13:30到着
ウエスト麦野店(うどん)
いつもは昼食をとらない夫婦ですが、
テレビで福岡のうどんはやわらかい
と知って、ラーメンよりうどんが好きなわたしはぜひ行きたいと思っていました。
この時間でもほぼ満席。
肉得うどん690円。
たしかに柔らかい。
けど、のびちゃった柔らかさではない。
唇と舌に心地よいうどん。
特筆すべきは、ワカメ。
歯応えがあり、チェーン店の脇役レベルではない。
ここは焼き肉店、牡蠣小屋、中華店と
独立した店舗が集まっている不思議な場所だ。
ウエストありがとう!
14:20 板付遺跡弥生館到着。
外観の写真撮り損ねた( ̄ロ ̄lll)
建物の前の敷地に適当に車を停めて、受付窓口で車停めますね!
と一言伝える。
この板付(いたづけ)遺跡は日本で最も古い水田があったというところで
縄文時代の終わりごろと言われていた地層から発見された。
水田があるなら弥生時代?いや縄文時代の終わり?
Oh!
縄文時代と弥生時代のミックスカルチャー!
夜臼(ゆうす)式土器
板付式土器
弥生人の足跡
水田に裸足の足跡は多数見つかったらしいが、
なぜこれが選ばれたのか?
手相みたいに足相がよい足だったとか(笑)
大型壷と甕棺(かめかん)
弥生時代の福岡市から佐賀周辺では人の骨を甕などにいれて埋葬する風習があった。
土葬や木棺にくらべて、人骨が残っている例が多い。
土器自体もそうだけど、焼いた土ってほんと強いんだな。
だからこそ現代も世界中で焼き物が使われているのか。
でた、石包丁!
教科書に必ず登場する名前。
実際にこれでたくさんの稲の穂を切るのはしんどい作業だったろう。
手首がイカレてしまうもん。
さまざまな種類の道具たちが見つかっているんだね。
カタチが遺っているだけでこんなにあるのだ。
モノにあふれた現代だが、
この頃すでにモノがたくさんだ。
モノが大好きな動物、それが人間。
板付弥生のムラの米作りの道具
100年前の農具です、
と紹介されても、疑わないわね。
2400年前の農具です。
鋤(スキ)くらべ
カシの木で作った鋤は、小さいサイズでも手にずっしりくる硬さ、密度を感じる。
植物を使って繊維を布を服を作ってしまうなんて、
思いついて試して伝えた人たちがいたという事実。
板付遺跡弥生館では、弥生時代と同じ遺伝子を持つ蚕を飼育してるんだって!
沓(くつ)
皮で作ってないから靴ではなく沓になるのかしら。
愛知県出身の相方は
「靴」の発音のアクセントがはじめにくる。なぜか「沓」の字はそれを連想させる。
わたしは東京出身なので、後ろの「つ」の音が高い、標準アクセント。
考え事の寄り道でした。
火おこし(まいぎり式)
がんばってみたが1分ともたず。
けど、焦げた匂いがして、先端が熱くなってて感動する。
寒いときは暖かく、食べにくいものも食べやすく、やわらかく、香ばしく、さらには殺菌、て
料理だけ考えてもすごいよ、火の発見は。
ワンタッチで火を使えるありがたさよ。
弥生土器をしのばせる土器焼き風景
これけっこう興味深くて、
中国雲南省の民族がこんなふうに土器を焼いてるよ、という紹介。
野焼きよりも温度が上がって、丈夫な土器が焼けるし、
毎回作っては壊しの窯だけど、焼く量に応じてちょうどいいサイズの窯が作れる。
1978年(昭和53年)ここで縄文水田の跡が発見された。
縄文土器もあって、米も作ってる。
我が家みたいに洗濯機はあるけど、いまも洗濯板使ってる的な?
ちょっと違うか。
年表にかかれているようにハイここから弥生時代、なんてありえないもん。
今日から米作ろう、縄文土器は使いません!とはねぇ。
ムラの周りには深い溝でとりかこまれている。環壕だ。
相当苦労して環濠を作り上げたはずだが、敵が攻めてきたような証拠はないそうです。
矢じりのような武器や人骨のような、ね。
そうなると環濠の存在意義は何だったのか。
タワマンに住みたい心理があったのかも、
と展示説明スタッフさん(森保監督似)のお話が面白い。
建物をでて、公園へ。
外の公園は通り抜けできるようで、下校中の小学生が楽しそうに歩いてる。
こちらの小学生は帽子をかぶらないんだなぁ。
自販機にキャラがいた↓
環濠をわたることができる。
弥生のムラの空間が体感できる貴重な公園だ。
散策しながら板付のムラをイメージ・・・
したいが、なんせ雨天だったので、足元も悪く
すでにスニーカーがあやしい濡れかたしてる。
環濠を渡って、中に入ったあたりで、
ごめん、(誰に謝る?)と引き返す。
復元水田
すぐ近くを飛ぶ飛行機の音。
わぁ!と感動するや否や
本日乗せてもらうはずのピーチ姫✈️
つい舌打ち。
うそうそ。悪いのはわたし。
15:30 板付遺跡弥生館出発