ヘクソカズラの花の横に(オンブバッタ)がいるのです。まるで朝刊と夕刊みたいです。
3年ほど前から熊日新聞の夕刊を購読しはじめました。何かしら‘面白い’ということを聞いて販売店さんにお願いして読みはじめたのです。しかし、残念なことに人吉では夕刊はあくる朝の朝刊と一緒に配達です。したがって‘速報性’という面では意味ないものでした。一つの面(テレビ欄)はまったく用を足していませんでした。しかし、文化面を初め、朝刊ではみられない記事があって楽しく読むことができていました。
その熊日夕刊が昨日で「休刊」になりました。「納刊」ではないところに一寸の安ど感はもちましたが、事実上の(納刊)だったのでは。社長のコメントに(生活様式の変化)(メディア環境の多様化)が徐々にかなわなくなったとありました。(速報性)からも新聞は後れを取っています。残されたのは(新聞ならではの内容の充実)しかないのではないでしょうか。そのことが充実されない限り、朝刊も危ういというのが本音では。
私は(活字)というアナログ的な伝達方法にも活路はあると思っています。地道に取材されて人に訴えるような記事が求められていると思います。夕刊のココロなものを引き入れた総合朝刊になることを願っています。69年間ご苦労様でした。
今日の天気(一時)