ポリティカルセオリスト 瀬戸健一郎の政治放談

政治生活30年の経験と学識を活かし、ポリティカルセオリストの視点から政治の今を語ります。気軽にコメントして下さいね!

小説吉田学校~日本の保守本流

2006-04-01 01:52:28 | 市議会議員として
昨日の記事「古賀誠という政治家。」を書きながら、もう一度、学生時代に読んだある読み物を読み返してみようと、「小説吉田学校」を探し出してみた。戸川猪佐武著で全八巻構成であるが、日本の政治史が学生当時、生々しく理解できた印象深い作品である。

私は叔父が国鉄マンで共産党員。その娘である私の従兄弟は共産党の元中央執行委員のご子息と結婚し、自らも地区の婦人会長を務めた。私は学生時代、勤労学生でECCのパート職員という立場であったが、総評全国一般各種学校組合で日本初のパート労組を結成した過去を持っている。でもなぜか、英国エセックス大学留学中にはキャンパスに2つあった通称「コンサーバティブ(保守=保守党系)バー」と「リベラル(自由=労働党系)バー」というパブの内、より多くの時間をコンサーバティブ・バーで過ごした。

シルベスター・スタローン主演のB級映画「デス・レース2000」を高校留学中にテレビで見て、世の中を変えて行くには体制につくことが必要だなどと変に悟っていたことが原因だと自分なりに理解している。そしてこの「小説吉田学校」を読んで、政治の大道、保守本流という言葉に引き寄せられてきた。

このあたりから私は、「体制内革新」ということを意識しはじめていたが、この立場は平常時に物事を斜に構えて見ている部分が目立つので、なかなか本流にはなりにくい。しかし、世の中が大きく変わろうとする時、まったく新しい革袋を用意することができるのはこうした人々なのではないかと思う。

戦後復興期と高度経済成長期は日本の戦後政治の歴史の中で明確に区別されているが、日本が現在の反映を手にしていくビジョンと大胆な政策を示したのは高度経済成長期をリードしていくことになる「所得倍増論」の池田勇人であった。

とかく武闘派の多い自民党政治の世界にあって、時には公家集団と揶揄されながらも、池田勇人に端を発する宏池会への期待はそのまま新しい「保守回帰」への流れを創り出す可能性があるのではないかと思う。

日本人の政治感覚からして、日本のこの非常事態に対する期待は現代においても、「体制内革新」を志向するのではないかと感じる。今一度、「小説吉田学校」を読み返してみて、過去から現在へのベクトル上にある未来を思索してみたいと思う。

もっとも、古賀氏が先日の講演で話したとおり、「過去にしばられないビジョン」とは、必ずしも過去から現在へのベクトル上には想定されるとは限らないのだから、むしろ発想するときには過去の検証に捕らわれる必要はないが・・・

瀬戸健一郎
Kenichiro Seto
草加市議会議員
Soka City Councilor

ブログテーマ:小説吉田学校、保守本流、戦後政治、戦後復興、高度経済成長、日米安全保障条約、富国弱兵、日米同盟、保守合同、保守回帰、自由民主党、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、大平正芳、鈴木善幸、竹下登、宮沢喜一、橋本龍太郎


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