
この時期に決まって訪れる国際絵本原画展。待ち合わせ場所の阪神香櫨園駅からいつもは「秋にしては暑いね」程度のところが、今年は「いったい季節はいつ?」と訝しみながら焼け付く太陽の下を汗だくで大谷まで歩く。
入り口には「物語の力」という絵本の原画。
猫の話す物語に夢中で聞き入るネズミたちが可愛らしい。
パンデミックでしばらく実地開催は見送られていたのが去年から通常開催、今年は世界中からイラストレーターや編集者が集まってにぎやかに行われたようです。戦争や世界的な気温上昇による大規模自然災害などが相次ぎ、今年は平和な暮らしの大切さを説くアーティストの声が会場中のビデオメッセージにも多かった。ウクライナからの亡命者による絵もあって、それなりに世相が反映されているようで、いっぽうではやはり絵本なのでどこか浮世離れした超越的な要素もあって。
選考に当たったアメリカ人のイラストレーターが言うには、子ども向けの絵本に必要なのは(元の英語は忘れたが)ある種の粗っぽさと素朴さで、見る側(つまり子ども)が想像力で余白を補っていけるようにあらかじめ「開かれている」こと、なのだそう。そう考えて全世界のアーティストによる5枚の絵と向き合うと、それぞれの良さが見えてくるような気がした。
余白の美というのは詩にもある。
研究というのは、良くも悪くも、そういう空間によって形成される立体的な美の構造を解釈の言葉で埋め尽くしていくという、実に野蛮で悪趣味な行為であり、私自身はいまそういうことから一歩下がって文学を読み直しているところ。収穫があったかと言えばそうでもないし、何もなかったというのでもないけれど、いいものはいい、という野生のセンスはたまに磨きなおしておかないと、私のようにがさつで無色な暮らしを送っていると摩耗しているのにも気づかなくなる。
階下の特集では数年前に受賞したメキシコのアンドレス・ロペスによる新作原画と本人へのインタビューが。この名前で単に「メヒコ」と入力して検索したら大統領がすぐに出てくるので「イラストレーター」を入れるとこのページに。ロペスをラピス(鉛筆)にしているわけか、なるほどね。でも未完成? いまどきは表現者もHPより各種ソーシャルメディアで情報発信する時代でしょうか。会場のビデオで見た彼はとても朴訥そうな人柄で、日々の(もちろんメヒコDFの)散歩のなかで拾ったものや見た光景が原動力なのだという。新作原画はセノーテから飛び立つ鳥たちの情景が鮮やかだった。
ボローニャの会場を映したビデオを見ていて、英語とイタリア語とスペイン語の行きかう様子が妙に懐かしかった。選考委員のリーダーを務めたグスティさんというスペイン人はたしかダウン症の息子との暮らしを描いた本が邦訳されている。彼は選考会議では英語を話し、その英語は明らかにスペイン語訛りの英語で私のような人間にはとってもなじみがあるアクセントで、また現地の人たちとはイタリア語で話もしていた。
アメリカ的でもイギリス的でもない英語を話す人たちの集まり、という風な場所が妙に懐かしいなと思うということは、私もそろそろ再び外国へ行くべき時期なのだろうか。この3年で「アマゾンさえあればもう死ぬまで大阪圏から出ないでもいいか」とか思うようになって、我ながらヤバいと思い始めています。