龍山義弘の武道求道録

人生を通じて、様々な武道や出来事に挑戦する過程を綴っていきます。
「人生はチャレンジ!」 命尽きるまで全力投球!

四国大会まで、あと2日

2007年08月24日 | 春日館道場
四国四県対抗相撲選手権大会まであと2日と迫った。sunadokei

プログラム作成、各県の120人の選手の宿割り、120人の食事の手配、賞状注文、保険加入、補助金の申請など仕事が目白押し。四国相撲連盟事務局長、愛媛県相撲連盟事務局長と兼務し、大変である。準備が完璧にできていて当たり前。抜けがあると批判が殺到する。nose3ase

相撲連盟事務局の仕事に費やされる時間は、年間千時間以上、もちろん無報酬である。
これも修行なのかもしれない。ase2

当日、大会でケガ人が出ないことが、最大の願いである。clap

今日の春日館の稽古には、今井君、東洋大学牛久高校生の岡本君、中央大学生の鎌谷君が来てくれた。niko niko niko

普段は、私一人で指導しているが、後輩達に色々とアドバイスしてくれるので助かった。
今日のように複数の指導者が、指導すると目が行き届いて良いのだが。なかなか思うようには行かない。

気長に「継続は力なり」で頑張ろう。ship

道場のOBが来てくれたよ。

2007年08月22日 | 春日館道場
8月21日火曜日の稽古
茨城県の東洋大学牛久高校に相撲留学している岡本君が後輩達に胸を出しに来てくれた。niko

道場のOBが訪ねてきてくれるのが一番うれしい。立派に成長してくれているとさらにうれしい。peace

今まで松山道場のOBだけで100人を越えているが、訪ねてきてくれるのは稀である。
ときどき誰か後輩の顔を見に訪ねて来てくれるとうれしいのだが、相撲を続けていないと、そこまで思いつかないのかも知れない。beer

相撲部屋のように稽古が終わった後においしいチャンコをつつきながら話が出来ると良いのだが、道場も狭いし、なかなか難しい。nose3

今回は、柔術仲間のブログを参考に絵文字を投入してみた。文字だけよりもにぎやかな感じがよいのではないかと思うが、どうだろう。ふざけているわけではない。



最強の格闘技とは?

2007年08月18日 | 春日館道場
金曜日は、春日館の相撲の稽古日。
四国小学生相撲選手権大会が近づいてきているので申し合いに重点。
稽古の最後に最近の相撲大会における戦果の報告。
重松くん四国3位、山口くん県1位、伊藤くん県4位
そして、私の全日本柔術選手権2位のことも尾ひれ、背びれをつけて話をしてみんなを笑わせた。

私の尊敬する極真カラテの総裁、故大山倍達先生も弟子達に自分の武勇伝を聞かせて、弟子達を勇気づけた。全日本空手道選手権で優勝、アメリカに渡りプロレスラーと死闘を繰り広げ、猛牛と闘い、山籠もり等々、作家の梶原一騎先生の誇大な表現や脚色がかなり入っており、プロレスラーとは実際には1回も闘っていないと言う説もあるが、ウソか本当か、などはどうでもいいのである。リアルスーパーマン・大山倍達のサクセスストーリーに弟子や「空手バカ一代」が連載された少年雑誌の読者は胸を躍らせた。ウソか本当かだけでしか物事を語れなくなった現代では、ヒーローは誕生しにくくなったのかも知れない。

視聴率40%近くも取った格闘技イベントで「オレハ、ヨコヅナ!」と言って、何もわからずに他競技のリングにノコノコと出て行って、ボブ・サップにノックアウトされ、柔術家ホイス・グレイシーのオモプラッタで悲鳴を上げてギブアップした元横綱のせいで相撲の権威は地に落ちてしまった。相撲が負けたのではなく、彼のあまい考えによって彼個人が負けたのだが、あれほど何回も相撲の映像を事前に流されたら相撲を代表して出てきたように、誰もが思ってしまうだろう。そして、彼のKO負けイコール相撲の惨敗とみんなは錯覚して「相撲最強伝説」は音を立てて崩れ去った。

しかし、ルールに基づいた競技である以上、少しでもルールやコート(試合場)やユニフォームが違うとガラリと状況が変わることを知らなければならない。充分な下準備、訓練もせずに違うルールの競技に出場して彼は負けたのである。テニスの世界ランカーである杉山 愛選手が、同じネットをはさんで行うラケット競技のバドミントンで活躍するオグ・シオとバドミントンのルールで闘って勝てるだろうか。
「絶対に勝てない!」

運動能力が半端ではないので、バドミントンの訓練をして、経験を積んでいけば、何年か後に力が接近することも考えられるが無理である。

総合格闘技でレスリングの選手、柔道家が比較的はやく順応するのは、ルールと試合環境が似通っているからである。

私は、あらゆるルールとスタイルに習熟し、訓練と実績を積んで、あらゆる角度から武道が語れ、アドバイスができて、弟子達に武勇伝が語れる武道家になりたい。

私は、相撲を基本とした「武道家」になりたいのだ。


全日本BJJ選手権・奮闘記

2007年08月13日 | ブラジリアン柔術
8月12日(日)東京都で開催される全日本ブラジリアン柔術マスター&シニア選手権に出場するため飛行機で東京へ向かった。

大会が近づくに従って、処刑される日が近づいて来るような何か嫌な気分。

前日は宿舎で一人が「キャリア2年で全日本大会は、まだ早かったんやないんか。」「かといって来年、再来年と若返ることはもうないし、年取っていくだけやないか。出んとあかんねん。」と今さらながら葛藤と自問自答。

春日館相撲道場の伊藤好信君は、わんぱく相撲全国大会で5位。重松正治君は、四国中学総体で個人3位。松前柔道会の小学生も団体で全国2位になったそうだが、わしだけ、新しい挑戦とはいえ1回戦負けは情けない。1回ぐらいは勝たんといかんぞ。偉そうなこというだけかぃと思われるが~。

プレッシャ~。

前日の夜、テレビの歌番組でイチロー選手が「メジャーリーグという新しいステージに挑戦する時には、大変な勇気が必要だった。」というようなことを言っていた。危険や失敗もある程度、覚悟したうえで挑戦する。全力で挑戦する。怖がっていては、失敗もないが成功もない。何も得られない。誰しも新しい挑戦は怖いんや。再度、自分のモチベーションを確認。

当日は、バスで会場の新宿コズミックセンターへ向かった。
1回戦は、私より大きい182~3cmで110kgぐらいの巨大な相手。試合途中で相手の突進に合わせて、相撲の習性で頭を下げずに額でぶちかまして吹っ飛ばす。相手のアゴにあたり反則で相手にポイント。しかし、その後は、タックルで相手を倒し、横四方と上四方で相手を押さえ込み。優勢勝ち。

準々決勝は、これまた相手を倒してからフロントスリーパー、三角締めで終始攻め続けて、優勢勝ち。

準決勝は、相手がクローズド・ガードで飛びついてきたところをパスガードして、得意のV1アームロックにとらえ、タップを奪った。

決勝戦は、ブラジル人・マリオ。180cm、120kgの巨体。ミニ武蔵丸といった容貌。
相手が押し合いから内股、体落としを仕掛けるのに合わせて、足を取って倒そうとするが、腰が重くて倒れない。5分間タイムアップ。ポイント判定になりレフェリーが挙げたのは対戦相手の手だった。

「もっと積極的に技を出すべきだった・・・。」

またしても大事な場面で銀メダルコレクター。全国高校相撲東西対抗2位、全日本学生相撲体重別2位。全日本社会人相撲3位。いつも全国大会は2位、3位。きっと気持ちの持ち方がダメなのだ。勝って反省。負けて反省。

しかし、1回戦負けするのではと心配していたのからすると上出来。もしかしたら大ケガをするかもと心配していたが、それも無かったので良かった。

パラエストラ愛媛のみんな、松前柔道会のみんな、春日館相撲道場の子ども達、家族と周りの人のお陰である。盂蘭盆なのでご先祖様も兵頭先生達も守ってくれたのだろう。
ありがとうございました。



最終調整!

2007年08月10日 | ブラジリアン柔術
今日は、パラエストラ愛媛で大会に向けて最終調整。やっぱり今日も猛暑である。暑い、暑すぎる。

林代表、森田さん、石丸さんらとたくさんスパーリング。気分が悪くなるぐらい大汗を掻いた。森田さんには「もう完全に柔術家ですね。」と褒めていただけた。

そして、全日本大会の組み合わせが今日発表になった。1回戦の対戦相手は、自分より大きな相手(100キロ超)だとわかった。いざ出陣。