ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

情が移っただけのこと

2009-03-09 | 自己啓発日記

私は正直子供を持つ前は人を好きになるという感情が理解できていなかったと思います。
気に入っただけと好きになる区別がつかなかった。
だから表現が悪いですが飽きが来るのは早かった。
相手の欠点を許せないし、待つだの我慢するだの馬鹿じゃないのくらいの勢いで 無駄な時間は過ごさない的な奴でした。

「愛情なんていずれなくなる。なぜ他の人たちは何年も同じ人を好きでいられるのだろう」と本気で不思議だったくらいです。

それが子供が生まれてからガラッと変わりました。
「なくならない愛情」というものがわかったのです。
なくなるどころかどんどん増えていく。じっと見ていると涙がにじんでくるくらいにです。

他のことにまで波及していきます。
その人を思って自分を変えようとしたり努力しようとします。
愛情であるか、ただのお気に入りなのかの違いは 相手のためを思うことの違いなのかなと思っています。

そんないろんなことを理解していくと、まだ愛情があるのかもうなくなろうとしているのかもわかってきます。

他の人からであっても、愛されているのか気に入られていただけなのかもわかってきます。

今では昔のように区別がつかないことはありません。
情が移っただけなのか、愛情があるのか、その差が理解できます。

これがわかるようになったのは子供という存在です。
音楽や、絵を描いたりする上で一番大切なことでもあります。

私を大人にしてくれた私の子供と、そのチャンスをくれた私の前の夫に感謝しています。

理解できないと言うより理解していないことを知らない人はたくさんいます。

知らないと言うことに気がついていない人は昔の私のように 自分のことしかかわいくなくてなんにも痛みも感じずに、そのまま年をとるのでしょう。

まず人を愛すると言うことを自分は知っているのかと考えたことが私の今を作ったのだと思います。

そして子供が教えてくれたことで「私だってできるんだ。他の人たちみたいにできるんだ」と思った瞬間でした。

きっと心の奥の方で、誰かのことをずっと一生懸命思う心にあこがれていたのかもしれません。

人を好きになるということをうわべではなく、口先だけではなく人を真剣に想う人はその人を思って自分と話をする人。

本物の愛情がある人はたぶんそんなに愛しているとは言わない。
そういわれなければ不安だと言う人は相手への愛情が言わせるのじゃない。

たぶん独占欲。

時間も距離も関係なくただその人の存在を感じて自分を上へと持って行けること。

そんなことができる人こそ本当の愛情を知っている人なんだと思います。 

コメント (2)
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