
望洋−51(多良間島の㋹回収)
30.多良間島の㋹回収 海上挺進第四戦隊が駐屯地の宮古島に向かう航海で、時化に遭い数多くの船が漂流し与那国島、西表島、石垣島、多良間島、台湾に漂着した。 台湾に漂着した船以外は...

望洋−52(多良間島の㋹艇回収(続き))
30.多良間島の㋹艇回収(続き) 30.2.2.青木雅英 青木雅英県会議員は村の有力者であった。 昭和6年(1929年)から昭和8年(1933年)まで多良間島第6代村長に就任...

望洋−53(戦時下の宮古島)
31.戦下の宮古島 昭和19年(1944年)10月10日(火)のいわゆる「10・10空襲」が、宮古島における初空襲である。 その後の空襲は、年内は細切れに行われたが、ほぼ小康を...

望洋−54(戦時下の宮古島(続き))
31.戦下の宮古島(続き) 31.1.国民学校長の証言と記録(続き) 31.1.3.下地馨氏の日記抄 下地かおる氏は、博文館発行の中型当用日記を用いて昭和17年〜21年の満5...

望洋−55(戦時下の宮古島(続き−2))
31.戦下の宮古島(続き−2) 以下、瀬名波栄氏著の「先島群島作戦(宮古島)」から抜粋・参照した。 ...

望洋−56(戦時下の宮古島(続き−3))
31.戦下の宮古島(続き−3) 31.5.下地馨氏の日記抄(2) ここで、前述した下地かおる氏の日記のうち、昭和20年6月から7月の2ヶ月間の、主として戦争と...

望洋−57(終戦)
(第7章 終戦) 32.終戦 昭和20年(1945年)7月2日、米軍は沖縄作戦終了を宣告した。 この後米軍の矛先は本土に向けられ始めた。 7月に入ると食糧事情は更に悪化し、...

望洋−58(戦時中の先島集団における軍内の事件)
33.戦時中の先島集団軍内の事件 33.1.軍隊の不祥事 第二次大戦を通じ、国軍内で幾多の不祥事件が発生したが、軍の威信を保つため、その多くが闇から闇へと葬られ、殆んど外部へは...

望洋−59(南西諸島の日本軍降伏調印)
34.降伏調印 34.1.日本の降伏文書調印 昭和16年(1941年)12月8日早朝、日本軍が当時イギリス領だったマレー半島(現在のマレーシア)へ上陸し、その直後ハワイ・真珠湾...

望洋−60(沖縄収容所)
35.沖縄収容所 1945年4月1日に沖縄本島中部へ上陸した米軍は南北に分かれて進攻し、占領地域を拡大していった。 米軍は日本軍兵士と民間人を収容するために収容所を設置する。 ...