goo blog サービス終了のお知らせ 
見出し画像

旅日記

望洋ー111(挺進戦隊戦没者慰霊碑建立)

65.㋹会(続き)

65.4.海上挺進戦隊戦没者慰霊碑建立

広島県安芸郡(現江田島市)江田島町幸ノ浦町に海上挺進戦隊戦没者慰霊碑が建立され、昭和42年12月3日に、関係者350人が参列し除幕式が挙行された。

12月3日朝宇品桟橋にて式典出席者の受付が行われ、出席者は船にて思い出の島々を巡り幸ノ浦の基地に向かった。

式典は斎藤義雄委員長(元第十教隊長)の開式の辞、音楽隊(自衛隊十三師団音楽隊の吹奏せる君代に国旗、特攻隊胸章を染め抜いた隊旗の掲揚で開始された。

次いで導師の入場、元第一次十教隊長・第二代特幹隊長の松山作二会長が式辞を述べた。 

そして、碑の除幕が行われ、”海行かば”の曲が流された。

古賀清隆(元第27戦隊)の経過報告、儀同保(元第2戦隊)吉田浩次(元第27戦隊)両元隊員に依る入魂に続き、読経、 焼香が行われた。

そして、海の友として旧海軍震洋隊を代表して益田善雄等各来賓の祝辞、祝電披露、感謝状贈呈、宇津木政幸(元12戦隊)に依る戦死された高橋功(元12戦隊長)の厳父の読まれた漢詩の奉唱説明、国立青年の家に寄贈する絵画「出撃」が披露された。

次いで遺族代表大下厳氏(沖縄で戦死された大下真男中尉(第2戦隊)の実兄)の謝辞があった。

斎藤委員長の閉会の辞で式典は終了し、大須小学校に特設された祝宴場で祝宴会を行った。

三時過ぎに祝宴場を後にし、海上供養の為船に乗った。

波一つなく穏やかな海上に一つ二つと灯籠は流されて行った。

夕陽に映えるその灯籠に平和への願いをかけ、慰霊の冥福を心より祈念した。 


(当時の写真:慰霊碑の後石碑があり、横書きで左から右に碑文が書かれている)

(第四戦隊員)

(令和2年(2020年)8月8日)

(慰霊碑の後の石碑が朽ちてきたのか、右前に新しい石碑ができていた。)

 

碑文

昭和十九年局の類勢を挽回すべく、船舶特別幹部候補生の少年を主体とし全陸軍より選抜せる下士官、将校の精鋭を以て編成されたる陸軍海上挺進戰隊は、二五〇キロ爆雷を装備せるベニヤ製モータボートにより一艇以て一船を屠るを任務とし、此処幸之浦の船舶練習部教育隊に於て昼夜分かたぬ猛訓練に励み、一戰隊以下三十ヶ戦隊が同年九月以降続々沖繩、比島、台湾への征途にのぼり昭和二十年一月比島リンガエン湾の特攻を初めとし同年三月以降の沖縄戦に至る迄壮烈鬼神も泣く肉迫攻撃を敢行しその任務を全うせし者は戦局の赴く所こむを得ず挺身陸戦に転じ奮戦せし者を含め戦闘参加の勇士二二八八名中再び帰らざる隊員実に一六三六名の多きに達し挙げたる戦果敵艦船数十隻撃沈、誠に赫々たるものありしも当時は、秘密部隊として全く世に発表されざるまに終われり。 

而して第二次訓練再開されるや第三十一戦隊以下十二ヶ戦隊が九州、四国、紀州の各地に展開し 米軍の本土上陸に備え更に第四十一戰隊以下十一ヶ戦隊は終戦時当地に在り原爆投下直後の広島市民の出残骸の整理に挺身活躍同年十月艇を焼き部隊を解散せり。

此等教育期間中の殉職者も数十名に及び各戦隊に配属されたる基地大隊も戦隊出撃後は陸戦に殉じ殆ど生還するを得ず。その運命を共にせるものの如し。 

祖国の為とは言え春秋に富む身を国に殉ぜし多数の若者の運命を想う時誠に痛惜の念に堪えず。

ここにその霊を慰め後世に伝える為この碑を建立するものなり。

昭和四十二年十二月三日

元教育隊長 斉藤義雄44期

所在地 広島県安芸郡江田島町幸之浦地区


65.5.㋹会と若潮会の統合

昭和42年昨年8月13日、小豆島における「特幹隊をしのぶ会」を契機として、旧船舶特幹隊関係者の結集は、急速に発展し、現在関東、近畿、広島、東海、北海道の各地区において、若潮会支部の結成が行われた。ただ全国的組織として、「若潮会」がまだ正式に成立していなかった。

一方㋹会は、同年12月3日に行われた、「海上挺進戦隊戦没者慰霊碑」の除幕式の翌日に宿泊した音戸国民宿舎で斎藤元隊長を囲んで報告会、最後に㋹会、若潮会の件につき今後の事を協議した。

結論として㋹会は若潮会へ併合一本化に努力すると云う事が全員の一致した意見として決定された。

昭和43年10月2日「若潮会」が発足した。

会長:斉藤義雄(元第十教隊長)、事務局長:儀同保(元第2戦隊)

 

65.6.慰霊碑顕彰会

陸軍海上挺進戦隊戦没者慰霊碑は、その後昭和44年(1969年)に若潮会員、戦没者遺族、地元幸ノ浦地区の人々と共に新しく慰霊碑顕彰会を設立し慰霊と戦没者の遺功を永遠に顕彰することを決めた。

この顕彰会は、若潮会とは別組織としたが、会長は若潮会の会長である中岡重成が兼任し、その他の役員の多くが兼任している。

顕彰会は随時慰霊大祭や小祭を実行していった。

しかし、会員たちの高齢化などにより、継続が困難となり、永代供養の方途を取ることにした。

平成15年(2003年)11月15日永代供養(教法寺)を行い、供養料500万円を納金し、顕彰会の活動を終えた。

 

<続く>

<前の話>  <次の話>

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「物語(望洋)」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事