ポリティカルセオリスト 瀬戸健一郎の政治放談

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せとけんの『集団的自衛権の憲法解釈』国会論戦に思うこと

2015-06-22 21:33:48 | 政治を志すものとして
The Huffington Post 切り抜き①
※集団的自衛権の憲法解釈を巡る国会論戦の一部として報じられたネットニュース The Huffington Post の記事(記事詳細は画像をクリック)

■特別多数議決が自治体の憲法たる草加市みんなでまちづくり自治基本条例の改正要件に出来なかった理由

私はかつて、草加市みんなでまちづくり条例審査特別委員長として、同条例案を地方自治体の憲法ともいえる自治基本条例に引き上げて草加市議会で修正案を提出して可決・成立させたことがあります。その前文に「だれもが幸せなまち」という文言を起草したことは今でも忘れません。

地方自治体の憲法とも言える自治基本条例。長年、市議会議員として奉職してきて、民主主義の学校であるべき地方自治体に十分な自治権が保障されていない不自由さを痛切に感じていた私にとって、国の憲法の改正要件が他の法律とは差別化されて厳しく決められていることに倣って、改正要件に「三分の二の特別多数議決」を盛り込もうとした際に、公聴会に参考人としてご出席頂いた金子正史獨協大学教授(当時)から、「それは法律違反だ」と指摘されて釈然としない思いに駆られたことを思い出します。

そうです。これまで私が再三に亘り主張してきた通り、私の地方自治を確立するのだという純粋な一地方議員としての思いは、憲法第8章 地方自治の第94条に《地方公共団体は、(中略)法律の範囲内で条例を制定することができる。》という規定に阻まれた瞬間でした。

■日本が今後歩むべき道~2つの理念「平和」と「デモクラシー」

法治国家における善悪の判断に国も地方も矛盾したルールを定めることは当然のことながら許されませんが、国の法律が地方の条例をも規定する。つまり法律で定めきれない個別的なルールも、法律の範囲内でなければ決められないと規定している憲法が、日本のデモクラシーの学校であるべき地方自治体を縛っているという現実に愕然とする体験でした。私も憲法を学んで法学士として大学を卒業したはずでしたが、現実に直面した苦い体験となりました。

さて、日本国憲法が平和憲法としてその成立過程の議論がどのようにあろうとも、日本国民に受け入れられ、愛されてきたのは、言うまでもなく第9条において、「戦力の放棄」を掲げたからに他ありません。つまり日本国は戦争をしない国になるという決意を世界に高らかに宣言したのです。

戦後70年が経過し、世界情勢も世界秩序も大きく変化してきた現実に合わせて、私は日本国が今後歩むべき道は「平和」と「デモクラシー」といった2つの理念を希求する国家国民として、世界をリードしていく道だと確信しています。

■政治家も官僚も国民も、日本人が避けてきた本質的な問題

この2つの理念に立てば、憲法第9条に矛盾する自衛隊を「あれは戦力ではない」といった詭弁でやり過ごすことも出来ませんし、地方自治が「法律の範囲内」という手枷足枷で自由を束縛された状態のままデモクラシーの発展を望むことも出来ません。ですから、これらの問題を無視してはならない局面をすべての日本人が今、迎えているのです。

『国会議員が法律を決める。官僚が法律を忠実に実行する。国民が国民に不利益な法律を作らせないために国会議員を選ぶ。』これが憲政であり、代議制民主主義のもっとも基本的なメカニズムです。

ところが国民が世の中の変遷の中で、時代に合わなくなってきた法律に目を向けず、国会議員もそれらの法律を改変整備していくことを怠れば、官僚が規定の法律の範囲内で現実に合わせるために法律の解釈を広げて対応する。その最大の象徴こそが自衛隊法という法律です。

■政治の暴走を牽制する三権とは~自衛隊法の制定と並ぶ今回の安全保障関連法案の議論

かつて、日本社会党の石橋正嗣書記長は、自衛隊法は違憲合法であるとする「違憲合法論」を主張しましたが、この時に、今の状況は似ていると私は強く感じます。大多数の憲法学者たちが、安倍晋三内閣が閣議決定した「集団的自衛権の行使容認」に端を発する関連法案が「違憲」であると主張しているのに、これを政府は強行採決しようとしています。そして、官僚も政府法案を支持しているとする今回の小西洋之氏の指摘(記事冒頭画像の記事)です。

善良なる官僚の皆様へ~

善良な官僚の皆さんが、これまでの戦後日本が歩んできたデモクラシーが一体どんなものなのか、地方自治の概念さえ存在しなかった時代に、今日の民主的で安全で平和な国家を国民が創り出す様々な仕組みを整えてきた陰に日本の優れた官僚制が存在していたと私も個人的に高く評価している一人です。

しかし、そこには世界に誇る崇高な日本国憲法があり、その理念は羅針盤であったかもしれませんが、同時に現実とのギャップを生み出す存在でもあり、理想と現実の狭間で苦しむことが心ある官僚の皆様ならば、きっとあったことだと思います。

今回、政府が進めようとしている安全保障に関わる関連法案は確かに、自衛隊法の成立以来の法制化の作業であり、国会が社会の現実に則して法律を制定しようとする歴史的な作業には一応、成るわけですから、官僚の皆さんがどのような立場を取ろうとされるのかも歴史的な選択であることは事実です。

しかし、忘れないでください。もし、今回の法改正が全国民的な憲法論争を回避して実行されたならば、それはこの国の立憲政治を再び曖昧模糊として、自衛隊法の成立と平和憲法の矛盾をさらに拡大させ、日本国民の主権と尊厳を傷つけ、日本国の法治国家としての対面を傷つけ、私たち日本人から誇りを奪い去る結果を生み出すだろうという可能性を考えてみて頂きたい。

善良なる法曹界の皆様へ~

そしてもうひとつ。日本の法曹界の皆様、私が自分の小さな思惑であった草加市みんなでまちづくり自治基本条例の改正に特別多数議決を付与することを諌めて下さった金子正史教授のように、今こそ、もっと声を上げて頂きたい。

かつて野党第一党の書記長に「違憲合法」だなどと主張されて黙っているようでは、また、今回も同じ轍を踏むのだとしたら、この国からは三権分立の理念も葬り去られることになります。言うまでもなく、三権分立とは、「立法、行政、司法」の三権はそれぞれに独立して機能するけれども、その三権が混然一体となって牽制し合うことによってのみ社会秩序のバランスが保たれるのだという理念です。「違憲合法」などという言葉は、司法が「違憲立法審査権」を放棄していることを意味する。

主権者たる国民各界各層の老若男女の皆様へ~

日本国は世界に誇れる、世界一平和で民主的な国家であるために、今、大きな正念場を迎えています。

どうか、国民各界各層の老若男女の皆さん、今こそ、この国の未来を主権者である私たちの力で動かして行きましょう。あらゆる論争を恐れずに始めようではありませんか。戦後70年の節目の年に、それぞれに日本を愛する国民として、自己表現すべき時です。言論の自由、結社の自由、表現の自由は、この時代だからこそ尊いのだと信じます。

全国民的な憲法対話を始めようではありませんか。

瀬戸健一郎(せとけん)
Ken.ichiro Seto (Setoken)

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