私が右脳的に英語の記憶を再編して以来、一番顕著な現象は、「調子のよいときには、あふれるように英語が口から出てくる」ということである。これは、右脳トレーニングを行い英語のセンテンスの記憶を右脳的に再学習する以前には、決して実現しなかったことである。こういうことが話したい、と思った(日本語で思ったかどうかもわからないのだが)瞬間に英語が口から出ている。
英語に関して言えば、この学習の前後であまり変化しなかったものもある。それはヒアリングの能力である。言葉にこだわらずに、全体として何を言っているかがさっとわかる時もあり、これなどは右脳がヒアリングの能力向上に寄与してはいるが、スピーキングにおける無意識的検索の有効性にくらべるとやはり影がうすい。
ヒアリングも、結局は相手の言った言葉を自分の頭の中で検索する過程があると思われるので、右脳のトレーニングは役にたっているはずなのだが、どうもスピーキングほど効果が顕著でない。
ヒアリングは、検索以前に相手の言葉がまずそのまま聞き取れないといけないのだろうが、早い会話では、私のこれまで聴いたことのない音があらわれて、それを聴きそこなうのかもしれない。もし、音として正確にとらえることができるなら、その後の検索は右脳が働けば非常に有利なはずなのだが・・・
まったく新しい言語を学ぶ過程では、ヒアリングにおける右脳の貢献は顕著である。しゃがれ声、悲痛な言葉、得意げな言葉など、感情のたっぷり入った、あるいは奇異な言葉、センテンスは、一度聴いたら忘れられない。いやでも頭にくっついてしまう。しかし、実際の会話になると、相手はしゃがれ声や感情たっぷりの言葉で喋ってくれるとはかぎらない。この段階になると、ヒアリングにおける右脳の貢献は劇的でなくなるだろう。
英語に関して言えば、この学習の前後であまり変化しなかったものもある。それはヒアリングの能力である。言葉にこだわらずに、全体として何を言っているかがさっとわかる時もあり、これなどは右脳がヒアリングの能力向上に寄与してはいるが、スピーキングにおける無意識的検索の有効性にくらべるとやはり影がうすい。
ヒアリングも、結局は相手の言った言葉を自分の頭の中で検索する過程があると思われるので、右脳のトレーニングは役にたっているはずなのだが、どうもスピーキングほど効果が顕著でない。
ヒアリングは、検索以前に相手の言葉がまずそのまま聞き取れないといけないのだろうが、早い会話では、私のこれまで聴いたことのない音があらわれて、それを聴きそこなうのかもしれない。もし、音として正確にとらえることができるなら、その後の検索は右脳が働けば非常に有利なはずなのだが・・・
まったく新しい言語を学ぶ過程では、ヒアリングにおける右脳の貢献は顕著である。しゃがれ声、悲痛な言葉、得意げな言葉など、感情のたっぷり入った、あるいは奇異な言葉、センテンスは、一度聴いたら忘れられない。いやでも頭にくっついてしまう。しかし、実際の会話になると、相手はしゃがれ声や感情たっぷりの言葉で喋ってくれるとはかぎらない。この段階になると、ヒアリングにおける右脳の貢献は劇的でなくなるだろう。