−38(漂流(続き))
22. 漂流(続き) 次に、日本の最西端の与那国島に漂着した、隊員の話をしたい。 彼らは、与那国島に漂着し、ここから宮古島を目指して航海した。 米軍の偵察機・爆撃機に見つから...

望洋-39(漂流(続き2))
22.漂流(続き2) 22.5.原山群長たちの漂流 池内群長が乗っていた船が火災爆発した夜、原山群長達の乗っている船のエンジンが故障し動かなくなった。 そのため後は、波まかせ...

望洋-40(台湾漂着)
23.台湾漂着 久米島から宮古島まで直線距離で約220Km、宮古島と台湾は直線距離で約350Kmである。 第四戦隊第二中隊の赤塚中隊長の船を含め4隻が3、4日の漂流の末に台湾に...