Crónica de los mudos

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ロベルト・ボラーニョ『路上』

2019-04-11 | コノスール

 今年アルファグアラから刊行されたボラーニョの雑文集。2003年にアナグラマから出ていたイグナシオ・エチェバリア編『余談ーエッセイ、記事、スピーチ(一九九八-二〇〇三)』の増補版で、追加されたのは80年代以前のものや、誰かの本の序文などが中心で、そう大きな発見はない。出展情報も巻末にあるのでこの作家の研究をめざすヤングな諸君、整理してみてはいかがでしょうか。ひとつ面白い発見は「インフラレアリスム宣言」だろうか。1977年に Correspondencia Infra という媒体に出たと書いてあり、その最初のページの写真も掲載されているが、どういう雑誌なのかはこの本だけ見ても分からない。

 題は『余談』にも含まれていたチリ詩に関するコラムのもの。チリの詩などネルーダ亡き今となっては世界の誰も相手にしてない、チリは詩の国などというのはもはや過去の話だ、チリの詩人は再び en la intemperie で生きている、誰にも読まれないから自分で人の詩を読む奴も出てきた、でもそれでいいのだ、そのうちまた書く奴も出てくるだろう。という主旨の、彼らしい愛憎ないまぜのやけっぱちな放言が次第に優しく見守る囁きに変わっていく。intemperie という語っていつも悩むのだが、野ざらしというよりは、安心できる家を持たない状態を指すと思うので、別にケルアックに引っ掛けたわけでもなく、思い切って「路上」でもいいのじゃないか。かつてヘスス・カラスコという作家の Intemperie というデビュー作を読んで(その後どうなったんでしょうかね、このランダムハウス・プロデュースの先駆けみたいな作家)ブログ上での訳語に悩んだ記憶がある。いっそのこと「流浪」とかマルロー風でよかったのかも。

 それにしてもペンギン・ランダムハウス・アルファグアラ(頭文字取ってPRA、プラ、とか略称にすれば?)、序文はホルヘ・ボルピで、袖の一言紹介はホルヘ・エドワーズ(ボラーニョとの共通点は「チリ生まれ」だけ)。それがどうした程度の話だけれど、なんだか少し悲しい。むかし田舎で付き合っていた垢抜けないけれど磨けば光りそうなものすごくいい女、別れて彼女だけ上京したあと、風の便りでブイブイ言わせていると聞いていたが、久しぶりに会って話してみたら、彼氏や知り合いはバカと金の亡者ばかりだと分かったときの悲しみ……に近い?