川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

中国残留日本人孤児二世 高速バス事故

2012-05-13 05:26:25 | 中国残留日本人孤児

5月12日(土)☼

 強風で一日閉じこもり。夜、娘のバイクが愛知に輸送された。娘の川越での生活もあと一週間だ。

 重大なバス事故を引き起こした中国残留日本人孤児二世に関わる記事をいくつか読んだ。僕は87年に北高に転勤した時から二世の生徒との関わりが深く、とても他人事とは思えない。なんとか高校を出た場合でもサラリーマンになる道は険しい。男子の場合、運転手になる人は結構おおい。

この人の場合は来日時に既に成人であり、生徒たちとは違うが自立心の強い真面目な青年だったのか。19日からの移動教室には親達の世代が集う。心を痛めていることだろう。

バス業界の「規制緩和」「自由競争」の実態は知れば知るほど恐ろしい。そんな世界に夢を託したのか。

 

 <関越バス事故>逮捕の運転手 経営者から一転、日雇いに

毎日新聞 5月12日(土)15時1分配信


 群馬県の関越自動車道で46人が死傷した高速ツアーバス事故は13日で発生から2週間になる。群馬県警に自動車運転過失致死傷容疑で逮捕された河野化山(こうの・かざん)容疑者(43)は10カ月前までの4カ月間、小さなバス会社の経営者だった。事故は、その座を追われ、民事訴訟を抱えながら日雇い運転手をしている中で起きた。河野容疑者の事故までの道筋をたどった。


 知人や関係者によると、父親が中国残留孤児の河野容疑者は93年に入国後、間もなく日本国籍を取得。千葉市郊外の県営団地に暮らし、建築やトラックの運転で家計を支えていた。07年、ローンを組み、市中心部近くに3階建ての住宅を購入。妻子3人との夢を一つかなえた。

 転機は2、3年前に訪れた。妻が切り盛りしていた1階の中国料理店を人手に任せ、自らは成田空港近くのバス会社に入社。中国人観光客を乗せ、観光地などを巡る運転手を始めた。

 成長著しい母国相手のビジネスで、空港周辺は活況を呈していた。居酒屋では「道を教えてよ」と元同僚を質問攻めにした。「楽しそうに仕事の話をする姿しか記憶がない」。元同僚はこう話す。

 河野容疑者は10年12月、県内のバス会社経営者に知人を介して「会社ごと売ってくれ」と申し出る。代表取締役に収まり、814万円で中古バスも調達。「おれ、頑張るから」と話す河野容疑者の姿は、周囲には成功を手に入れたように映った。

 だが、昨年6月に元経営者との間でトラブルが発生し、社長の座を追われた。「売却代金550万円のうち残金350万円が未払いだ」として売買契約を解除された上、経費の立て替え分などを求める訴訟も起こされた。元経営者は「河野容疑者の関係者から暴行を受けた」などとして千葉県警に被害届も提出している。尖閣諸島で起きた漁船衝突事件や東日本大震災で中国人客も急減した。

 このバス会社は今年4月、約3キロ離れた場所に移転。河野容疑者が経営していた当時の敷地は建物も撤去され、更地になっている。

 追い込まれた中で行き着いたのが、近くのバス会社「陸援隊」だった。所有するバス4台については、同社から違法な名義借りをして「河野交通」を名乗るなど「経営」へのこだわりを見せていた。

 裁判は4月19日にも開かれ、次回の準備を急ぐ必要もあった。所有バス1台も故障し、事故前日には休憩中のホテルで修理をめぐり、業者との連絡に追われていた。一時は手にした成功を取り戻そうともがき続けた河野容疑者。元同僚は「自分のバスで自由に。運転手なら、そんな成功を願うもの」と話す。こうした焦りが事故の背景にあるのか。群馬県警の調べが続く。【松崎真理、味澤由妃】

 

関越バス事故河野容疑者 自らもバス4台所有


 群馬県の関越自動車道で乗客四十五人が死傷したツアーバス事故で、運転手の河野化山(かざん)容疑者(43)=自動車運転過失致死傷容疑で逮捕=は、バス会社の従業員として働く一方、自らバスを所有し「河野交通」の屋号で中国人観光客ツアーの個人営業を続けていた。県警は無許可でのバス営業についても実態解明を進める方針だ。

 バス会社「陸援隊」(千葉県印西市)の針生裕美秀(はりうゆみひで)社長(55)によると、河野容疑者が所有するバスは大型二台など計四台。個人営業のツアー料金は陸援隊の指示に従って金額を決め、ツアー客から受け取っていた。陸援隊との雇用形態は実質「日雇い」で、日当一万円を受け取ることになっていた。東日本大震災の影響を受け、昨年十一月ごろまで、ほとんど仕事がなかったという河野容疑者。陸援隊の代理人弁護士によると、今年に入り月平均百時間ほどバスを運転していたが「半分以上は個人営業と思われる」という。河野容疑者の兄弟二人も陸援隊で働いていた。

 群馬県警によると、河野容疑者は一九九三年に来日。供述によると「中国残留孤児の子弟」という。二〇〇〇年に大型免許を取得。逮捕時点でトラックの運転は七年、バスは二年の経験があった。河野容疑者の暮らしぶりを知る人は千葉市の自宅周辺でも少ない。近隣住民によると、同容疑者は約五年前、中国人の妻、子ども二人と引っ越してきて、三階建ての自宅一階で中華料理店を開いた。店は開店から約二年間は妻と従業員が切り盛りしていたが、近所の男性は「三年ほど前から店は他の中国人に貸していた」と話した。 (中山岳)

 

来日20年「休みなく走っていた」 残留孤児2世の河野容疑者 関越道バス事故

2012/05/08 朝日新聞

 群馬県の関越自動車道で46人が死傷した高速ツアーバス事故で、自動車運転過失致死傷容疑で逮捕された河野化山(こうのかざん)容疑者(43)は中国残留孤児の2世だった。来日から約20年。家を買い、4台のバスを手に入れて、独自の営業もしていたという。彼の足跡を追った。
 
 河野容疑者が数年前まで住んでいた千葉市花見川区の県営団地。「あの事故の運転手が小三(シアオサン)だったなんて」。家族ぐるみの付き合いをしていたという中国人女性(55)は驚いた。「小三」は4人兄弟の3番目の河野容疑者の愛称だった。
 
 父は中国残留孤児で、黒竜江省・牡丹江から1993年に帰国。河野容疑者も同じ年に妻とともに日本に来て、県営団地に越してきた。
女性は、夕方6時ごろに疲れた様子で仕事から帰ってくる姿をよく覚えている。当時は妻も近くの食品会社で働き、小学校に入る前の子どもが2人いた。「夫婦で働き者。家を買うのが夢だったみたいで、お金を節約していた」
 
 07年5月に千葉市中央区にある3階建ての一軒家を中古で購入。県営団地を出た。河野容疑者の両親と同じ県営団地に住む残留孤児2世の男性(45)の話では、河野容疑者はこのころ、千葉市内で配管や内装の仕事をしていた。「同じ2世でも、20歳を過ぎてから日本に来て社会に溶け込める人は少ない。彼は必死に日本語を勉強し、良い仕事につこうと、いつも一生懸命だった」
 
 09年にはバスの免許を取得。中古のバスを次々と購入した。県内のバス運転手らの話では、初めは自力で起業しようとしたが、資金不足で失敗。他のバス会社の名を借りて、商売を始めた。料金は相場の半分ほど。中国からの観光客を集めていた。
 
 「陸援隊」の下で働き始めてからも、自分のバスでの営業を続けていた。4月下旬にはバス仲間の男性(45)に「仕事はないか」と電話をかけてきた。河野容疑者が「今度、夜行をするんだよ」と話すのを聞き、男性は「普段は昼間しか運転していないのに大丈夫か」と不安に思ったという。「常に仕事を求めていた。人柄は穏やかだったが、ずっと休みなく走っていた」。別の運転手仲間(49)も「無理を重ねていたはずだ」と話した。(今村優莉)

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