犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

あたらしいおひも。~谷崎純一郎「細雪」風~

2012年08月18日 | おせわがかり日誌


おれこが昨年10月うちにきてはや、10ヶ月。

一時預かりボランティアに登録してすぐ、ミグノン代表の友森さんから連絡があって、

数日のうちにオレコがやってきので、慌てて準備して以来、そのままになっていたのだが、

事前に友森さんから「散歩の途中にリードを噛み切って逃げる」と伺っていて、

リードやらの用具については、ともかく細かく指導を受けていた。

何より頑丈でないといけないと考え、そのことを優先したのであったが、

当日、店にあった道具の殆どは、かなしいかな、すべて男の子色だったので、

今でも散歩していると「男の子?」と聞かれることも多く、犬に詳しい人に至れば、

おれこの表情やらしぐさやらでその性別をすぐ見分けることが出来、

「男の子みたいな格好しているけれど女の子でしょう?」と尋ねられたりもした。





だからというわけではないが、一時預かりからうちの子になって既に8ヶ月が過ぎ、

それまでも頂きものやらなんやら、少しずつ持ち物は増えていたのだが、

冬用であったり、雨用であったりして、いつもの時に使える様子ではなかったのと、

また、体に装着する方のバンドは、逃亡を避けるため、機能性一番、頑丈なものをと所望してより、

どうもオレコにとっては、方向を変えたり、こっちはいややと意思を伝えるたび、

体のやわらかい部分にぎりりと食い込む様子で、素材の点でとても痛いのらしく、

散歩に行く前に、このバンドをつけましょうというと、散歩には行きたいものの、

首輪まではつけさせても、バンドのほうはというと、見たとたんにあとじさりし、

散歩には行きたいけれども、このバンドについては、できればつけずにいたい、という意思を示すのであった。

言葉では伝えられない分、そのいやがり方は遠慮勝ちながらも切実で、見ているほうは心が痛み、気の毒であった。

リードを噛み切って逃亡の件については、おそらくは、先方の環境の都合であるものらしいということがわかった。

というのも、愛護団体ではお散歩もボランティアでまかなっているのらしく、ひとりが複数頭をつれて、

散歩に行くのが常らしいので、それがいやというのであれば、自分をつないでいるひもを噛み切って逃げるよりほかはない。

しかしながら、おれこは私どもと暮らしてよりこの方、いくらでも出来る環境にあっても、

本人から逃げるなどということは、ただの一度もしなかったし、しようともしなかった。

随って、リードを噛み切るようなこともまったくなかったので、ここまで頑丈である必要はなかったのであるが、

おれこはかつて虐待を受けた経験があり、そのことが由来して、数多くの恐いものがあり、その恐いものに遭遇すると、

本人の意思とは関係なく、ともかくも、その場から逃げ去りたいという強い衝動に駆られるので、そういうときには、

リードを噛み千切って、あとさきもなく、あちらが安全かどうかということよりも、ともかくも此方からどこかへ逃げる、

という頭になるらしいので、それがいつそういうふうにめぐりあわさるか誰にもわからないことから、

やはり頑丈なしつらえのものをつけることに、こしたことはなかった。

また、おれこには体つきが特徴があり、顔が細いために頑丈であっても首輪ではすぐに抜けること、

また、体つきも特徴があるので、頑丈でないバンドでは、簡単にすり抜けることができることは、

頂き物の道具を装着した折に、例のパニックになる状況がおき、本人がいとも簡単に身をすり抜けて、

逃げていこうとしたことがあることから、つくりの点では、慎重にならざるをえなかった。

そうするとなかなか此方にとって都合のよい道具は売っていないもので、不満があろうと、

本人がいやがろうと、どうにも仕方がないので、今までの道具で我慢するよりほかなかった。

ところが夏になると犬の皮膚は弱くなるので、この道具を使うことで食い込むからだのあたりが赤くなりだし、

痛々しい様子なのと、今後、別れて暮らすことはもうないであろうし、それならばそろそろ、

道具を新調してもいい頃だというので、この際、おれこの持ち物を女の子らしい色合いにそろえることにした。

もちろん色合いというだけでなく、今の道具よりからだにやさしいものを選ぶ、というのが本来の目的であった。





店に行くと、ほんの1年に満たない時間ではあったが、以前に行ったときよりも、よい品物が充実し、

これはというものが見つかったのと、その道具の機能的な点と、色合いの美しくかわいらしいこと、それはまるで、

春の花が咲いたような愛らしさやよろこばしさであることなどから、これを装着したところを想像するだけでも、

そのかわいらしさは容易に浮かぶのであるが、実際に見につけさせてみると、もともとやさしい顔立ちをしているが、

さらにやさしくみえるようになり、どうかすると体全体で桃の実のようにやわらかで、輝くように見えるのだった。

手に持ってみてもその道具のよさや違いはすぐにわかるのであるが、からだにつく部分のやわらかいことこの上なく、

おれこの体にやさしいことは、本人のほうでも装着してよりすぐに理解できたと見え、以後、

散歩の前の遠慮勝ちな「いやいや」は、以前の道具のときと比べると、殆どしなくなったのであった。

犬にこのかわいらしい色あいがわかるのかどうかは飼い主には不明であるのだが、このおひもを使い出してより、

おれこを散歩にと誘うと、ことのほか機嫌のよい調子で、もしかすると、本人が以前の道具が嫌いな理由のほかのことで、

存外にこのおひも自体を身につけることを、幼女が新しいかわいらしいべべをもらってまとうときのようにうきうきとし、

そのように気に入っているのではあるまいか、などと、人が聞けば世迷いごと、と笑いそうなこととて、

それでも飼い主はどうかすると犬が幼女のそのように思えてきて見えてきて、つい、ふっと微笑むのであった。

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