戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

慶応四年八月二十二日 板垣退助日誌

2005年08月22日 | 板垣退助日誌
早朝猪苗代に向けて部隊を出発させる。猪苗代では会津藩兵が自焼して自ら退却して容易に猪苗代に侵入できた。
本陣を町中の右の山下にある武家屋敷において一旦ここで兵を休めて食事をとる。薩摩藩兵が休むに丁度いい屋敷をさきに占領したため、
土佐藩兵は先にある村にて休憩し、板垣退助も先に進んで本陣に戻らなかったという。
昼前に薩摩の川村純義の部隊は猪苗代に入り、午後四時ごろには十六橋にたどり着く。
川村純義は十六橋を撤去しようとしていた会津藩兵を追い払い、そのあと板垣退助らの部隊も到着して応援する。
新政府軍は十六橋を占拠して若松城への道を確保し、前方にある戸ノ口原の会津藩兵と対峙する。

この日土佐藩兵は戸ノ口村にて露営する。