<スペイン風邪はやや伝統的というか、洗練された人生観をもつ女性だ。そういうのを「昔なつかしい」女という人もいるかもしれないが、彼女がさほど頭脳明敏でもないことを考えると、それはあまりに遠回しな形容詞だ。誰も面と向かって言い出せないのは、実は彼女がスペイン生まれですらないこと。彼女はペスト――彼女より二倍も年寄りでしわしわのおばあちゃん――よりはるかにコンサバだ。本当のところは生きる意欲に欠けるだけ。歳月は長すぎた。彼女は生きるのがつらい。もし人間なら安楽死法に救いを求めていることだろう。
エボラとマラリアは主に貧しい国々で暮らしていて、そういう地域における人類の資源不足を糧としている。彼らは信仰深くはないけれど、西欧の人類がそういう地域の医療に投資をする決断をしないよう、毎晩お祈りをしている。それこそ真の大惨事になるからだ。
そして最後に僕がいる。知らないなんて言わせないよ。僕は最新型のパンデミック。アルファ世代とかいうらしい。24時間接続している生まれついてのネット世代だから。その証拠に、僕は歴史上はじめて、ツイッターのアカウントを有するウィルスになることに決めた。
これから皆さんに、僕たちパンデミックが人類の歴史といかに付き合っているか、どういう風に協力して人類を絶滅しようとしているか、僕たちひとりひとりのウィルスはどういう性格なのか、誰にも聞かれていないときにどんな話をしているか、教えてあげよう。以下に続くページでは、歴史上もっとも強力な(と僕たちが少なくとも考えている)パンデミックの生きざまと奇跡を、僕たちが交換し合っている WhatsApp. 画像の抜粋を交えてお見せしよう。私的やりとりを公開するのが倫理的によくないことは知っているけれど、みんなからの同意は得ているし(そうじゃなければこんな本を書かないよ)。
僕たちがみな人類を絶滅させたいのは知られているけれど、どうやってそれを実現してきたか、どうしてそこまで頑張るのか、きっと知りたいんじゃないかな。それに、人類絶滅の願いに加えて、僕たちパンデミックが共有しているもうひとつの資質がある。実はみんな理系じゃなくて文系なんだ。(31-33)>
パンデミックと文学に絡めて何か書くというかなり先のお仕事を引き受けて、あれこれ読んでいるうちに気付くと、こんな本を読んでいた……。いまやるべきことを真面目に続行せよ、と自分に言い聞かせてやりたいです。
書いているのはマリオ・デ・ディエゴ君というバルセロナ在住のスペイン人、ツイッターに投稿した文章をまとめなおした本書がスペインで売れているのだとか。アマゾンスペインの本、この1月あたりまで発注から受け取りまで長くて2か月ほどのブランクが生じていたが、3月になって元に戻りつつある。個人的には発注後2週間で受け取りというのがちょうどいい。どうせ5年前に受け取った本もロクに読んでいないのに…という後ろめたい気持ちと、すぐに触れてみたいという焦燥感、そのへんを整理するのに2週間ほど冷却期間があったほうが。
2月に受け取っていちばん落胆したのはバルガス・リョサの『ボルヘスと付き合って半世紀』という本で、ほんと期待していたのに、過去のボルヘス関係エッセイの単なる寄せ集めでした。スペイン語圏へ行く機会がなくなり、こういう「本が届いてみたらがっかり」という機会が急増中。なんだか若い頃に戻ったようで、これはこれでいいのかもしれないですね。
本書、冒頭にペドロ・バジンという作家が書いているように、あくまでこの状況をユーモアという観点から書いているものなので、不謹慎だ、とかケチをつけるのはお門違いの本です。コロナウィルスを語り手とするツイッターをそのまま編んだということで、第二言語話者の私が読んでいても「もう少し丁寧に書けよ」と言いたくなる文体で、そこの接続詞は porque じゃなく pero でしょ、とか思わず突っ込みたくなる箇所満載ですけど、ちゃんとした編集が入らないまま元のツイッターのもつ勢いを重視したのでしょうね。あと笑いの種として当然ながらスペインローカルのものが多く、スペイン現代社会の事情にゴシップまで含めて通じていないと本格的に笑えないという難点もあり、翻訳などを介した世界化は難しい本でしょうか。
それでも、スペイン風邪なる不名誉な名前を100年前に勝手につけられた国の人がこういう本を面白がっている、その現象はそれなりにやはり理由があるような気もするのです。少し振り返れば同じことが起きている。私たちはすぐにそういうことを忘れる。その時代の世界はいまほどパンデミックに興味を持たなかった。それが今は違う。なぜなのだろう。スペイン風邪に関する記憶を有さないスペインという国の現代人がそう思ったとしても不思議ではない。
取り上げられているパンデミックは順にスペイン風邪、マラリア、ペスト、麻疹、エイズ、天然痘、エボラ出血熱、そしてcovid19。これらのウィルスがネット上のミームとして擬人化され、ときどきワッツアップ上でコミュニケーションしたりする。
<c19:みんな元気? 今週末の予定は?
エイズ:重度の二日酔い続行中です。
チフス:出かける気になれないよ。いつまで続くかこの鬱。
マラリア:僕も地元から出られない。みんなに会いたいよ。
(天然痘さんがWhatsAppを退会しました。(54)>
ほかにも写真を使ったコラージュの戯画が満載で、ある種のビジュアル本と言えるでしょうか。最後にコロナウィルスは自分を語りだす。だって彼は世界中の人間が語る対象なのだ。そういうことはヨーロッパローカルのペストには起きなかったことだし、先進国でいまエイズやマラリアを語る人間はいないが、コロナウィルスのことだけは世界中の誰もが語っている。
それこそが彼の最大の特徴なのだ。
ワールドカップのあいだはスペイン語圏のほとんどの男性が自国チームの監督と化し、頼まれてもいないのに自国チームの戦術を語りだす。関西地方では4月になるとオヤジどもが一斉に阪神タイガースの監督と化すように。しかし次回大会まで2年を切ったいまなお、スペイン語圏の男どもはサッカーを語らず、むしろ自らサッカーを語るのをやめ、そしていまは彼のことを語っている。
自分はコロナを知っている。
自分はコロナ対策を熟知している。
自分はコロナに勝つ方法を知っている(勝つというスポーツ用語がこの1年ただの伝染病を語る際に頻繁に現れるようになった、世界中で)。
自分が対コロナ戦の監督ならこうする。
いやちょっと待って、僕にも言わせて。
というのが最終章。
アメリカや中国、EUをはじめ、世界中の指導者たちの悪戦苦闘ぶり(と無能ぶり)が笑いの対象になっているけれど、こういう本がとりあえず市場に現れているというのはまだスペインが健全な証拠でしょうか。
先日ふとテレビを見ると「聖火リレー」というものが始まったという。えっ、あの国際アマチュアスポーツ大会、ほんまにやるんですか?とわが目を疑ったのもつかの間、なんだかそういう方向で進んでいるのだとか。
うちんとこ、こんな状況なんですけど、これについてどう思います?とマリオ君に尋ねてみたくなりました。
奥付もユニーク。
<この本は2021年2月にバルセロナで製本された。コロナウィルスのパンデミックはワクチンのせいでこっそりと死に始めている……って本当かね。>
El Coronavirus de Twitter, Cómo acabar sigilosamente con la humanidad. 2021, ARPA, pp.204./コロナウィルスツィッター『人類をこっそり絶滅させる方法』