郵政公社のお兄さんが美味しいものを運んできてくれた翌日、今度はクロネコさんが電話番号未記入の送付状であるにもかかわらず、にゃんの問題もなく、水色のかわいい小袋を届けてくれた。
その送付状、電話番号はなかったが、用途はきちんと記されていた。
用途:包装、小袋
……?
果たして、袋をあけるとその中には、きれいな、伝票もなにも貼られておらず、ブランド名がきちんと読み取れる小袋が入っていた。
Fortnum and Mason――英国王室御用達の紅茶(等)ブランドである。やっほー、ウィンザー城の物置にもきっと何枚もあり、ときには古新聞なんかがつっこまれているかもしれない袋だよー!<たとえデイリーミラーでも入らない、かわいいサイズですが。
いやいや。
小袋もそりゃ入っていましたが。
もっとすごいものが入っていました。
ローズ・ペタル・ジャムです。
フォートナム・アンド・メイソンの。
送ってくださった
方が日記でばらしていらっしゃるところによれば、1ビン12オンスいやいやえん(は?)という、自腹ではとても買えないであろう――お金はあっても、なんだか分不相応な感じがして買えなさそうな――グレースフルな一品でございます。
大事にとっておこう何か特別なときに開けよう、なーんて思って、午後、買物に出たとき車にはねられてこの世を去ったりしたら、きっと後悔すると脊髄で判断したわたくし、速攻でやかんに水を入れて火にかけ、お客様でも来ない限り使うことのない――そしてお客様など、まず来ませんので(寂)要するにまず使われることのない――ソーサー付きのティーカップを出して、リーフティとティーポットも探し出して、いそいそとティータイムの用意どん!
紅茶をカップに注ぎ入れ、びんの口ぎりぎりまで詰められたジャムに、どきどきしながらスプーンを突きたてる。
……おお!
ローズ・ペタル、でかい!
せっかく1枚ものが入ってるんだもの、花びらをなるべくやぶらず傷つけずにひっぱり出したい。
全身から貧乏人オーラを発散しつつ、ない慎重さを搾りだすようにしてスプーンをひっぱりあげる。
……おおおおお!
ローズ・ペタル、いっぱい!
紅茶にしずしずとスプーン一杯のジャムを沈めるとジェリーが溶けてゆき、閉じ込められていた花びらがカップの底に優雅に広がる。
そして、お茶を口に含むと、口蓋から鼻腔をつたってバラの香りが立ち上ってくる。ふわーん。
3桁で買えるローズジャムは何度か買ったことがあるんだけど、お茶カップ1杯につき、ジャム匙1、2杯という比率でジャムが減った。しかし、このジャムは、どうやら匙1杯でお茶カップ2、3杯いけそうである。なーんてコストパフォーマンスの高い<ケチか。「ものを大切に」という某国王室の無言の圧力かもしれない<今更某国。
それにしても。
今までローズジャムはデフォルトでお茶に入れてきたけれど、いみじくも「ジャム」なのだし、それにもう今後の人生で2度と口にすることはないかもしれないものだ。このまま食べてみましょう。ね?
スプーン1杯のジャムを、そのまま口に入れる。
おお、やはりダイレクトにいい香りですなあ。
おお、やはり上品な甘さですなあ。
おお……おお?
さくっ。
しゃり。
しがしがしが。
……これは……その……紛れもなく「薔薇の花びら」。
……そして……植物性繊維!
なんとなく、「口の中に葉脈だけが残った絵」が頭に浮かぶ。噛んでいるのは葉っぱではなく花びらなのだが。
えーと。
まずくはない。
けれど、「食べるものとして認識していなかった生の花びらを噛んだような気がする味」。本当に生の花びらと同じ味かどうかは不明。
みかんの小袋を食べる人、桜餅の桜の葉っぱを食べる人、おにぎりを包んでいる竹の子の皮を食べる人(いくらなんでもいませんか?)――とにかく、そういう「繊維」に強い人なら感じないかもしれない違和感がある。「これは食べるのかなあ?」と食べている最中にも確認を続けてしまうような。菊の花が食べられて、なぜ薔薇の花は戸惑うのかとか訊かないでください、わかりませんから。
しかしまあ、ジャムになって尚「我は薔薇の花弁なり」と存在感を主張するほど、厚みのしっかりあった、立派な花びらを使っているのだろうとは想像できる。
紅茶色に染まった大きな薄い(薄くなってしまった)花びらたち。これを集めて乾かし、もう一度花の形に作り直してみたいなあと、お茶を飲み終わったティーカップの底を覗き込んで妙な欲求にかられる優雅な日曜の朝をありがとう!
あ、しまった。
優雅なティータイムと背伸びするなら、まずまともな服に着替えるべきだった。次回がんばろう!