ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

アメリカで

2010-12-25 | 私の愛する仲間たち
私がアメリカに行った頃、ちょうどイースターあたりで 町のお菓子屋さんにはウサギのおかしやイースターエッグがたくさん売っていた。

その頃ベビーシッターをしていて、家には毎日あかちゃんへイースターのお祝いにベビーフードの瓶詰めとかを持ってお客さんが来ていた。

私は体が小さいから子供が子供の面倒を見ているように思われていた。

その子はだいぶ大きくなって、高校生になった。

その子と一緒に面倒見ていた二人の兄弟がいるけれど、これまたもう結婚した。
昨日掃除していたら二人の写真を見つけた。
一緒にゲーセンで遊んでる写真や、自転車に乗ってる写真。

いろいろ思い出した。
ベビーシッターの散歩で公園へ行った。
公園の滑り台でこけて唇を切った黒人の子供が泣いていた。
それを別な子供に教えられて駆けつけると、また別の子が「唇から血が出てるの」と教えてくれた。
「おかあさんはどこなの?」というとベンチで編み物をしている女性を指さした。

彼女のところまでその子を抱いて「すみません。あなたはこの子のお母さん?くちびるから血が出ているの」というとにらみつけるような顔をしてお礼も言わずにどこかへ行ってしまった。

帰ってからそのことを家にいたおばあちゃんに話すと、「そんな人もいるわ。うちの子に触るなと言う人だっているのよ。あなたはましよ。」と言った。

「私が日本人だからなのかな」というと「あなたはこの土地の人間じゃないってそれだけのことよ。日本人だってことは関係ないわ」

おばあちゃんと一緒に喫茶店へよく行った。
「maki、フレンチトーストの作り方わかる?バニラエッセンスを買って帰りましょう」

で、キッシュやフレンチトーストやクッキーの作り方を教わった。
私はイタリアンが好きで、よくピザを作ってやった。

おばあちゃんは「味付けのセンスがいい」と言ってくれた。

二人でカップラーメンを食べたこともあった。
あんまりまずくて「日本で食べたらもっとおいしいの。」と言った。
「じゃあ、日本へ行って食べるわ」と彼女は言った。

一度も日本へ来ないまま、あれからだいぶたった。

今でも元気だろうか。

私が子供産んで離婚したことまでは知っている。
「私には9人子供がいるのよ。末の男の子でもあなたより9歳も年上だけど私の娘になる?」と言われたことがある。

おばあちゃんは私がベビーシッターをしていた赤ちゃんの母親のことをよく思っていなかった。
昔の女性だからだろう。
私は右も左もわからないから、おばあちゃんの言うことを聞いていた。
それが嬉しかったのだろう。

私が寝ていると毛布を掛けてくれた。

アメリカで、一人で、ただ友達がいるだけでのむちゃくちゃな私は今思えば本当に適当で肝が据わっていた。

あの子供たちとおばあちゃんと私は大した観光地なんて行ってないし、近所のガーデンセールを見たりピザ屋で近所のおじさんとバスケットの試合を見たり、カラオケに行ったり、電車にのって買い物に行ったりするくらいでポストカードにあるような豪華な生活はなかった。

カラオケボックスでキングとクイーンというあだ名の黒人カップルがいて、二人はあだ名の通りその町一番の歌唱力だった。
私はビールを頼むと子供に見られて身分証を見せろと言われるのがめんどくさくて、いつもコーラばっかり飲んでいた。
だからクイーンは私に「またコーラを飲んでるの?とっくに大人なんだから気にすることないわ」と言った。
私はこの二人が歌うのを聞きたくてそこにいただけだから何でもいいのと言っていた。


大したことをはない時間。
ただまったりと過ぎた時間。
それがいつも最高だった。

ツアーではわからないことを経験していることが最高だった。

私が面倒を見た子供たちの写真を小さい額に入れて家に飾っている。
その子たちを見ていると、あのときの自分のことを思い出す。


今、私はその頃の私が想像もしなかった生活をしている。
今の私は過去の私のことを思って笑ってしまう。
私はホントにおかしなやつだった。

これからもおかしいやつでいたい。

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