ポリティカルセオリスト 瀬戸健一郎の政治放談

政治生活30年の経験と学識を活かし、ポリティカルセオリストの視点から政治の今を語ります。気軽にコメントして下さいね!

戦力の放棄と自然権としての自衛権

2015-09-06 02:16:04 | 政治を志すものとして
☆今回の安保関連法案について、私のgoo旧ブログに『自然権としての自衛権は、憲法草案当時から否定されてはいなかった』という趣旨のコメントを頂きましたので、応答コメントをこちらにも新たなブログ記事として、アップさせて頂きます。

(以下が私の応答コメントです)

領土、領海、領空の圏内で防衛措置を講じる。それでは公海上にある危機を未然に叩くことは出来るか?自国に向けて発射されるミサイルはどの時点で破壊するのか?領土、領海、領空の外に居る国民の救済、救助は出来ないのか?自然権としての自衛の権利もその範疇を議論していくのは困難な作業です。

だからこそ、全国民的な議論が必要なのではないでしょうか?日本のジャーナリストが殺害されたイスラム国の事件の時にも、人質もしくは拘束された法人救助が出来ないもどかしさから、特殊部隊が救助の為に派遣できないのかと考えた方も多かったのではないかと思います。
さらに、同様の事件が繰り返されないように、空爆などの相応な報復攻撃をするべきだと考える人々もおられたのではないかと思います。

報復は感情の連鎖を産み、感情の連鎖は戦争を双方に正当化させる。そして必ずしも先に手を出した方が悪いという単純な議論にはならない。

なぜなら、先に手を出させるという外交工作も過去の歴史の中には散見されるからです。

「あらゆる国際紛争の解決の手段として、戦力を永久に放棄する」という日本国憲法の条文から読み取れる理念は、そのような様々な議論を包摂しているとも言えることから、日本国民の総意として、仮にその成立過程がどうあろうとも、この平和憲法は支持され続けているというのが厳然たる事実だというのが、私の主張です。

それを基本的な共通認識として、日本国と世界の平和をどのように実現させて行ったらいいのかを、地球的視野で全国民的に議論していきたいものです。

そのためには、過去の戦争のメカニズムを、その本質をきちんと見極めていかなければならないのだと思います。

貴重で適切なコメントを頂き、誠にありがとうございました。さらに議論を深めて参りましょう。

瀬戸健一郎(せとけん)
Kenichiro Seto (Setoken)

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