Crónica de los mudos

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マリオ・バルガス・ジョサ『あなたに私の沈黙を捧げます』

2023-10-30 | バルガス・ジョサ
 わけあっていろいろ調べているうちに日本に紹介されたころはジョサだったことが分かってきて、前々から不自然だと思っていたリョサではなくジョサでいいかと思った次第で上記の題名になっております。
 そのジョサの新作。
 そして最後になるかもしれない小説。
 を、最後まで疑問符がとれないまま読み終えてしまった。直前に仕事の関係で『ラ・カテドラルでの対話』の新訳を読み返していたこともあってだろうか、少し昔風の大きな小説を期待しすぎていたのかもしれない。近年の彼の作品群のなかではたとえば『シンコ・エスキーナス』などに近い軽めの小説と分類できるだろう。
 短い章ごとに異なる二つの語りが進行するいつものスタイルだ。
 奇数章ではペルー音楽評論家トーニョ・アスピルクエタのエピソードが進行し、偶数章は彼が書いている本『ラロ・モルフィーノと静かなる革命』なのだが、これが最初のうちは分からなくて、私などは6章あたりまでバルガス・ジョサ自身が書いたエッセイだと勘違いしていて、なんだかとんでもない路線に行っちゃったなあ~とか失礼なことを思っていたのである。
 50歳過ぎになるトーニョはイタリア系の三世だが、チョラ(いわゆる混血)のマティルデと結婚して貧しいビジャ・エルサルバドールで暮らしている。若いころにサン・マルコス大に研究者として残る可能性もあったが、あっけなくその夢がつぶれ、その後はジャーナリズムに記事を売ってなけなしの金を稼ぎ、家計は家事洗濯をするマティルデが支えている状況だ。二人の娘を学校に送り届けた後はセントロのアルマス広場のそばにあるカフェに陣取り、国立図書館で資料を漁るという日々を送る彼が、ある日、ひとりの学者に招かれて訪れたペーニャ(ペルーで音楽の公演を専門に行なうバーを指す)でラロ・モルフィーノという無名の若いサンボのギタリストの神がかり的な演奏にショックを受け、その後、彼のことを調査し始める。しかし数か月後にラロはリマ市内の病院で病死してしまった。トーニョは彼の身元を調べた末に、北部チクラーヨの近郊にあるプエルト・エテンという寒村の出身であることをつきとめる。ペルーはおろか首都からもろくに外出したことのないトーニョは、近所に住む親友で中国系のコジャウに金を借りてプエルト・エテンを目指す。そこで出会った神父モルフィーノから、ラロが村のはずれにあるゴミ捨て場で拾われた孤児であることを知る……。
 というのが奇数章のエピソードの前半部で、並行する偶数章では大きく二つのことが語られている。ペルーの文化を分かった人間が読むとここは実に面白い。ひとつは19世紀に生まれたペルー音楽バルスである。フォルクローレのようなアンデス音楽でもなければ、植民地時代のスペイン人の末裔が聴いていた音楽でもない、近代独立国家ペルーのしかも首都リマから生まれた音楽としてバルスが独自の歴史文化的意味を持つことを(トーニョが、そしてつまるところはバルガス・ジョサが)解き明かしていく。
 いっぽうペルースペイン語のワチャフェリーア、これは辞書で引くと「気どり」としか出ていないのだが、バルスの歌詞や曲調の感性全般に見られる感情的負荷のことをトーニョはこのリマっ子気質を指すのによく用いられる言葉で説明しようと試みるのである。
 ここまで聞いていたら音楽の話かと思いますよね。
 それが半分くらいから先はまるで違うのである。
 私自身は天才ミュージシャンであるラロの話をどう展開させるのか気になっていたのだが、そこはそれほどの広がりは見せず(ちょっと期待外れ)、後半にかけては偶数章(4分の3ほどで終了する)の本を刊行したあと、第一版が思いがけない反響を呼び、第二版が出てさらなる反響を呼び、ついにはチリの学者に招かれてサンティアゴで講演までし、最終的には憧れだったサン・マルコス大に20年前に書きかけだった博論を提出して講師採用されるトーニョ自身の創作家としてのドタバタが中心になっていく。そして第三版の完成のときに大変なことが待っている…という流れは、ものを書いて推敲を繰り返しているうちにイマジネーションが膨らみ過ぎて大変なことになるという、ジョサの世界でいえば『フリアとシナリオライター」の系譜の文学者ネタの作品なのだということが分かってくる。
 トーニョは、音楽が分断状態にある(センデロのテロがまだ吹き荒れている1990年代という時代設定)ペルーを結び付け、ペルー人に真の平和と愛をもたらすという夢想にどんどんとはまっていく。いっぽうで若いころ患っている神経症の一種、ネズミ恐怖症に悩まされてもいて、極度の緊張状態になったり対人関係に不安を覚えると体をはい回るネズミの幻覚に襲われて公衆の面前で全身をかきむしってしまう。トーニョの育む夢想と残酷な現実世界との対比がページをめくるにつれて際立って行き、それがクライマックスにもつながっていく仕掛けになっている。
 私自身は本書をバルガス・ジョサによる「ペルーとの最後の対峙」として受け取った。彼が自らの言葉でそれを書かず、ペルー音楽という理想にかけるひとりの冴えない評論家の夢として描いたのはもちろん小説家だから。でもトーニョの言葉、つまり偶数章の大半は人間ジョサの言葉として読むことができる。そしてその言葉をひとつにまとめると「結局ペルーのことは自分にはよくわからないよ」という案外、というか予想通り、非情に真摯なものになっていると感じた。決めつけもせず、憶測もせず、断言せず、ただ分からないと言っている。特にアンデスをはじめとする非ヨーロッパ的なもの、近代文明に逆らう地下的なものについて、それもペルーなのかもしれないが結局のところ理解はできない、という言葉に落ち着かせているように思えてならなかった。
 おそらく文豪最後の小説になるであろう本書は、アレキパに生まれて首都リマにやってきて、新聞社の見習いとしてセントロを駆け回り、その後はバルセロナなどヨーロッパを拠点に華やかな作家生活を送り、世界中に知られるイケメン小説家となって、1990年にペルーに帰って大統領選に敗北、その後はこの国と極めてデリケートな関係を維持してきたペルー人バルガス・ジョサの「祖国への手紙」なのだと思う。
 題名はラロが恋人に言い残した言葉なのだが、これは実はジョサ自身のペルーに対する献辞にもなっているのかもしれない。君のことは難しい、なのでとりあえず私には黙るしかない。
 本書には、トーニョの本という形ではあるが、バルガス・ジョサのような国際的知名度を誇る作家には太刀打ちもできないようなペルーのマイナー作家や詩人たちの名前が山のように現れる。まさかバルガス・ジョサがまともに取り上げることはないだろうと思うような作家たちの名前が次から次へと出てきて、私自身は、僭越ながら、ジョサとリマのカフェでお話しているような気分にさせられた。~もいたよな、ダメ作家だったけれど。~もいたよね、あんな詩は読むに値しないと思うけど。などなど。そういう意味では楽しい小説ですが、ペルー人とペルー文化にあまり明るくない全世界の読者には少しついていきにくい世界かも。
 それでも私は、ノーベル賞作家が最後に「全世界向け作風」をやや自制してローカルなものに向かってくれたことを、なんとなく誇りに思う。私はペルー人ではないけれど、ああ、やっぱりマリオがペルーに帰ってきてくれたんだ、というような心持になった。
 後書きには次の本のことも。
 それは「若き日の師」サルトルに関するものになるのだという。小説ではペルーとの決別(というか和解でしょうか?)を果たし、おそらくエッセイになるであろう次の人生最後の本では、かつての師にしていまや宿敵となったジャン・ポール・サルトルと対峙し、第三世界出身の作家としての自らの宿命を総括する。
 しかもそれを予告までする。
 几帳面で、生真面目で、しつこいほどに真摯で、そして何よりもこれまでになんらかの形で関わってきた仲間や敵たちのことを忘れない、彼らしい作家人生の締めくくり方だと思います。
 なお本書に再三登場するチャンカイとはペルー風の食パンのこと。言葉のレベルでもかなりディープにペルーなのが楽しかったです。皆さんがこれから読むならBGMはもちろんチャブーカ・グランダで。

Mario Vagas Llosa, Le dedico mi silencio. Alfaguara, 2023, pp.303.
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マリオ・バルガス・リョサ『(ペレス・ガルドスの)静かな眼差し』

2022-11-16 | バルガス・ジョサ
 学者の稼働時間における業務種比率、いわゆるエフォート率で教育が60%くらいを越えたような状況になって1年半、まさか50を越してこういうことになるとは思ってもみませんでしたが仕事は仕事、割と真面目にやっている間になにが削られたような気が。
 エフォート率は大きく分けると教育・研究・行政の3種、私の場合は最後のは大したことがないので前二者のうちの「いわゆる研究」のなかのどうしても削減できない執筆や翻訳のような作業系を除いた部分、要するに新刊書を読む時間、情報収集の時間が激減したようだ。
 スペイン語圏に行けていないのもある。
 おかげで頭は10年前に比べてかえってすっきりしたけれど、現代文学を看板にしていてこれでは失格だろう。
 すべてはコロナが悪いのさ……とニヒルに愚痴りたくなるところなのですが、私も含めて世界が停滞していたこの2年半に、巣ごもり状態で百年前の本を読みまくっていた人がここにいました。
 本書はスペインの19世紀後半を代表する小説家ガルドスのなんと「全作品書評」である。わかりにくい人のために簡単にイメージできるような言い方をするなら、ノーベル賞作家の大江健三郎が司馬遼太郎の全作品を読んでそのすべてにコメントをつけたようなものである。たぶん。
 ガルドスは多作で知られ、とりわけ人生終盤にかけて取り組んだ複数小説による一個の全体小説『国民挿話』が彼の名声を決定的にしている。
 というのはいわゆる建前の文学史で、私たち専門家が酒飲み話で口にするのは、ガルドスか~というため息交じりの感慨だったり、スペインのバルザック「の出来損ない」であったり、スペインのエミール・ゾラ「の縮小版」といったどちらかというとネガティブな言葉が多くなる。研究に取り組んでいる日本人も少なく、おそらく片手で数えられるだろう。私たちの前の世代の先生方のなかには、若いころにガルドス研究をしていたけれど作品がとにかく退屈で、そのうちにガルシア・マルケスとかに出会ってその世界に打ちのめされ、スペインから完全にラテンアメリカに乗り換えた、と語る方もおられた。
 世界文学化しなかった残念な19世紀小説家。
 それがガルドスだった。
 でも私がいま読んだり訳したりしている現代小説だって実は似たようなもので、百年後に名前が残っているかすら疑わしいものもある。読者と時間に淘汰されて生き残るという試練に少なくとも百年(少なくともスペイン語圏では)耐えてきたガルドスをバカにする資格など、少なくとも私にはない。
 さて本書は、冒頭にガルドスの生涯やその文学的な特徴を簡潔にまとめ、あとはひたすらに書評。けっこう短くて一冊につき5~6ページ程度で、『国民挿話』については1章40ページほどを割いてまとめて記述する。
 バルガス・リョサの結論としては、多作のガルドスにはいい作品もあれば駄作もある。世界文学史に名を留めるような革新をもたらした作家ではない(バルザックからディケンズまで19世紀を代表する大長編作家を「とても勤勉に追従した」とだけバルガス・リョサは書いている)が、少なくともグラン・エスクリトール、すなわち大作家であることには間違いない。
 ガルドスにあってもっとも評価すべきは、19世紀というスペインが最弱化していった時代、いわば衰退の時代の歴史をフィクションという形にして万人に共有させた点であり、いっぽう、もっとも残念なのは、フロベールで完成したいわゆる語り手に関する技巧をまったく身に着けていなかった(か知らなかった)その職人的な未熟さにあるという。
 バルガス・リョサは同じプロとしてガルドスの「未推敲」を批判している。とにかく書いたらすぐに印刷させる、見直すことをまったくしている気配がないと。見方を変えれば、それでもいい作品があったこと自体が彼の才能を証明しているともいえるわけだが。
 バルガス・リョサが評価する点、つまりスペインに初めて現れた現実の歴史を題材に書く職業小説家としてのガルドスの姿は、そうした存在がいまなお必要とされているかはさておき、司馬遼太郎のようなローカル史を題材に一般大衆向けの娯楽色の強い小説を書く作家が世界文学化しにくい状況を、私に違う角度から考えさせてくれた。近年のバルガス・リョサが高く評価しているコロンビアの作家フアン・ガブリエル・バスケスもコロンビアの歴史に題材をとった力作を発表していて、ガルドスに始まった路線は継承されているともいえる。いっぽうで、今日、世界文学化しやすい小説はよりローカル色の薄いものとなりつつあるのも事実である。小説が現実に起きたことを語りだせば自然と長くなるが、現代の小説読者はそういう情報共有をフィクションで行なおうとは思わないかもしれない。むしろより内面的で個人的な事象を3時間程度で体験できるような小説に、言語を越えて、よりシンパシーを覚えるのかもしれない。
 フェイクが歴史を動かす時代に歴史小説がどう生き残るか。
 それこそが実は、言語を越えた、世界文学共通の課題のひとつなのだろうか。
 エラそーなことを言ってはいるけれど、実は私は、ガルドスの小説は(申し訳ないですが翻訳も含めて)一冊も読んでいない。
 立場上、他に読むべきものがあるし、いまさら腰を据えて読んでみようかという気にもならないが、いっぽうで、私ももう歳が歳であり、長い時間を耐えて残った文学作品には学ぶべきものがあるという、この当たり前の事実を身に染みて感じるようになってきた。いいものを「いいねえ~」と言ってじっくり読みたい。ほんと。
 詩人の場合は、書いた詩の9割9分が駄作でも、1つでもいいものを書けば、それで読者の記憶や文学という時間を越えた集合アーカイブに残る可能性がある。それに比べて小説家は気の毒だ。書いた小説の3割程度がけっこう面白くても7割が駄作であればダメ作家扱いされかねない。
 だからガルドスのことも「長いだけの作家」なんて片づけるのは可愛そうだし、いちおうスペインという国にも関わっていることだし(観光旅行でもう3回も訪れたことだし)、きちんと読んでみよう。というときに、こういう本の素晴らしいのは、多作のガルドスのなかで優先的に読むべきものは何かが明瞭にわかることである。バルガス・リョサが選ぶ最優秀ガルドス作品は
          Fortunata y Jacinta.
          Misericordia.
          Doña Perfecta.
          Torquemada en la hoguera.
          El amigo Manso.
の五作だそうです。一冊目と三冊目は翻訳もある。
 ちなみにラテンアメリカ文学でこれと似たような「全作品書評」をするのに値する作家は誰だろう。やはりカルロス・フエンテスだろうか。これだけお世話になっているバルガス・リョサ先生について私がやるべきかと思うこともありますけど。

Mario Vargas Llosa, La mirada quieta (de Pérez Galdós). 2022, Alfaguara, pp.349.
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再掲:ケルト人の夢(5)

2022-07-22 | バルガス・ジョサ
(2011-3-28)
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 用務先(注:筆者は東日本大震災直後にペルーカトリック大への出張の行きかえりでこの本を読んだ)のことを少し話しておこう。
 メキシコのUNAMもペルーカトリック大も、学部間交流のマネージメントをする部署が国際交流にも多少噛んでいる(別途留学生センターもある)ようで、今回は昨年大阪で知己を得た大先生にお付き合いしていただいた。
 大学創設者のフランス人ディンティラックに関する記念集会をやっていて、フランス大使が演説しているところに遠くから呼ばれて(その前にボディガードに行く手を阻まれて)そばに座るとLe pido un poco de paciencia.(少し我慢してね)と囁かれ。カトリック大はペルー有数の私立の名門で、上智と慶応を足して二で割ったような雰囲気を想像してもらえればよい。
 その後、催しのカクテルで少しほろ酔いになった大先生に伴われて、キャンパスをうろうろしながら多くの先生方に紹介され、旧外大の人間は誰しもが大恩のあるサロモン・レルネル先生の部屋にも挨拶に伺い、最後にキャンパス内の本屋を見に行った。カトリック大の本屋は紀要の類も販売しており、研究者には使い勝手のいい品揃えである。小説のコーナーにマリオ・バルガス=リョサ(MVL)の『フリア叔母さんとシナリオライター』がたくさん。新入生全員に義務的に買わせているのだそうだ。
 つまりはタダで配っているというわけですか?と問うと、出版社に顔の効く人間を通じて学生の人数分特別に安く増刷してもらっているとのこと。で、数ヵ月後にバルガス=リョサ本人を招いて公開討論会のような催しをするそうだ。
 近頃の学生は本を読まんからな~と大先生はおっしゃっていた。
 いずこも同じである。
 そのMVLの『ケルト人の夢』であるが、アマゾンのプトゥマヨにおけるペルーゴム会社による先住民の搾取を告発したロジャーは、次第に極端なナショナリストへと変貌してゆき、同じアイルランド人の盟友たちからもそっぽを向かれ始める。このころのロジャーの立ち位置は微妙である。<このころ彼はしばしば自分の人生の矛盾について考えた。二週間足らず前にはイキートスの安ホテルで死の恐怖に怯える哀れな男だったのが、今の彼はアイルランド独立を夢に見るアイルランド人として、大英帝国がペルー政府に対してアマゾンにおける非道を正す要求をするのに手を貸してもらうよう、アメリカ大統領を説得すべく、大英帝国の高級官吏としてここいるのだ。(pp.320-321)>
 とくにコンゴ時代からのよき理解者でパリに住むハーバート・ウオードは、ロジャーのナショナリズムへの急速な傾倒に疑問を抱き、ことあるごとに皮肉を言うようになる。いっぽうのロジャーは植民地支配下に置かれている状況が諸悪の根源と思い込み、次第に分離主義者たちとの関係を強めていくが、ロジャーは帝国からサーの称号までもらっている有名人なので、それは分離主義者たちにとってもありがたいことであった。つまり看板として利用されてゆくことになる。
 第一次大戦勃発後、ロジャーはドイツへ渡り、捕虜収容所にいたアイルランド兵士を集めて義勇軍を作り、ドイツの兵站を頼んで本国に奇襲を仕掛けるという作戦を画策する。が、所詮軍人ではないロジャーは、IRBの幹部や末端の兵士たちの過激な殉教思想にも疑問を覚えるようになってゆく。
 偶数章では、最初はコンゴ、次にペルー、最後はダブリン・イースター蜂起までの顛末が語られているが、ここで奇数章を振り返ってみよう。ロジャー最後の牢獄での日々を共にするのは守衛の「シェリフ」である。ヴェルダンの戦いで息子をマスタードガスで亡くしたこの守衛は、最初、ドイツと手を組もうとして捕まったロジャーのことを売国奴扱いする。ロジャーはこの守衛の独白をひたすら聞くことになる。ちょっとMVLにしては珍しいお涙ちょうだいの最後も待ち構えているのであるが、嫌味は感じさせない。そして、息子を失って「自分の一部が死んだようだった」と孤独に涙を流す守衛の姿に、ロジャーは回想場面で自らの同性愛者としての遍歴を振り返ることになる。
 MVL自身があとがきで述べているように、ロジャーの残したいわゆる『黒い日記』は同性愛に関する覚書(今日~で行きずりの少年と3回、の類の)が含まれていたことから、処刑後にRIBがロジャーを英雄視しようとするのを察知したイギリス側によってアンチプロパガンダに利用され、そのイメージ(=裏切り者の同性愛者)が20世紀をとおして定着した感がある。MVLが言うように、日記の記述が実際に行われたかどうかは誰にもわからない。終生独身であったロジャーに同性愛の傾向があったことは確かだが、日記をすべて事実と見なすのも少々無理がある。虚構として操作されやすい対象であったからこそ、この日記はロジャーの黒い伝説を作りだすのに貢献してきたわけだが、MVLは逆にそこを利用してロジャーの人間性に陰影を持たせるのに成功している。
 いずれにせよ、この波乱万丈の人生を送ったアイルランド人の私生活における深い孤独が、守衛という鏡を通して訥々と語られているわけで、そのあたりは読んでいて切ないものがあった。
 純粋な正義に突き動かされていた情念が、自分の出自という泥沼に足元をすくわれて、次第に偏狭なナショナリズムに堕してゆく。MVLが独裁や思想的狂信を嫌うのは、実は自分自身のなかにそのような傾向があることを熟知しているからではなかろうか。植民地に生まれた人間の「つい熱くなってしまう」宿命を背負っているからではないか。そういう意味で、ロジャーはMVL自身でもあるのだろう。
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(2022年の後記)
先日、邦訳(岩波書店)の翻訳者、野谷文昭先生と作家の星野智幸さんを招いて8人の研究者がこの作品を語る場(東京外国語大学)に参加した。原作刊行直後に読んでいる上の私のコメントは単なる中身の紹介だが、この日は様々な角度から本作を読み直すことができて勉強になった。私がいま改めて思いをはせているのはバルガス・リョサがペルー人であり、ペルー人というのは実は国家主権を有して2世紀たつ国の人々だということ。ロジャーの生まれたアイルランドやアフリカ諸国やインドなどアジアの多くが20世紀の場合によっては半ばまで西欧諸国の植民地だったのに比べると、まがりなりにも不条理な支配構造を脱した体験をもつ国の生まれということ。先端的文明による搾取を受けてきた歴史的体験を共有しながら、それを克服して曲がりなりにも独自の路線(がたとえひどいものであろうとも)を歩むようになった地域の作家であるということで、おそらく今後もアフリカ諸国の文学文化などとの関連においてバルガス・リョサはそのような観点から読み直される日が来るのかもしれない。(了)
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再掲:ケルト人の夢(4)

2022-07-22 | バルガス・ジョサ
(2011-3-18)
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 コンゴからイギリスへ帰ったロジャーは次第にアイルランド独立主義者へと変貌してゆく。第一次大戦中にドイツの兵器を取り付けようとして逮捕され、裏切り者として刑務所に幽閉されていて、その回想が奇数章で語られているというのはすでに述べたとおりだ。1914年にドイツへ渡っていたロジャーは、小規模の軍隊アイルランド義勇軍を使って攻撃を計画していた。義勇軍のなかにも、あるいはその外部のシンパにも、まだ戦争が続いている最中にイギリスの敵国ドイツと手を組むのは危険であるという見方があって、ロジャーにとってもある種の賭けだったみたいだが、最大の誤算は身内のノルウェー人に裏切られて密偵行為の大半がスコットランドヤードに筒抜けだったこと、そして、ロジャーが知らないところで、義勇軍にアイルランド共和主義者同盟(IRB)の過激な戦闘家集団が潜り込んで事実上指揮を握っていたことらしい。結局貧弱な武器をドイツの潜水艦で運んで上陸したその場で逮捕されてしまった。このあと実行に移されたのがイースター蜂起である。
 いっぽう、ロジャーの偶数章での回想はコンゴから南米ブラジルへと移る。コンゴ報告書の騒ぎが一段落したあと、ロジャーはリオデジャネイロに領事として赴任するが、仕事はつまらない事務ばかりで嫌気がさしていた。そこへ、ペルー奥地のジャングルで現地の≪ペルーアマゾン会社≫がゴム採取のために先住民を不当に搾取しているとの報が舞い込み、渡りに船とばかりにその調査団に同行する。
 こうして、1910年8月、ロジャーはペルーアマゾンの中心都市イキートスへとやってくる。
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再掲:ケルト人の夢(3)

2022-07-22 | バルガス・ジョサ
(2011-3-18)
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 私は20年前コンラッドのペンギン版『闇の奥』をペルーに携行していた。読んだ形跡がある。その字を書きこんだのが自分であるとは思えない。なのに、今になってコンラッドが、バルガス=リョサと共に私をペルーへ、イキートスへ連れ戻そうとしている。図書館で新しい版を調べてみると『闇の奥』受容史という章を含む研究書があった。
 コンラッドというイメージが、何やらしかめっ面をして西洋の没落みたいな重いテーマを考える人間の三種の神器のひとつ、みたいな固定観念にしばられているいっぽう、コンラッド自身の変わった出自、つまり英語でものを書くポーランド人という、正当なジェントルマンでなかったこともあり、また彼の作品の方向性が書くたびに拡散していることなどから、これまでずっと、その時々で都合のいいコンラッド像がねつ造されてきたという。そういうことは仕方ないとしつつも、そんななかでコンラッドの文体のもつ軽やかな魅力が享受されていないとすれば不幸だ。コンラッドはユーモラスで大らかで大陸的だ、その作品は精読すれば楽しい仕掛けやハッタリがたくさんある。
 同書によると『闇の奥』は、それこそスタンリー本も含めて当時西欧で流行していた異界冒険譚のパロディだという。未知を求めて大冒険の末にハッピーエンディング、あるいは世界の果てまで行って自己実現完成、という類のある意味でいまなお再生産され続けている物語が大量に消費されていた当時、コンラッドの小説は辺境に行っても「最後にはなにも大団円が待ち構えていない不毛な冒険」を語ったのだという。
 バルガス=リョサの小説では、コンラッドとロジャーの邂逅はコンラッド自身の日記から引用されていた。その『コンゴ日記』というのはいかなるものか。
 『コンゴ日記』冒頭にこういう記述がある。日付は1890年6月13日。《Made the acquaintance of Mr. Roger Casement, which I should consider as a great pleasure under any circumstances and now it becomes a positive piece of luck. Thinks, speaks well, most intelligent and very sympathetic. (p.161)》 コンラッドはロジャーとコンゴで出会い、すっかり感服してしまったらしい。彼の『闇の奥』とロジャーの『コンゴ報告書』は、バルガス=リョサの筆を通して《ケイスメントの行った政治的糾弾と、コンラッドの行った芸術的結晶化は、そのように相互に浸潤するものを持っていたのであり、その意味でも『黒い日記』は、『闇の奥』を味わうために、ぜひとも重ねて読むべきテクストのひとつである。(武田ちあき『コンラッド 人と文学』2005年、勉誠出版、p.123)》ことが改めて証明された。
 小説に戻ると、コンゴ滞在中のロジャーの行動で唐突に挟まれる性描写がある。ロジャーは同性愛者だった。これは小説全体を通して別途考える必要があるので今は置いておこう。
 コンゴでの冒険を終え、ベルギー領での蛮行をヨーロッパに知らしめたロジャーは、出版に協力をしたジャーナリストのモレルと意気投合し、一躍時の人となるが、植民地の実態を知ったこのころからアイルランド独立運動へ傾倒してゆくことになる。
 そして、次にロジャーの運命を決定づけることになる旅は、南米ペルーで待っていた。さらに、ロジャーの東欧型分身とも言えるコンラッドもまた、南米を舞台にした小説を書くことになる。
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