ある女性整体師の日記

おかげさまで22周年!吉祥寺の「バキバキしない」まじめな整体院 きむらカイロプラクティック・吉祥寺

福島県 縄文の旅7

2023年12月26日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅
字数3万文字の制限に負けず、太古の世界に挑むブログここにあり。

と、カッコつけてみた最後の回です。

13:30 タイムズシェアカー返却


福島駅へ、



福島駅の駅ビルエスパルに入ったのはいいけれども、コラッセ福島に行く行き方がわからなくてお掃除をしていたおじさんに聞いたらこれまた優しい笑顔でニコニコと、仕事の手を止め、丁寧に教えてくれた。

はやー、地区を東西に結ぶ通路があったとは!


コラッセふくしま








12階の展望ラウンジはとにかくまぶしいくらい明るくて、天気が良かったので福島市を、さらに遠くまで見渡せました。

そこでは、学生男子はイヤホンして勉強していました。

眩しくないの?

とおばさん特有のおせっかい心がむずる。


1階の福島県観光物産館は思いのほか混んでいたよ。


ここで、いかにんじんを買って


14:52やまびこに乗って

福島さようなら

みなフレンドリーで大好き❤福島ファビラゥス


今回はしゃがむ土偶の写真を見て、


(これで見つけた↓)  

全国こども考古学教室


https://kids-kouko.com/historical_site_area/tohoku/pref_fukushima/


ぜひともこの目で見たいと福島県北部までやってきました

しゃがむ土偶ぴーぐー以外にも全国でしゃがむ子は出土していることもわかりました。

世の中の土偶のイメージを一新する彼ら。


福島県出身のお客さん数人に鼻息荒く伝えたけど、誰ひとり知らず、スマホで写真を披露するとその精巧な出来具合に驚いていた様子でした。


何度も言っちゃうけどほんとに今回は寒くて、そして人々の接し方のほんとに温かいこと。

あと、タコの卵が食べられたこと、ハートにグサリ。


福島県でも縄文の時代に皆が集まって食べて寝て暮らしていたその土の上に

その大地の上に立ち、

その土を踏めたことが何よりの喜びです。


知れば知るほど面白い縄文時代。

もしかしたら、現代の私たちより生きるとことを楽しんでる人々だったかもよ?


アディオス!

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福島県 縄文の旅6

2023年12月24日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

車で市内を少しうろつく。

阿武隈川を越えて少し行くと、

高校の前にお客さんがひっきりなしに出入りするきれいなお弁当お惣菜屋さんを発見。

 

するがや

https://s.tabelog.com/fukushima/A0701/A070101/7002248/

 

スタッフは皆若い。お腹空いてないのに、

さつまいものフライドポテトを衝動的に買ってしまう。うまし。

 

ここから北上30分、

少しさびれた飯坂温泉街を通って

果樹園に挟まれた道を行くと

 
11:00上岡遺跡


民家が目の前なので広く写真が撮れませんが、

ここでにしゃがむ土偶・ぴーぐーが眠っていたのか、と思うと感慨深い。

 

ぴーぐーはバラバラだが一箇所から発見されたこと、

発見者の方がこの福島市で展示することに価値があると、他の施設ではなく福島市に寄贈したこと

など掲示を読んで貴重なエピソードを知ることができた。

 

ここから飯坂温泉のほうへもどり、

旧堀切邸・鯖湖湯駐車場に車をとめて

 
温泉街を歩く。

歩けど、すべて坂タウン。
 
旧堀切邸
 
なんと無料です。


見上げると、見て!このグッドセンスな天井のつくりを。

縄文の竪穴住居時代も、
その時のトレンドやこだわりがあったんじゃないかしらね。

 

お庭には、足湯と手湯があります。
試しに指先を入れたら、熱っ!
悔しいので何度かトライするが、無理だ。
傍らには足をつけて静かに読書をする品のいい初老紳士が。
彼なら熱湯コマーシャルを成功させるだろう。
気温が低いのでかえってますます寒くなった気がする。
ぬれた手が冷たくなる。

 

主屋は昨日の場所と違ってエアコンがきいてて暖かく、ホッとした。
これなら靴を脱いで中をゆっくり見学できる。

 

敷地内には樹齢300年?の立派なケヤキの木。

真ん中の一本には毎年アオバズクというふくろうが子育てのためにやってくるんだよ

と売店のおじさんが教えてくれました。

 

 

12:30 イオン福島店


郷土料理のいかにんじんの材料であるスルメはたくさん取り揃えております。



会津の雪 ソフトクリーミイ ヨーグルト


会津中央乳業


福島県出身の人にすすめられたので、探していたけど、やっとゲットできた!

これ飲み物であってますかね?ってくらい濃厚で、吸引力が試される。


次回で最後よ。

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福島県 縄文の旅5

2023年12月23日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

本日お世話になる、

グランパークホテルエクセル福島恵比寿到着。


16:30チェックイン


フロントには大きなクリスマスツリー。


最近はアメニティ必要なの選んで持っていくスタイル多いね。いいと思う。

私はいつも歯ブラシがカバンに入っているので、ほとんどの場合、何もいただかない。


今夜は、予約したここから歩いて5分の


「味心 だいのじ」

https://www.a-dainoji.com/


で夕ご飯です。


ネット予約したんだけど、予約時間の件で留守電を入れてくれた大将。

その録音の声がまたなんともあたたかい福島弁で、来るのを楽しみにしていたの。


ふたりでカウンター席へ。


砂肝の煮凝りがいい。

日本酒「廣戸川」濁りのシュワ感がいい。

太刀魚のお造りもひと手間が美味しい。


とうとう会えたタコの卵!

想像してたのとちがい、

山芋のような純白で臭みがまったくない。

以前みた写真はもっと粒が大きく黄色味がかっていたけど、今回いただいたのはまだおかあさんのお腹にいた子らだからか?

きわめて繊細です。  


写真を撮る余裕のなかった極上の時間でした。


翌日、8:45ギリ ホテル朝ごはん

種類豊富すぎる!

福島県の郷土料理、いかにんじん。

ラジウム玉子。

サラダだけでも何種類も揃えていて、

お得な朝食ビッフェでした。


10:00チェックアウト


駅のすぐ隣にホテルルートイン新築工事中。

昨日の夜は鉄塔が何色かにライトアップされていたなぁ。


寒さには慣れたが、まだ冷たい空気が鼻をさす。

字数いっぱいで次回に続く。

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福島県 縄文の旅4

2023年12月21日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅
まだいるよ
じょうもぴあ宮畑に。
 
 

売店では悩み悩んで、しゃがむ土偶ぴーぐーのマスキングテープを買う。

 

そして、外にでて散策。

 

49号竪穴住居の中に入る。

雪が舞う外の寒さから思うと、中は暖かい。

家というものは良いものだ。

 

 









建物と建物の間はスープの冷めない距離である事は確かだ。
いや最も近い家はもうお隣さんだ。

縄文の集落はご近所さんみんなで協力してやってきたのだろう。

人と協力して社会生活も営むことが大事だ。

ひしめき合ってる都会に住んでいるけど、お互いの心の距離は遠い人が多いのが現代である。
我が家のマンションは大きいけど
管理人ご夫婦にはじまり、おとなりのおばあちゃん、同じ階の定期的差し入れしてくれる美人ママがいて、
近隣関係がよいので幸せである。

 

縄文時代の集落では、孤独死なんてものは存在しなかったかもしれないねぇ。

 

13:30発

寄り道していこう、ということで

 

 

13:40 白雲洞到着







 

大きな火山岩のような岩の間に祠がいくつかあり、仏様がいらっしゃったので、

いや菩薩様かな?手を合わせてきました。

 

13:50発

まー、とにかく寒い。

なので、途中のダイソーに寄って

マフラーとダンナは手袋をかう。

ダイソーって、来ればついつい目的のもの以外にも目を奪われて長居してしまうよ。

 

 

 

14:30

保原歴史文化資料館到着。


 
 

展示してあるこの2つの掛け軸が、

ずっとカチャカチャカチャカチャ…

風の通り道なのか、気になってしょうがなかった。傷つかないか心配だが、受付の人に申し上げるのもなんだかな、と思って、けど一度気になるとずっと気になる。

 






旧梁川町の広瀬川では海獣パレオパラドキシアの骨が発見された。

 
パレオパラドキシア。
入力しても予想変換しない名前w

ほぼ全身骨格、世界で4例目という貴重な発見!




パレオパラドキシアが生息していたとされる1600万年前の伊達市梁川町周辺は
砂と泥の浅い海。
コビトカバに似ているパレオパラドキシアを想像する。
耳に花をつけたタヒチのカバがわたしの頭の上で踊っている。

 
旧亀岡家住宅



建物の中は靴を脱いで上がるのだが、いくら靴下を履いているとは言え、畳の上でも足が冷たい。

歩くと建物全体が揺れ、当時の子供たちは絶対に走ったらいかんと言われてたのだろうか。
いやいや移設した建物だからかも。

扇風機?


蚕フィギュア


絵になる一枚


すぐそばに池があって
水鳥が戯れる。


15:20発

15:40レッドバロン福島北到着🎵

ってなんでやねん。

バイク屋をみると決まって店に吸い込まれてくダンナ。

16:00レッドバロン発






ここのレッドバロンの自販機には
見たこともない商品が多いね。

さ、シェアカーを返却して
ホテルに向かおう。

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福島県 縄文の旅3

2023年12月20日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

引き続き、じょうもぴあ宮畑にて


宮畑遺跡のちいさな土偶たち



学生の頃は土偶がこんなバリエーション豊かとは知らなんだ。
そしてずっと女性がモデルだなんて、ねぇ。
 
 
手作りだから、ふたつと同じ土偶は存在しないのだろうから、オリジナリティがあるよ。

人体文土器(じんたいもんどき)
 
顔がついてる。
エキゾチックである。
土器に人体が表現されている例は珍しいそうです。
ススがついていたり、漆でひび割れを補修してあったり、
煮炊きに使いつつ、長く大事に使っていたのかな。

縄文時代中期にむらの家が半分焼かれていたって!!??
 
 
にわかに、感染症の流行?が頭に浮かんだが、
それにしては焼いた家の分布が規則的すぎるか。
虫がわいたとか?
 
家送り…どんな意味があったのか?
1日で再建できないだろうから、
新しい家を建てるまで、
他の家で住まわせてもらうのかしら。

 
屋根の上に土をのせる。
家を焼く。
それも一度きりではないようだ。
ミステリーです。

 
焼かれた家は特別なのか?
 
注口土器などはむらの限られた家にしか見つかってない、ということは
焼いた家に特別な理由があるのだろうか?

 
 
今回はしゃがむ土偶ぴーぐーの写真をみつけて
福島県までやってきたが、
 
全国に
まだまだしゃがむ土偶が待っているのだ!
ワクワクすっぞ。


ん?アスファルト?



油田地帯のある日本海から遠く離れた地でアスファルトが土器に入れて運んだようだが、山はあるし、重いし、苦労があったでしょう。


宮畑遺跡からはアスファルトのほかにも、伊豆・箱根、山形県、新潟県産の黒曜石、山形県産の貴岩で作られた石器が発見されている。

中間地点にマーケットのような場所が存在していたのかもしれない。

各地のむらから人が集まって、ものや情報を交換したりする場。

どこどこのむらにとびきり美味しい干物をつくる名人がいる、とか

割れにくい土器の作り方知ってるぞ、とか

くる途中のむらですごい美人に会った、とか

あーあーノンストップ想像っ。


アスファルトも現物だけではなく、利用する際におき火で温め溶かすことができるなど、ハウツーも伝えられたわけだ。


宮畑遺跡ではアスファルトがついた石鏃(せきぞく・石でつくった矢じり)、石匙(いしさじ)が発見されている。






矢じりを固定したり、石匙に結んだヒモをかためたり、土器の修復に使用したり、接着剤のかわりである。

土偶の目を描く絵の具使われた例もあるそうな。

ヒモつきスプーンなんて、生活感あるぅ。

縄文人も吊り下げ収納、うふふ、今も同じね、と我が家のキッチンに吊り下げてあるお玉類を思い出す。

でも、料理道具にアスファルトを使うのは熱で溶ける危険があるわね…とトーンダウン。

油田、いえば、夏に家族でアメリカ・ロサンゼルスへ旅行へ行ったとき、ここへ行きました。

ラ・ブレア・タールピッツ (La Brea Tar Pits)







https://tarpits.org/



いくつもタールの池があり、4万年以上も前に溺れてしまって化石になったマンモスやら、たくさんの化石が展示保存されていました。

現在も湧いているのかタールの匂いがする場所もありました。



その時の、天然アスファルトの

匂いの記憶と今回の福島県のアスファルト遺跡がわたしの脳内でリンクしたわけです、はい。



見ろ!新潟県の糸魚川あたりのヒスイは大きくて立派だろぉ?

浜通りでとれた石ね!
縞模様がシャレオツよっ。


山形県最上川の石で作た矢じりは
丈夫で大きい獲物もしとめられるって噂だぜ!


だめだ
わたしの底なし想像の沼、
油田のごとく笑。

いったん落ち着こう。

宮畑遺跡の複式炉

大きくて立派な炉である。
絵のような家の中ではなくて
柱と屋根だけではないかな。
煙いから。
キャンプ場の共同炊事場みたいなイメージ。


複式炉の土器はシンプルだ。

飾りもないし、新しくなるにつれて小さくなる。割れやすくなるから?

同じようなデザインが多いのは
流行の柄
というより
何かしらの意味が込められている?という考えもあるようだ。
そうなると、ロゴマークに近いかな?
紋章や家紋のような仲間意識?
文字のなかった時代の文字?
みなが土器を一見して、あぁと理解することができるルールがあるなんて
人間らしい。
複式炉に話は戻るが、
物件を探すとき、「コンロふたくち以上」は譲れない。
ただ土に埋めた土器も、
水や食材、アク抜き用の灰など
火のまわりにあると便利な容器として使える。
保温力が高い土器なら
保温鍋のようにほっといても出来上がるだろう。
あ、ふたは?ふたってないね。
大きな葉っぱかな?
アクとりをせずに、アクをふたの役目に?

まだ使い方が謎という複式炉。
飯炊き歴ウン十年のスーパー主婦チームも考察にくわわったら、謎の解明にぐーんと近づくよ、きっと。

そんときはわたしも混ぜておくんなせぇ
(飯炊き歴20年、中堅?)。

縄文時代中期の土器文化圏と物流

大きな争いもなく、
互いに助け合って社会をつくっていた時代、ファビュラス!
土器にいれて固めたアスファルト
ビターチョコタルトにしか見えん。
なので、このまま宮畑のご当地スイーツにしたらどうですか?
観光客は驚くことうけあい。


土器にアスファルトいれて持ち運んだなんて!
わたしなら即買いよ。

いろんなかたちの土製品

祭礼につかわれた、とあるが
わたしには毎回どうしてもおもちゃに見えて仕方がない。
  

売店では悩み悩んで、ぴーぐーマスキングテープを買う。

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福島県 縄文の旅2

2023年12月19日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

11:30到着。


じょーもぴあ宮畑 


とにかく寒い。


憩いの広場のトイレに寄る。

木の匂いがよい。きれいだし。

日本はどこも基本トイレがきれいだ。

ありがたい。








露出展示棟

入れなさそうにみえて
ちゃんと中に入れます。


おおー、
ちゃんと保存されてるー。
乾燥しないように処理したり、
大変だろうなぁ。


湿度でメガネがくもる。



加曽利B式がイコール縄文時代後期ってことだったかな、確か。




遺跡のすぐ近くを阿武隈川が流れていたんだと。

割れたのやら、割れてないのやら
たくさんでてきたみたい。

なぜ使える土器も割れた土器もと一緒にあるのか?水が漏れたりしたのかしら。

ここでは捨て場、送り場と説明されている。

使った土器に魂が宿ると信じていたのか。


うちでは身代わり信仰があって、
誰かのお茶碗やコップが割れると
あー、なにかしらの災いから守ってくれたのねー、ありがたい、良かったね
と子どもたちには言っている。

お気に入りほど、ネガティブからポジティブに転換できるでしょ。

1号敷石住居

埼玉県にもあったように
ぬかるみやすい地に石を敷いて 
足場を歩きやすいようにしたのかも。


河原の石を運んできて敷き詰めるなら、
女子供もみんなで手伝えそうだ。


体験学習施設の中へ。

あんら、素敵な天井ではないですか。

観覧料ひとり200円をお支払いして、
展示室へ。


凝ってますよー。

割れた土器の復元て…
わたしジグソーパズルは好きなほうだが、
地道な作業だろうと想像すると、
頭が下がる。


平成10年、宮畑遺跡で直径2m、深さ2mの大きさの柱穴が発見された。

掘立柱建物だ。柱の直径は約90cm!

縄文時代の建物の中では

全国でも最大級の柱なのだ。




こんな大きな建築物を建てる人間の知恵の果てしなさよ。

樹齢100年のクリの木が使われたらしいが、クリの木ってそんな大きくなるのか。
重さは3トン以上!?
ピラミッドと同じように脚光浴びていいのでは?
縄文が格差社会ではないなら、
つまり奴隷の労働による建築ではなく、本当にみんなで協力して成し得たことならば、さらに意味深いと思う。

漆の保存容器

ここでも漆に出会う。

赤漆を塗った製品は、まつりや祈りの道具として用いられたと考えられている。


割れた土器を直す接着剤として使うなんて、

なんて言ったっけ、あぁ

金継ぎ、だ

思い出した。


金の使用が後世なら

その起源なのかもしれない。


赤い色の原料は何かしら?


漆塗りの土器 耳飾り(上岡遺跡)



漆塗りの耳飾りでかぶれちゃった!

なんて人はいなかったのだろうか。

そして、
ついに、


キター—————!
しゃがむ土偶 ぴーぐー!


よくみるとお腹がすこーし出てる。
妊婦さんをあらわしているようです。


でもスマートです。
うちの妹と同じ妊娠7ヶ月くらいかな?


幼児の墓

途上国では現在でもそうであるように
新生児や乳幼児の死亡率はかなり高かっただろう。

宮畑遺跡では縄文時代晩期の幼児墓群が掘立柱建物の近くで見つかっている。

周囲に大人の墓は見当たらず、

小さい子だけのお墓エリアだったわけだ。


今までいくつか縄文の集落跡を見てきたが

年月を経て、どんどん面積が大きくなっていったという話は聞かない。

引越しか、他のムラにムコや嫁にいくのか、

もしくは人口が一定なのか。


短命な上、子どもの死亡率も高いからこそ

亡くなった子も大事に埋葬し、

育った子もこれまたみんなで大事に育てたに違いない。

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福島県 縄文の旅1

2023年12月19日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

今回の縄文の旅は雪深くなる前にもう一度東北へ!ということで、福島県へ。


お目当ては

しゃがむ土偶!です。


東京駅から1時間半、





やまびこ新幹線を降りて福島駅のホームに降りた途端、わたしの口からでた言葉は

やばい!寒い!

(もっと繰り返していたかもしれない)

気温1度である。

雪が舞っている。 

わたしの鼻腔と肺と手先がびっくりしている。

12月中旬、今シーズン初めての雪にこんにちわ。


朝、あわてて押し入れから出したダウンコートの下で震えるカラダ。

はわー、少ししたら慣れるかしら。



階段を降りると


こういうお出迎え、いいね!

待合室のマッサージ機、

こういう遊び心、カモン!


駅から数分歩き、タイムズでシェアカーを借りて、



ちらりと雪化粧の車、


いざ。

11:00出発!



途中、住宅街のパン屋さんに寄り道しました。






マツウラというこのパン屋さん、

1番人気サラダパン、

うん、美味し。

黒糖クリームパンには甘い豆が入っていて、豆好きニヤリ。

一個200円を超えるものは見当たらない。

金属のお盆がレトロです。


せっかく福島県を訪れたからには

ソウルフードのクリームボックス(パン)を

ゲットしたかったのですが、ここにはなかった。

郡山にしかないのかなぁ。


ま、まだ旅は始まったばかりだし、

これから会えるかも、です。

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埼玉県 縄文の旅5

2023年12月18日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

引き続き、

埼玉県立歴史と民俗の博物館にて。
 
大きい馬の埴輪。
 
こんな大きくて立派な埴輪も製作できる時代ということか。

男子埴輪
 
太ももムチムチの埴輪くん。 
 
ちなみにわたしは
NHKおーい!はに丸、の世代です。
 
地蔵塚古墳の線刻画 7世紀
 
ただの落書きだったりして。
にしても、石だとこんなに後々まで残るのだ。これから石に何かの画を彫るときは本気だして描こう。

 

平安時代の蔵骨器。
 
火葬したということは、仏教が入ってきてるということ。
これ奄美大島の展示説明員の人に聞いた知識。
はじめて火葬を知る人たちは
え!ご遺体を焼くなんて!
とびっくりしたに違いない。
 
 
階段を降りていく。

 

各展示室にいらっしゃる展示説明スタッフは、専用の小さい机と椅子があって、そこに座ってたり、立ったり、うろうろしたり、時間を持て余しいるようにみえる。

 

ここの博物館はカフェが併設されていて、カレーの匂いが充満している。

いい匂い。

 

埼玉県は東京都のように西側が高いんだね。

 

きれいなお庭があって
 
さっきまで幼稚園くらいの子どもたちが火おこし体験をしていた。
いつか子どもとやってみたい。
 

12:30出発

12:35 さいたま市立博物館到着

したけど、さっき存分に博物館は堪能したので、ここはまたいつか、ということになり、

次は向かう。

 

車を走らせているとロジャース発見。

埼玉県といえばロジャース。

さすが店舗が大きいな。

 

13:20

水子貝塚公園到着。


 
公園には落ち葉を掃除するおじさんが数人いるだけ。
 
昭和12年に発見された水子貝塚。
 
水子貝塚は平坦な台地で、貝塚から北に100mぐらいで海、南に100mほど行くと、水が湧き出る泉があり、小川となって海へ。小川には冷質学が棲み、夏には
難が飛び支いました。川は所々によどんで沼になり、自や違が操れま
した。
海は浅く、為が引くと学が現れました。千潟には多くの生物が生きづき、人々は急いで貝や海草を集めてまわりました。や酸は、丸木船の上からヤスで突き、しとめました。
台地の上には季節の変化に富んだ落業業株が育まれていました。
森を切り開いて直径約200mの空間に村を築いた。
長距離歩行が得意なヒトだが、生き物豊かな海や小川や林に囲まれて集団で協力しながら生活を営んでたとすると、狩猟生活ほど歩かずにすんだだろう。
 
 
 
埼玉の貝塚、埼玉の海。
縄文時代前期中頃(約5,500年前)。
貝塚といえば集落ですね。
貝層の中には焚き火あと、
サメの歯、屈葬の人骨、イヌの骨などが出土している。わくわく。
 
中へ入ってみよう。

 
種や虫が土器の圧痕になってみつかる。
当たり前のようで、色々な想像ができて楽しい。


ここは
ベンケイガイの腕輪をしてみよう!
とか体験型の展示が多く楽しい。

 
木の実を割ってみる。
中まで粉々にならないように力を調整して何度か挑戦していると
自分の中のDNAがざわつく。
ご先祖様も同じような作業をしていた可能性は大いにあるのだ。
 
 
親子連れがいらして、
小学生低学年くらいの娘さんが
熱心にみたり、父母と話したりしていて
感心した。
わたしのこの頃はまだ
ひょうきん族をみてヒーヒー笑ってた。
 
話がそれたね。
 
米づくりがはじまり、周りに溝を掘った環濠集落もあらわれた。

富士見市の歴史のものさし。

 
多くのムラができていったことがわかる。
 
縄文時代早期(約7500年前)
打越式土器

 
二枚貝を使った文様。
おっこし式と読むのね!

縄文海進時の海域と貝塚の分布
 
チーバくんが浮き彫りに!
 
甲府盆地の土が混ざってる土器

 
各地と交流があったことがわかる。
サビーというキャラクター。
 
 
ムササビと言われれば
見えなくもないが、うーん。
けど、うまく出来ているなぁ。
芸術的。

水子貝塚展示館
 
 
国指定史跡水子貝塚公園は、
縄文の森を再現するにあたり、江川流域のボーリング調査を行い、水子貝塚とほぼ同年代の地層から珪薬や花粉を採取したらしい。
そのデータと水子貝塚から出土した炭化種子などをもとに当時の植生を推定して、
コナラ、クヌギ、マテバシイ、シラカシなど 、園内には56種約1,500本の木が植栽されているそうだ。
ここの公園に来るだけで縄文時代にトリップできるというわけだ。

こちらの展示は水子貝塚の住居跡の発掘調査を再現したもの。

 

縄文時代に多い屈葬によって貝殻の中に葬られていた30歳から40歳ぐらいの女性の人骨もみえる。

 

若い雄犬の骨も出土している。

 

 
富士見市水子地区の時間軸

 
水子とは水のあるところという意味。
縄文時代って長ーい時代だ。
旧石器時代の活動の跡も残されているんだから、人間が長く住んだ、住みやすい場所だったんだね。
 
水子貝塚は富士見市に海があった最後の華
という表現が気に入ってしまいました。

 
群馬の山あたりは貝塚のない遺跡になる。

1-2才の犬や犬の牙をペンダントしたものも埋められていたらしい。
 
どこだったか筆の会社がその技術を使ってペットの毛をチャームにするそうな。
ペットといつも一緒にいたい気持ちは今も昔も変わらないのかしら。

出土した人骨
 
抜歯の風習は世界でも多くの地域であるようだが、感染のリスクもあったろうに、想像すると歯が痛くなる。
この人は女性だけど、みんな強いよ。
 
歯牙製垂飾

 
イルカがここにいたの?
それとも交流によって得たのか?
 
 
オオタニシ

 
ヤマトシジミ

 
水子貝塚でもっとも多く見つかるのはヤマトシジミ。淡水と海水が混ざった水域のためたくさん採れたのだろう。
 

マガキ


 
ハマグリ

 
サルボウ

 
サルボウ貝は赤貝の仲間らしい。
島根県出身の義弟によると
おあばちゃんやおかあさんがこの貝を醬油ベースで煮たものをよく作ってくれたらしい。
いつか食べてやる!
 
水子貝塚・打越貝塚の四季の生業

 
現代の日本は飽食でなんでも食べられるつもりでいたが
この時代にいまもいるのに食べてないものってけっこうあると思う。
とくにスーパーのお肉コーナーに並ぶ種類が限られている。
もっと色々なお肉を食べてみたいが
これから狩りにいったり、落とし穴を作って待っている生活は厳しい。
とにかくわたしのいるこの時代は案外偏食なのかも、とさえ思った。



 
このあたりの貝塚がある地域にはだいぶ足を運ぶことができたなぁ。


 
 
縄文時代のシジミは今よりも大きかった!
 


 
イボキサゴってナガラミに似てる。
違う貝なのかな。
ナガラミはかなり好きで
売ってるとまず買う。
千葉県産の。
もうすでに貝の口になってる。
貝が食べたい。

 
からの、木の実。
トチのあくを抜く方法なんて誰が思いついたのか。そして
そのようなノウハウが伝播されるってすごい。今現在にまで伝わっていると考えていいよね。
情報は伝える限り廃れない。

燃り合わせたものです。このころの水子貝塚の土器は「黒浜式」と呼ばれる。
縄目や篠竹(しのたけ)を割った道具がよく使われてるらしい。材料の粘土にも植物繊維がたっぷり混ぜられているのはなぜだろう。強度が上がるのかな?

水子貝塚の再現
 
水に囲まれて、暮らしやすい土地だったのだろう。
水が内陸に入り込んでいるから、
浅い海だろうし、
 
海が荒れることも少なかったのかな?
 
昭和13年の読売新聞の記事


 
明らかにされず埋もれた貝塚もたくさんあるだろう。
いちいち公園にしてたら都市
計画もすすまない。
けど、ここは守るぞ!と尽力された人々がいることだけは確かだ。
 
そのおかげでわたしは
太古の人々の生活を想うライフワークを楽しめているのだから。

水子貝塚出土土器



 
ここの土器はシンプルですね。
 
 
 
石器もでています。
 
 
土鈴(どれい)

 
鈴も作れるのか。

 
公園内を散策していると足元にどんぐりが落ちていて
縄文を感じる。
現地に赴く醍醐味。

 
この竪穴住居はいままでみたものの中でも広いほうでした。


 
実際に発掘された場所の上に復元しているため、
お隣のおうちとのスープの冷めない距離感も体験できる。
 
いちばん遠いと思われる住居の間隔でさえ、私の足で25歩。



 
14:30出発
 
15:30自宅到着
 

旅行から帰ったあとの数日は物事を考えるときの尺度がひろがっているのがわかる。
普段の脳内は今日の夕飯とか、こどもの学校提出物とか義母のショートステイとか
いわばわたしの周りのごく狭い世界のタスクがすぐ占めてしまう。
だけど知らない土地へ出向いて、何千年も前のことを何度も繰り返し想像する、というイレギュラーが
その後しばらくだが、忙殺されてややよどんだ頭の中を透明にしてくれる。
気がつけば戻ってしまうので
だから、また旅に出るのかもしれない。
 
埼玉県も楽しかった!
 
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埼玉県 縄文の旅4

2023年12月17日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

10:30到着


埼玉県立歴史と民俗の博物館


 

銀杏の匂い。

 

予想超えて立派な施設である。

こちらは1971年に県立博物館として大宮公園、北西の一鶴に建設され、有名な建築家の方が設計したそうです。

 

 

大宮公園内遺跡。





奥東京湾の存在がわかる。
 
埼玉県が海だったとはいまだに不思議です。
これまでは海の近くの貝塚をみてきたから、今回のような内陸である埼玉県で貝塚の存在に出会うことができると、自分が古の海岸線沿いを歩くというタイムスリップに成功していることに気づく。


こういう全体がみえてくる展示ってセンスあるよね。



ローム層は酸性度が強いから、石器以外の遺物が残らないのか。

埼玉県からは旧石器時代の黒曜石がたくさんでてきています。

縄文時代の竪穴住居は約20平方メートル。



ちなみにうちは5人家族でぎゅうぎゅう詰め気味の55平方メートル。
来春に長女が戻ってくる予定なので、
家族全員いまから戦々恐々としている。

縄文時代の四季。

今年の秋、公園でどんぐり拾いをする小5の次女と5歳の姪っ子に、平らな石と大きな丸い石を使ってどんぐりを割って中身を見せたところ、2人ともそこから数時間、テコでも動かず、暗くなるまでその作業を繰り返していた。
手を使う楽しさは太古から脳に刷り込まれているものなのかもしれない。

埼玉に海があった証拠。

この地でアオウミガメに会えるとはねぇ。
10代に小笠原の父島へ貧乏ひとり旅に出かけた際、カメを食べる文化があることを知った。わたしが食べたかどうかは覚えていない。

縄文時代における奥東京湾の海水面の変化。

縄文時代は1万年と長いから、
海岸線もかなり変化しているのだな。

丸木舟。

石を使って、1本の木をくりぬくのも大変だが、加工する部分を火で焦してけずりやすくした工夫がみられるってことは、かなり火を便利に使いこなしていたということになる。

縄文人はこれで海や河沼へ出ても、水も入るし一苦労だったに違いない。が、浮いている大きなものがあれば、水の上で出来ることも増えるだろう。現代はSUP(サップ)で移動や釣り、はたまたヨガまでやるんだから。


川口市 宮合貝塚 6号住居跡 注口土器。


うちのヤカンも20年超えの逸品だが、
3,500年前でこの冴えたデザイン、
恐れ入ります。

飯能市加能里遺跡

約3000~3500年前(縄文時代後晩期)


土製でこの立体感。
まさに超絶技巧。
このような耳飾りは他でもお目にかかったことがあるが、当時の製作者は脚光を浴びたのではないでしょうか。
おおいに流行って、各地に広まった、という想像。


動物型土製品。

耳飾りに比べると、
この動物たちはもう少しうまく作れなかったかしら、と苦笑。
不器用な人か?はたまた子どもか?
飯能に住んでいた人たちの多様性だ。

大小の石や砂利を敷き詰めた構築物(礫敷遺構)が3~4mの幅で帯状に直線的に広がっているのが見つかり、水が湧く場所に近く、ぬかるむ環境であったことから、居住地と湿地や水場をつなぐ「足場」や「道」だったのではないか、と。

不自然な土の高まりがある場所も分かっていて、縄文時代の人々が土木工事をした跡と考えられているようです。

水が近くに住むことは、便利と不便さをあわせ持つだろうから、生活しやすいように工夫していたんだね。


縄文人の平均死亡年齢は、男女とも31歳。


数千年後、人間がこの3倍長く生きながらえるようになるとは、よもや縄文人も想像すらしないやろ。

現代人と縄文人の頭の骨。

縄文人の上下の歯は
きれいに噛み合っているのか。
歯が大きくて、顎の骨も立派にみえる。


やっぱり屈曲位がいいよ、
体が楽だもの。


深谷市 原ヶ谷戸遺跡 土偶


ちょっとだけかわいい。

このシイタケマンみたいな土偶
強そう。

石棒。

全国石棒ランキングなるものがあるのか。
祝全国10位。

確かに圧倒される。

漆塗り土器





試行錯誤の末、漆を塗ったら腐りにくい、丈夫
なんてわかるのだろうか。

縄文時代の編み物。

よくぞ生き残ってくれた繊維よ。

深谷市上敷免遺跡。

再葬墓は奄美大島でも聞いたなぁ。
遺体を軽量化するためか、
それとも祭礼的なものなのか。



赤く塗られた弥生土器


古墳の石室

古墳時代 土師器

古墳時代はシンプルなデザインに。


ヒスイ製勾玉

勾玉って、いつも思うけど、生き物の赤ちゃんだ。胎児だ。

このカタチを目撃したことが何度もあったとしか思えない。見た人が伝えたとしか思えない。


個体発生は系統発生を繰り返す


ってフレーズがよぎる。


じゃなくて、

とにかく、この頃の人は生き物の原型を何らかの機会に知ったのではないか。


 
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埼玉県 縄文の旅3

2023年12月07日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

次の日、

朝ビッフェ。


新しいホテルなので

朝食会場にある2台のトースター新品すぎて眩しい。


ダンナが好きな車のみえる席を確保。






ほんとに車とバイクを愛してるんだね。


朝ごはん食べない派でも

無料となれば食べるの一択である。


ご馳走さまでした。


お世話になりました。

北本ハナホテルさん。


駐車場にいたトンボ。
うまく捕まえられず、逃げられた。


ちなみに埼玉県内では
駐車場🅿️の境界線が
この点線スタイルをよく見かけた。


埼玉県アイデアかな?


9:30ホテル出発。


みえてきた!

あれじゃない?

林みたいなところ。




9::40 デーノタメ遺跡到着。


この隣にはフツーに団地がある。



立ち入り禁止。

入ってもいけないのか…。
放置感否めず、
遺跡の将来が少し心配になる。
が、集落があったであろう場所では、
土を踏みたかったな。


ここの団地の方々も

まさか泊まりでここを見にくる輩がいるとは思うまい。デーノタメという面白い名前は昭和40年代までこの地にあった、ため池の名からきているそうです。ため池の「ため」なのか。はじめはアイヌ語?と思ったけど。なんにしろ、デタラメ、ではなかった(失礼)。


写真だけ撮って出発。


車内BGMは

先日、天に召された谷村新司さんの曲。


忘れていいの

をかけてたら、

デュエット曲いいなー、


ライオネル・リッチーとダイアナ・ロスの

エンドレスラブ。


向かうのは

埼玉県立歴史と民族の博物館!

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