2011年3月11日。あの大震災に端を発した原発事故のあと、福島第一原発の周辺地域には避難勧告が出され、無人となった町には飼い主の帰りを待つペットたちが残された。生きているのか。死んでいるのか。水は、餌はどうしているのか。私はそこで何が起こっているのか知りたくてならなかった。知って、それを伝えたかった。――真実を知りたい一心で駆けつけたフクシマ。そこには、人知れず動物レスキューに取り組む女性たちの姿がありました。
著者・森 絵都さんが同行したのは“中山ありこさん”という40代女性。福井県で捨て猫の保護活動をしているボランティアです。ありこさんとその同志(ほとんどが40代の女性)は、退去勧告によりペットを置き去りにせざるを得なかった飼い主の依頼を受けて、立ち入り禁止の原発20キロ圏内でも保護活動を展開しています。
動物の屍骸に心を痛め、放射線量の高さに驚き、時に警察に追い回されたりもしながら、彼女たちはフクシマへ通い続けます。裕福でもなく、仕事を抱え、子育てに追われるごく普通の女性たちが、動物たちを助けたい一心で被災地に集まってくるのです。
彼女たちの活動は、行政の都合からすれば「違法」でしょう。しかし、放射線量の高い20キロ圏内に無償で入り、ペットを飼い主のもとへ返そうとする人々を、一体誰が責められるのか? 著者は取材を重ねるうち、彼女たちのバイタリティがどこから生み出されるのかを、考えるようになります。
本書はあくまでニュートラルな視点で事実を記してゆく作品ですが、その根底には、「ほんとうに正しいこととはなにか?」「人にとっての生きがいとはなにか?」という問いかけがあります。
生きることの意味を見失いがちな時代。多くの人々に勇気を与えられる作品と自負しています。
女優・東ちづる 『おいで、一緒に行こう』森絵都著
■無視できない壮絶な生と死
原発事故20キロ圏内には、犬や猫を飼い、牛や豚、鶏を育てるのどかな暮らしがあった。それがある日突然、飼い主たち人間の姿が消えた。
多くの動物たちは文句も言わず、誰にも看取(みと)られず力尽きて、餓死し、ダチョウやイノシシがさまようという、人間の枠組みを超えた生命力もはびこっていた。
新聞もテレビも報道しない、国が隠そうとする20キロ圏内の壮絶な生と死。なかったことにしてはいけない、と1年以上経(た)った今、改めて気づかされる。
もしかしたら生きていなかった命をレスキューする活動は、「おいで、一緒に行こう」というタイトルからイメージするほのぼのとするものではない。
警戒区域は放射線量が高い。その立ち入り禁止ラインを越えるため、ニッパーを手にするボランティアたち。といっても、フツーの40代女性たち。警察の目を逃れようとあの手この手だが、捕まることもあるのだ。
これは犬猫問題か、原発問題か、行政問題か、命の尊厳を問うものなのか…ルポをする著者がすべてをつまびらかにしてもいいものか苦悩するのも無理はない。
ボランティア活動というものは、葛藤の連続だ。なにがなんでもそうしたいというガッツと、愛情と、体力勝負だ。それでも心が折れそうになることもしょっちゅう。
彼女たちの原動力は“母性”という。私は20年近く、子供や人と関わる活動をしてきたが、原動力は義憤と怯(おび)えだと答えてきた。理不尽なことへの憤り、自分が少数派の立場になったときの怯え。そこに母性も加えたいかも。
見てしまった、知ってしまったら、動いているほうがいい! そこは全く同感。
そして帰着するのは、原発事故さえなければ、ということ。20キロ圏内の非常事態は、収束の兆しはない。
【愛犬の散歩で最低限注意したい4つの項目-2】
http://catulus.net/archives/5191