Crónica de los mudos

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シルビア・テロン『ウンブラ』

2019-04-05 | SF/ミステリ

  30何世紀か遠未来の地球。ハードSF的な設定描写はないまま、特定の章は正体不明の一人称で語られ、最初のうちは戸惑うのだが、徐々に慣れてくる。50年前に自転が停止した地球は泡と呼ばれる膜で覆われ、太陽光の届く世界サマスと影の世界ウンブラに二分された。ウィルスンの『時間封鎖』を思い出させる設定だが、自転が停止したのは過去の話として言及されないまま「停止後の闇の世界」を舞台に物語は進む。

 ウンブラでは自転停止後にある生物学的な変化も起きた。人が声を失ったのである。そして、いったん声帯機能を失った人間を汚染源として、ウンブラの自然界から音そのものが消滅していった。今では人の暮らさない自然生物が残された場所でしか音という現象を耳にすることはできない。小説の設定としてはこちらのほうが秀逸なアイデアだろう。人間の認知機能の変化に(放射能汚染を思わせる)自然界の変化が重ねられていくという。

 音が消えた代わりに見つかったのがエコラルという新たな化石燃料。琥珀色をしたこの鉱石は過去に人間が発した音声が結晶化されたもので、音の消滅と関係があるとみなされている。しかし停止ゼロ年にはありあまっていたそのエコラルも、今や貴重品となり、それを管理しているのはウンブラの首都「蝕の都市」にそびえる塔の住人達。エコラルは照明や燃料としての機能に加えて、今や唯一の娯楽となっている。それはエコラルに蓄えられた声の内容と、人の思考内容とをつなぎ合わせる専門職人「通訳者」を介した詩吟の会である。

 それ以外の人々は闇の世界で「触肌言語」という指で前腕部に触れて意思の疎通をするコミュニケーションに依存して生きている。通信手段は縄の結び目が使用されているが、これはインカ帝国で使用されていたキープ、結縄がモデル。食料は泡の外延部から調達され、蝕の都市を中心に太陽神信仰が盛んになっている。

 物語は塔で役人をしているベラ、塔でエリート層の翻訳者をしているディマス、エリート層の愛人をしているバルバラ、滅び去った音の世界を探求する考古学者のマルセル(ベラの夫)、辺境で音のある世界に触れる少女グレタ、この五つあたりが並行して進むのだが、ウンブラとサマスとの関係や地球を外部から遮断かつ保護する泡の正体など、謎は謎のままに進行していく。光と音がなくなったにもかかわらず人が生きていける世界で言語はどのような在り方をするのか、という思考実験にお付き合いしているような感覚だ。

 物語はウンブラ世界が出来上がった秘密、そして声と音の回復という二つを軸に進み、いったん構築された蝕の都市を中心とする秩序が崩壊し、辺境の荒れ地から新しい音の世界が生まれ直すという方向で進む。

 まずベラだが、彼女はあるとき、死んだ祖父が遺言を刻んだ結縄を見つける。そこにあったのはウンブラ創造にまつわる秘密の歴史だった。自転停止後に影の世界に残されてしまった人々は、自然界の変動を人間による資源の過剰採取によるものと考え、自罰的な宗教運動に走ってゆく。巨大なかがり火を中心とするこの運動は初期ウンブラ世界の秩序と化し、そこで多くの人間が粛清されていった。ベラは辺境でエコラルを収集している祖母フリーダに会いに行き、このときの経緯を改めて聞かされショックを受ける。フリーダも夫もかがり火の裁判における裁く側にいた人間だったのだ。その後、泡が発明されウンブラ全域から声と音が消えるとかがり火信仰は禁じられ、ウンブラに蝕の都市を中心とする新たなる「静寂の秩序」が構築されていく。

 バルバラは辺境で生まれた記憶の中に泡の発明者がいることを気にしている。彼女は蝕の都市を支配するフマガリ一族の長フェリペの愛人として、塔で一定の地位を得てはいるが、フマガリ一族の支配を覆そうと暗躍している闇の組織「蛍」とも通じている。

 翻訳者のディマスはフェリペ・フマガリ専属の翻訳者として塔で暮らしていたが、あるとき塔を降りて闇の世界に下り、辺境に住む伝説のエコラルコレクター、フリーダの家を目指す。そして蛍の暗躍もあり、あるとき、蝕の都市からいっせいに翻訳者が消えてしまう。翻訳者を失った塔の支配者層はこれまでの交流手段をいっさい遮断され、都市には無為と失望と不安が広がってゆく。

 いっぽう、フマガリ家の子フランは慕っていた翻訳者ディマスを探して自ら塔を降りる。肌触言語を知らない富裕層の子どもがウンブラの闇世界に降りることはまずない。フランは知り合った女性の家に落ち着き、そこでウンブラの庶民のコミュニケーション方法を学んでゆく。

 埋もれた都市パリの発掘に入れ込むマルセルは、辺境で暮らしていた少女グレタを引き取った。超能力のあるグレタは夢で過去のパリに暮らしていた人々の言葉を聞き取ることができる。彼女が夢を見た場所で発掘をすると、彼女が夢に見た通りの内容を刻んだエコラルが次々と現れてくる。グレタは泡の影響が少ない辺境に残るかすかな自然音を聞き取る能力があったのだ。

 ついに塔のあらゆる労働者が消え、新しい秩序を求めて辺境へと移動し始める。故郷へ戻ったバルバラは泥地で迷い、窮地に陥るが、救出された先で待っていたのは泡の発明者だった。泡はウンブラ全体を地球大気のすさまじい変動から守ると同時に、光が月灯りしかないウンブラに必要な透明建設素材としても役立っていた。バルバラは泡と声の消失に秘められた謎を知り、また新しい世代の中には泡の影響を受けずに声を出せる子どもたちがいることを知る。

 こうして多くのウンブラ人が辺境に集まるなか、グレタにある変化が起きる…。

 全体としてとても読みやすいとは言えない文体なのだが、不思議と引き込まれてしまう躍動感があって、それはおそらく物語を駆動させているのが、人の身体的限界と欲望をめぐる切実な問題であるからだろう。著者のテロンはパリ在住の翻訳通訳者で、本書の翻訳者ディマスに彼女自身の姿が投影されているように思われる。音声のなくなった環境で音声を所有するフマガリ一族だが、彼ら自身はもちろん声を出せない。そこでエコラルという道具を用いて声を「出させて」いる。彼らはどのエコラルにどんな言葉があるのかは知らないが、奴隷である翻訳者にはそれが分かる。そして翻訳者はフマガリ一族の人々の思考を「読める」よう教育されている。しかしそのフマガリ一族の思考とは翻訳者たちの恣意的な選択によって人工的に構築された記号にすぎない。翻訳者たちが反乱を起こして消え去ったあとの蝕の都市に広がる悲喜劇的なパニックの描写はとても説得力があった。

 音がないなら目で…と思うわけだが、ウンブラは火がタブーになった闇の世界。月の出ているときにわずかに灯りが差すだけで、塔をのぞけば照明用のエコラルも入手は難しい。人々は目と耳に頼らないコミュニケーションツールを身につけざるを得なくなっている。回復すべきは音と声なのだ。

 最初は奇妙に思えた設定も最後まで読むとナルホド感が。

 SF不毛の地スペインに現れた未来もの。

 素直に喜びたいと思います。

Silvia Terrón, Umbra. 2018, Caballo de Troya, pp.396.

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