牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

2月11日(月) 「牧師の仕事②」 鈴木崇巨著

2013-02-11 11:39:41 | 日記

 「牧師の書斎」の項目からの引用。「多くの牧師が勧めていることは、無駄と思われる本を買わないことです。、、、、良いものを購入して生涯使うようにします。、、、、説教の準備のために多くの書物を購入しなければならないというような観念は捨てるべきです。なぜならば聖書は聖霊の力によって最も深く理解されるものだからです。多くの書物を読むよりも一冊の良い書物が何と多くのことを示してくれるでしょうか。」

 私は無駄に本を買っているように思う(ミステリーなど牧師の仕事と関係ない本や、神学関係でも軽めの読み物など)。できるだけ本当に良いものだけを購入するようにしたい。実は本当に必要な本だけでも多いのだから(聖書神学や教義学などの古典や実践神学の最新領域など)。聖書は聖霊によって理解されるものであるというのは真実である。多くの学者がわけの分からない聖書解釈をした本を出版している。聖書の本質をほとんど理解できていないのである。


 「礼拝の指導」の項目からの引用。「聖餐式中心のミサ礼拝に対して宗教改革者ルターは聖書という「神の言葉」の宣言に礼拝の中心を置き、原始教会の礼拝に回帰しようとしました。聖餐式も神の言葉の宣言の一形態とみなしました。もう一人の宗教改革者カルヴァンは神の超越性と人の低さの理解を深め、徹底してカトリック教会的なものを排除し、より原始教会の礼拝に近い姿を求めました。」

 「礼拝はそもそも人から神への祈りと神から人への言葉(聖書、説教、聖餐式)という二つの上下の流れによって構成されます。この二つの流れが礼拝の中で複雑に組み合わされており、これ以外のものはありません。この二つの流れはらせん形に上昇的に一つの目的、神を賛美し礼拝する目的に向かっています。」

 牧師の主な仕事の一つは、礼拝において会衆を賛美礼拝と祈りへ導き(人から神へ)、会衆へ説教を通して神の言葉である聖書を解き明かすことである(神から人へ)。



 「説教」の項目からの引用。「牧師は毎日聖書を読みます。それが重要な仕事ですから読みますが、実は仕事としてではなく一人の罪人として信仰的な喜びをもって読みます。自分に語りかけてくる神のか細い声を聞こうとして読みます。説教はそのような日常の聖書を読むという努力から出てきます。読んでいる時に、その箇所から湧いてくるメッセージをノートに書き留めます。説教の最も基本的な準備は、このような日毎の聖書を読む作業です。、、、牧師はいつも聖書を読んで説教を作らなくてはなりません。それが仕事です。」

 「一九世紀の米国の長老派の牧師であり神学者であったウィリアム・シェッドは『説教学と牧会学』の中で、牧師の最も基本的な資質は敬虔さであると主張しています。その理由として、牧師本人がどう考えていようとも、地域社会の人々は牧師を「宗教の人」と見ていることを上げています。、、、祈りを中心にした敬虔な信仰生活が説教を作るための基本的な準備です。」

 「ウィリアム・シェッドは、『説教学と牧会学』の中で、良い説教とは次の三点を基本的に備えているものだと言います。」
 1.平易であること     レトリックでは、平易とは全体の構成が明瞭で論点がよく分かることを言います。つまり知的によく理解できる説教が良い説教であると言えます。
 2.力を持っていること   その説教を聞くことによって、聞く人が心を動かされるような説教は力があると言えます。聖書にはそのような力があります。人間的な力ではなく、御言葉が明らかにされることに伴って出てくる力です。このためには説教者がまず聖書の良い学徒になることです。聖書の良い学徒とは聖書の釈義ができることと教義を知っていることです。
 3.美しさのあること    説教の美しさとは、複雑な展開の中に一致があるという意味です。それは、美辞麗句で飾られるということではなく、一つの主題がいくつかの展開を見せながらも一致と簡潔さを持っているということです。

 祈りと聖書を読むことによって敬虔さを身に付け、地域社会で「宗教の人」として恥ずかしくない生き方をしたい。それが説教の基本的な準備になる。また聖書釈義と教義学の継続的な学びが必要である。これは生涯に渡って続く勉強である。教会開拓をすればそれに加えて週ごとの実際的な説教の準備がある。