なにがあるかは時の運

日々のできごと

『ぎぶそん』

2006-05-16 23:15:02 | Weblog
児童書を久しぶりに読んでみた。
ぶっちゃけ、タイトル見てこころひかれたんですけど(笑)
夏ぐらいに新聞の広告で見て、…いやしかし、買うまではなぁ……とかさんざん悩んで
こないだ図書館で借りてみた。

いや~、初々しいよかわいいよー。
昭和のおわりで中学生っていう年代なんだけど、自分がたしか小学5,6年生かそこらだったと思うんで、うっすらかぶるかなぁ。
著者の伊藤たかみ氏もおそらく中高生だったんじゃないかと。(高校かな?)
今頃になって、ここまで書けるもんなのかと感心、、、というか、そりゃあプロの作家さんなんだしなと思うけど、書けたとしてもこんなこっぱずかしい(<褒めてます!)感情のかたまりを、自分だったら他人には見せられないなぁ
感情をもてあましてじたばたしてる様子を、でも大人だから書けるんだろうなと思わせるところもあり。なかなかおもしろいです。

おはなしは、中学生が、ガンズの曲を聴いて、かっけー!オレらもやりてー!と思って(友達のお兄ちゃんに聞かせてもらった、てあたりがリアル/笑)、メンバー補強のためにアウトローのギタリストを誘うわけです。彼がギブソンのフライングVを所有。
ちょっと弾かせてよーなんて言って、バンド仲間となった子が触らせて貰うんですが「どうすんのこれ弾きづらい」「V字の間にヒザを挟むんだ」みたいなやりとりもリアル(笑)自分も言った覚えが
新メンバーが加入して、今までの友達関係が変化するとき、妙な嫉妬心みたいなものが生じてくるあたりもなんだかリアル。<でもここら辺は大人にならないと見えないだろうなー。

文章は一人称でほんとに話し口調のようになってるんだけれど、設定やらなにやら、なにかと深いです。表面をさらっと読むこともできるし、穿ってみてもおもしろい(笑)
あるブログで、「さやま団地」(新メンバーの彼の家があるところ)は被差別なんじゃないか、という解釈も見かけました。わたしはあんまりそうは思わなかったけど、この世の中、まだまだ「環境」で将来を限定されてしまうことは実際あるわけで。
よっぱらいのじいちゃんを、人にからかわれると怒るけれど、心のどこかでは「枷」みたいに思ってるんじゃないかしらと、何日に一回くらいの割合で「もしじいちゃんがいなければ」なんて想像をしてるんじゃないかしらと、でもじいちゃんを憎みきることもできずにそんな自分を反省してるんじゃないかしらと、おもうわけですよ。だからお葬式の時にちょっとしか泣かなかった(泣けなかった)のかなあと。お葬式が終わったら枷がいっこ外れて、じいちゃんにかかりっきりになる(悪く言えば、犠牲になる)はずだった未来が、自分の手元に戻ってきたカンジかなと。

そんなこんなで、最後の方の彼に感情移入して読んだわけですが、これが中学生の頃に恋なんかしちゃった思い出があると、主人公ふたりに感情移入するんだろうな。

もひとつぶっちゃけると、海里はもっと“がきんちょ”だったので、洋楽どころかバンドもジャニーズもてんで興味が無く、ジャンプとかりぼんとか回し読みしてたなあ。<中学時代。それでも、学祭になぜかバンドを組んで、本番がたがたに崩れたんですけどね(笑)