龍山義弘の武道求道録

人生を通じて、様々な武道や出来事に挑戦する過程を綴っていきます。
「人生はチャレンジ!」 命尽きるまで全力投球!

令和4年度 春日館卒業式を行いました!

2023年03月21日 | 春日館道場

春日館相撲道場では、令和5年3月17日(金)に令和4年度春日館少年部卒業式を行いました。

今回、卒業するのは、たくと君(中学3年生)とそうたろう君(中学3年生)の二人です。

たくと君は7年間、そうたろう君は6年間に渡り、道場に通って相撲の稽古に励みました。
同じ学年の二人は、小学生の頃から、良き友であり、負けたくないライバルでもありました。

今日が最後となる二人の三番稽古は、白熱した取り組みとなりました。

この後も私との取り組み、ぶつかり稽古をやり遂げて、卒業検定は合格。私から卒業証書を渡しました。

たくと君は大相撲の世界に挑戦。そうたろう君は市内の高校に進学して柔道に励む予定です。

二人の健康と益々の活躍を祈ります。

がんばれ! たくと!

がんばれ! そうたろう!


平岩大典監督を偲ぶ

2023年03月21日 | 相撲

中央大学相撲部のOB会長兼相撲部総監督の平岩大典さんが、令和5年2月25日にお亡くなりになりました。

約40年間に渡り、当初は中央大学相撲部の「コーチ」として、最終的には「監督」として、ずっと相撲部を支え続けてこられました。

私が大学生の時は、まだコーチでしたが、大学職員として勤務する傍ら、毎日、学内の相撲道場に来て、学生の稽古をみて、時に厳しく、時にやさしく、指導していたのは、平岩さんでした。
合宿中は、平岩さんの家でちゃんこ鍋を作って、レギュラー選手にお手製の料理を振舞っていただくこともありました。

他の大学相撲部関係者も、中央大学相撲部といえば、平岩さんの姿が頭に浮かぶ人が多かったのではないかと思います。

平岩大典さん、あっての中央大学相撲部と言っても過言ではないと思います。
異論をはさむ中大相撲部OBはいないと思います。

身体が大きく、叱るべき時には厳しく叱るので、怖い人という印象が強く、相撲部の学生からは恐れられていましたが、本当は心が優しく、義理人情に厚く、表舞台に出て、でしゃばることもなく、じっくり人を見ていました。

相撲についても、非常に詳しく理論的でした。

まだ、66歳という若さだったので、残念で寂しい限りです。
ご生前の中央大学相撲部への長年に渡るご尽力とご功績を偲び、心から哀悼の意を表します。

私の良き師であり、お手本でした。
どうぞ安らかに永眠されますようお祈り申し上げます。

平岩監督、ありがとうございました。

 

▲ 1985年 平岩監督の地元の和歌山県で中央大学相撲部が夏合宿(38年前、私は前列の左から二人目)

 

▲ 1987年 全日本学生相撲選抜秋田大会で中央大学は団体優勝。相撲部の指導者に就任して初の団体優勝で「この時はうれしかった!」と生前語っていました。
後年は団体優勝しても、あまり学生と一緒に写っていませんが、この時は土俵に上がって写真に納まっています。
この後、平岩さん(当時、コーチ)を部員で胴上げしました。(平岩さんは左端、私は後列右端)

 

▲ 1988年 和歌山県で開催される全日本社会人・学生選抜相撲和歌山大会に出場するため、前日は平岩監督の和歌山県のご実家(お酒屋さん)に泊めていただきました。(左端は平岩さんのお父様、真ん中は私、左端は同級生の井上君)

 

▲ 1988年 全日本学生相撲選抜宇佐大会で団体優勝。当時の羽瀬監督のご実家で祝勝会
 この時も大会会場では、羽瀬監督(当時)、平岩コーチ(当時)は学生と一緒に写真に納まっていません。

▲ 2019年 全日本大学選抜相撲宇和島大会で中央大学相撲部が団体優勝。この後、新型コロナウイルスの感染拡大で3年間は大会開催中止となります。
平岩さんにとって、愛媛県における最後の団体優勝の記念写真となりました。

 

▲ 中央大学相撲部100周年記念祝賀会(東京都で開催)の二次会で「平岩監督と一緒に写真を撮りたいです!」と平岩監督にお願いして撮影しました。二人でがっちりと握手しています。

カメラの調子が悪かったので、何回も撮り直しの末、ガラケーの携帯電話のカメラ機能で撮影した平岩監督との唯一のツーショットです。(ピンボケですが、、、。)


いざ!学生相撲へ上京!

2023年03月21日 | 春日館道場

きょうは、勇斗くんが上京前に道場にあいさつに来てくれました。

小学2年生から春日館相撲道場(松山市)で稽古に励み、中学卒業後に愛媛県立野村高校に進学。
高校相撲では、県大会、四国大会、全国大会で活躍し、春からは中央大学に進学します。

私自身も中央大学相撲部OBなので、教え子が同じ道を歩んでくれるのはうれしい限りです。
しかし、他の大学に行こうが、大相撲に行こうが、相撲をやめて他の道に進もうが、縁あって春日館相撲道場に稽古に通ってくれた「子どもたちの幸せ」を願う気持ちに変わりはありません。

きょうは、小学、中学、高校、大学と相撲を続け、昨春に朝日大学(相撲部)を卒業したひかるさんと20番ほど三番稽古を行いました。

ひかるさんも希少な「女子相撲」の選手として、ずっと男子選手の中に混じって稽古する厳しい環境の中、社会人になるまで相撲をやり続けたのは、実に立派だと思います。

勇斗くんも中央大学で、勉学と相撲の修業に励み、人として更に大きく成長していってほしいです。

二人の健康と活躍を祈ります。


沖縄に人生初上陸!

2023年03月04日 | 相撲

中学生の頃から相撲の選手として、また監督として、北は北海道、南は鹿児島県まで47都道府県、日本全国を旅してきたが、まだ行ったことがない県が一カ所あった。

沖縄県には一度も行ったことがない。

2023年2月25日(土)に和宇慶くんの結婚式に出席するため、初めて沖縄県に飛行機で向かった。

和宇慶くんとの出会いは、2017年に愛媛県西予市で開催される「えひめ国体」で地元愛媛県が勝つために、当時、まだ大学3年生だった和宇慶くんの全日本学生相撲宇和島大会における相撲ぷりに見惚れ、愛媛県相撲連盟の理事長として、えひめ国体に向けた戦力強化のために愛媛県にスカウトしたことに始まる。

和宇慶くんは大学卒業後、愛媛県に就職し、えひめ国体前年のいわて国体では、愛媛県の相撲競技・総合優勝の立役者となった。

前年の国体順位は、翌年の組み合わせに影響があるので、いわて国体での総合優勝は非常に大きかった。
和宇慶くんの「えひめ国体」への貢献度は計り知れないほど大きかったのです。

しかし、えひめ国体直前の全国社会人相撲大会の取り組み中に大怪我をして、えひめ国体には出場することができませんでした。

えひめ国体では、前年の総合優勝から総合4位と順位を下げたが、少年(5位)、成年(3位)共に入賞をする大健闘。目的は達成したと思う。
しかし、和宇慶くんは本番の「えひめ国体」を欠場して、たいへん悔しい思いをしたと思う。

その後、和宇慶くんは地元の沖縄県に帰郷して就職。
学生時代から付き合っていた女性と結婚して、今回、コロナ禍で開催出来ずにいた結婚披露宴を沖縄県で開催する運びとなった。

結婚披露宴には、愛媛県で一緒に相撲に励んだ仲間15人ほどが愛媛県から出席した。

沖縄県の結婚披露宴は盛大だと聞いていたが、やはり出席者は、約300人と多い。

開会前からみんなお酒を飲み、料理を食べているというのも、あいさつがあって、乾杯発声まではお酒も料理にも一切、手を付けない愛媛方式とは違う。

宴も終盤になるとステージの上に出席者が上がって、地元沖縄の踊りを音楽に合わせて踊り出す。
にぎやかな祝宴で楽しかった。

結婚披露宴の翌日は、せっかくの機会なので、愛媛県選手団はレンタカー  で沖縄の観光地を見てまわった。

▼ 沖縄美ら海 水族館

▼ マリンブルーの沖縄の海の色に感動しました。どこも海水が透明で海底が見えるほどキレイです。海外は別として、日本国内では見たことがない海の色でした。

▼ 首里城は火事で焼けてしまい、改築中でしたが、改築工事の状況が見れました。

▼本場の沖縄ソーキそば を食べました。

2泊3日の沖縄旅行(結婚披露宴の出席)は、相撲仲間と昼は観光、夜は沖縄の街で酒宴と思い出に残る旅でした。

初めての沖縄旅行は、一生忘れられない楽しい旅行となりました。

和宇慶くん、御結婚おめでとう!