馬高縄文館にむかう車の中でFM新潟を流す。
リスナーのからのメッセージもいちいち面白いし
リスナーをディスる番組進行役もまた面白い。
新潟の人ってとがった笑いのセンスをお持ちなのね。
途中、ヨネックスのおおきな施設がみえて
さらに新しくつくっているようだ。
バドミントンの世界的大手企業だね。
ゴルフ、テニスもだ。
がんばれ!日本の会社!
ずびっ
窓あけてると鼻水が。
5月中旬、まだこのあたりは花粉が飛んでいるらしい。
11時30分 馬高.三十稲葉遺跡到着。
馬高・三十稲葉遺跡は縄文時代のおおきな集落跡で、
小さな沢をはさんで、東側に中期(約5,000年前)の馬高遺跡、西側に後期(約4,000年前)の三十稲場遺跡がある。
標高は約60~65m。
これまでに数多くの遺物が発見されており、
馬高遺跡は「火焔土器」発祥の地として、また三十稲場遺跡はヒスイや滑石などを加工した玉づくりのムラだった。
前回訪れた糸魚川につづいて、ここでもヒスイ加工をおこなっていたことがわかり、嬉しくなる(o^―^o)
さっそく、馬高縄文館に入ろう。
ホンモノはオーラが違う。
深鉢の形がふつう多い中、
馬高遺跡ではレアな火焔型の浅鉢も発見されている。
長岡市内の遺跡で発見された火焔型・王冠型土器とそのなかま
火炎土器様式には、3~4パターンの変遷があり、長岡周辺で最も早く火炎土器をつくりはじめたのは、山下遺跡の人たちだそうな。
ずん胴の型から胴がくびれて、装飾的になっていった。
火焔土器のデザインは周辺地域の土器様式に影響を受けているようだ。
交流しつつ真似したり、教えたりがあったのだろう。
しかし、火炎土器のトレンドは案外短かった。
縄文土器がいちばん派手な時代。
作る時間もかかりそうだけどね。
いつの時代も流行り廃りはある。
土器片を混ぜた土器
火炎土器の技術をさぐる
火焔土器の用途をさぐる
クワイも食べていたのか!
シカもご馳走だ。
みて、極小土偶がいる!
蓋があるって考えてなかったけど、
そりゃあれば便利よねぇ!
取っ手が三つもあり使いやすそう。
お湯も早く沸くし、土器内の温度も保ちやすい、
保存にだって便利だろう。
しかし、この点々(刺突文)が面白いじゃない。
奥の目ん玉二つの可愛い土器も気になるぞ。
台形土器
何に使ったのかなー!
東日本の縄文時代中期に限ってつくられたのか。
蚊取り線香にどうかしら?
袖珍(しゅうちん)土器と読むのか。
長岡では馬高遺跡のほか、岩野原遺跡や中道遺跡など中期以降の大きな遺跡で、たくさんみつかっていると。
小さい土器ってけっこういろんなところで会ってる。かわいいんだよねぇ。
このタイプのほうが使いやすそうにみえる。
笹葉痕
中道遺跡は長岡市梄吉町の縄文時代中期から晩期の大規模集落の跡で、
中期のムラでは、複式炉や焼失住居跡に残った焼けこげたトチノミとカゴのような容器など、堅果類のアク抜きや保存方法に関わる貴重なものが残っているらしいです。
ここでも焼失住居跡があるのか。
家は燃えにくいほうが当然良いとばかり考えていたが、さっぱり燃えてなくなる可燃の住居に住むメリットもあるのかも。縄文の人たちは三角形がお好き?
穴が貫通しているものは、ぶら下げたり、ネックレスとして身につけたりしたのかな。