Crónica de los mudos

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カリーナ・サインス・ボルゴ『スペイン人の母をもつ娘』

2019-04-18 | 北中米・カリブ

 カリーナ・サインス・ボルゴは1982年カラカス生まれ。

 今から5年前のインタビューを読んでみると、カラカス時代からジャーナリストとして活動し、2006年に24歳でスペインへ渡ってからは文化関係のジャーナリストとしてあちこちで書くようになった。そのころから始めたというブログは昨年8月を最後に更新されていないが、おそらくこの小説の刊行で忙しかったのだろう。5年前はまだどこの馬の骨という感じで、スペインへ渡り成功を夢見る32歳の作家にすぎない印象を持つ。そしてこの初の小説が、いま、スペインで話題になっている。5月のマドリード・ブックフェアの目玉となっていた。

 語り手はカラカスでジャーナリストをしているアデライダ・ファルコン。38歳の女性で、その彼女と同居していた同名の母アデライダの葬儀から始まる。舞台はまさしく現在のカラカス。アデライダの住むエリアでは、毎日のようにモトリサドスと呼ばれる「革命の息子たち」を自称するチャベス派の、政権寄りの半ぐれバイク集団が駆けまわり、デモ隊との衝突が頻発、路上に死体が転がっていることも稀ではなくなっている。物資不足から多くの人々が国を後にし、彼女の関係者もみな汲々として生きている。

 物語はアデライダによる荒廃したカラカス市街の観察、それと並行するように母との回想場面が混じる。回想から分かってくるのは、アデライダにとってはチャベス政権になったときにすべてが「良くも悪くも」変わってしまったという自覚があること、海辺の町で過ごした母との暮らしが幸福の原形となっていること、そして彼女の夫となるはずだった男が結婚式の直前にゲリラの取材中殺害されていることなどである。

 いまのアデライダにとってカラカスは地獄だ。母に先立たれた彼女にはもはや希望もない。

 話が動き出すのは、アデライダの留守中に彼女のマンションの住居が「革命の娘たち」を自称する(おそらく娼婦のような)荒々しい女たちに占拠されてしまってからだ。アデライダは抵抗するも、リーダー格の女に殴られ、家の外に追い出されてしまう。隣家の知り合いに手当てを受けたアデライダは行く当てもない。そのときふと、もうひとつの隣家のドアが開いていることに気づく。そこはスペインから移住してきて、カラカスに政治家相手の有名なレストランを出して成功したフリア・ペラルタという故人の娘、アウロラ・ペラルタが住んでいるはずだった。

 おそるおそる入ってみると死体がある。アウロラはなんらかの理由で病死をしていたのだ(ここがちょっとご都合主義的でしたが)。アデライダは必死で遺体をデモ隊参加者の遺体を焼いていた焚火で処理し、その部屋にもぐりこむ。隣家、つまり自分の部屋からは革命の娘たちが大騒ぎをする音が聞こえてくる。こうして彼女の潜伏生活が始まる。

 ある日、街で革命の息子のひとりに襲われたアデライダは、相手の男が学生時代からの昔なじみアナの息子サンティアゴだったことを知る(ここもややご都合主義的展開)。サンティアゴは反政権デモを率いる学生運動の指導者になっていたが、数か月前から行方不明になっていた。アデライダはサンティアゴを潜伏先の家にかくまい、事情を聴く。秘密警察の壮絶な拷問にあったサンティアゴは政権側のモトリサドを応援する密偵となる引き換えに釈放してもらっていた。学生運動家たちはこうしてどんどん暴力づくで政権側のスパイにされているという。

 やがて食糧配給を管理する役所の男があらわれアデライダの本来の家を占拠していた革命の娘たちを「配給物資の占有」で訴えにくる。マドゥロ政権の「いいところ」が描かれていたのはここのみでしょうかね(と語り手自身が言っていた)。一時は撤退するも、やがてまた戻ってくるだろう。女たちが去ったあと、自宅で思い出の品や貴重品を回収したアデライダは、潜伏先に戻り、アウロラ・ペラルタの情報を整理し始める。サンティアゴは去っていった。

 やがてアデライダは、アウロラがカラカス生まれでスペインの親戚とは手紙のやり取りしかしていなかったこと、自分と同じく独身で孤独な暮らしを送っていたこと、夫(アウロラの父)をバスクの過激派に爆殺された亡きフリアが相当額の年金を支給してもらっていたこと、いまだにその支給が娘アウロラの口座になされていることなどを知る。そしてアデライダはあることを思いつく。アウロラに成りすましてスペインに脱出するのだ……。

 後半は脱出劇で、全体としてよくできた一人称のサスペンスという感じ。いまのカラカスに住むというのが悪夢であるという事実はよくわかるのだが、裏表紙でガリマールの編集者がいうように「強烈で、感動的で、ラディカルな小説」かというと、前半2つの形容詞はまだしもラディカルかと問われたら難しいかも。むしろドイツの編集者が言っているように、夜通し読んでしまって、息苦しさのあまり思わず窓を開けたくなった、というのが当たっている。不条理な暴力の連続に、読んでいて息苦しくなる話なのである。

 アデライダが成りすますことを思いついたアウロラ、その亡き母フリアの話が面白い。このフリアには作者自身の祖母あたりの移民事情が反映されているようだ。内戦からフランコ時代、大勢のスペイン人がラテンアメリカに移住した。彼らの多くはそこで成功を収め、行った先の政治経済、文化活動に寄与した。近年、このスペインからの移住者を回想する文学も目立ち、大物ではイサベル・アジェンデの新作『海のながい花びら』がそうである。

 この小説をめぐっては、おそらく批評のレベルで代理戦争がはじまりそうな予感もする。日本にもいるらしい「21世紀の社会主義を応援する会」の人々にとって、この小説におけるベネズエラ市民の描き方、特にチャベス派、というよりチャベス信者といったほうがいいだろうか、カラカスの空港の名前にもなっている「永久司令官」を崇拝する学のない庶民の描き方を不当だと批判する人が出てくるものと思われる。私は文学作品に政治的配慮が必要だとは思わない人間だが、そういう人が世のなかに一定数いることも知っている。おそらく作者も知っているだろう。スペインくんだりに移住した小娘になにが分かる、と、同郷人に罵られることを。その覚悟は行間から感じ取ることはできた。

 政権批判めいた言葉はいっさいない小説だが、これを読んでベネズエラに渡航したいと思う人はいないはず。翻訳を介してとてつもないイメージ被害を与えるとするならば、まあ、ある種の爆弾的小説ともいえましょうか。カラカスの書店がまだ開いているとして、そこに並ぶことはまずなさそうだ。

Karina Sainz Borgo, La hija de la española. 2019, Lumen, pp.216.

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