ぼうぼうの受験生&受講生日誌他

資格取得91個の受験・受講の記録や思い出、他諸々の独り言、初老(2023還暦)を満喫中、妻M子が大好き、行雲流水ナウ

【帰宅難民の一つの記録】

2018年03月11日 | ただの日記

2011年3月12日(土曜日)、そうです。帰宅難民として、会社で一夜を過ごして、その日の翌日

8時から携帯で、情報入手、交通機関の復旧状況を確認しつつ、昨夜に買いだめしたカップ麺を食して、10時、地下鉄などが動き出した。

目的地は、埼玉北部、普段は、上越新幹線ですが、到底無理

まずは、北上することを目指しました。

最寄駅は、「JR浜松町駅」

しかし、その時の状況、「浜松町」の込み具合を考慮しつつ、同一方向を目指す、5名で、同じ行動をすることで、まず、一歩を踏む出しました。

協議の結果、

地下鉄銀座線の「新橋駅」を目指し、上野方面へ

そこそこ、普段の混雑レベルで、銀座線に乗車、ほぼ順調に、上野駅へ

上野駅は、人で溢れていました。ターミナル駅、当然と言えば、当然

JRの改札に向い、列の最後尾を探し、御徒町駅方面へ、結局、最後尾が、御徒町駅付近でした。

それならと、今度は、JR御徒町駅から乗車を試みましたが、ホームは、飽和状態、来る電車も飽和状態、この時点で、12時になっていました。浜松町駅から徒歩10分の会社から御徒町迄移動するのに、2時間でした。

ここで、「腹が減っては、戦が出来ぬ」ということで、飯屋を探し、御徒町駅と上野駅の中間あたりで、「ランチタイム」

何とか、食事にありつけて、30分程度でしょうか?

5人で、再び、北上を目指し、上野駅から一つ先の鶯谷駅に移動することに!

結果、それが正解となり、鶯谷駅は、さほど混雑も無く、改札を通過、ホームへ、5分後に「山手線」に乗車、混雑具合もそれほどでもなかった。皆さん、上野で下車したのでしょう!

この時点で、そのままJRルートで、北上するか、私鉄(東武東上線)ルートで北上するか、協議の結果、2名が、東武東上線へ、小生を含む3名が、高崎線へと田端駅で別れました。

そうして、田端駅で3名が下車、幸いにも10分くらいして、京浜東北線、大宮行が来たので、3名で乗車、混雑具合も、それほどでもなかった。

詳しい時間は覚えていませんが、14時前位だったでしょうか?鶯谷駅から1時間強、それなりに、順調だったと思います。

大宮駅に到着、当然、高崎線、宇都宮線、は運転していません。

ここで、再び検討、そこで、妙案として、まずは、北上すべき、と考え、埼玉新都市交通が動いていたので、これに乗車、同時に、妻M子に「HELP」、待ち合わせの連絡、埼玉新都市交通の終点駅を目指しました。

ほぼ順調に、移動できました。

妻M子にも、上越新幹線に沿って、車を走らせれば、幹線道路とは、違うので、混雑もある程度、緩和しているだろうの「読み」とおり、小生達は、14時30分位だったか?そのころには、高崎線も運転再開をしたようですが・・・・・

概ね1時間待って、妻M子と合流、一緒に行動したメンバーと4人で、帰路へ、

道路も混雑、上越新幹線の側道、農道で、北上し、途中、途中で、2名を下ろし、我が家へ、17時位でした。

この、途中、途中の選択がBESTだったか分かりませんが、7時間を費やして、我が家に到着することができました。

帰宅難民は、二度と経験したくないですね!

再び、新燃岳が噴火、草津白根山付近も、まだまだ「歪み」、「ストレス」が解放されていないでしょう!

今度来ると言われる「東南海地震」もある。「首都直下型地震」もある。

その他の地震、活断層の活動も、「分からない」

長周期震動の恐ろしさも経験した。

どんな近未来?

4月1日以降に、発生してね!

「首都直下型地震」

(意見には個人差があります)


この記事についてブログを書く
« 【チャーハンを作る~~ぅ!】 | トップ | 3月10日(B29が300機飛来の日)... »
最新の画像もっと見る