見渡す限り山のない、われらがさいたま関東ローム層。
その上を、我が物顔で吹きすさぶ、真冬の関東空っ風。
東北のマイナス2℃の世界より、ずっと冷たく寒く感じる、冬の暴れん坊将軍だ。
もともと好きではなかったが、さらに厭になる出来事があった。
そう。あれは確か、この冬一番の強風の日のことじゃった。
散歩中、その風にパニックを起こしたころが逃走、行方不明になってしまったのだ。
週末に無事去勢手術を終え、養生の日々を過ごしていたころすけ。
事前の血液検査でも健康面では太鼓判をもらっていたから不安はなかったが、回復ははやく、心配した精神面の落ち込みもほとんど見られなかった。
『なんかぼく、おしりがいたいんだよなあ』
というようなそぶりを見せることはあったけど。
去勢手術はとてもスムーズだった。
前日21時までに食事をとり、朝は水も飲まないで病院へ。
血液検査をして、問題がなかったため、そのまま預け、昼ごろに手術。
術後はしばらく病院で経過を見てもらい、夕方迎えに行った。
とろ~んとした様子で、初めて装着したエリカラにとまどい、あっちへ行ってはぶつかり、こっちへ行っては進めなくなり、と、やってることがまるで、徘徊が始まったころのこんちゃんみたいなのだった。
微笑ましかった。
手術で行ったであろう点滴のせいか、その日はずいぶんとおしっこが出た。
とっくに麻酔はきれているのだが、おしものコントロールが難しいらしく、おしっこはらまきが、替えても替えても、すぐにずっしり重くなる。
こりゃたいへんだ。買い置き分じゃ足りないかも?と心配したが、それは当日から翌日にかけての現象で、次の日からはいつもの状態に戻った。
当日は麻酔の影響で、吐いてしまう子もいるときいたが、ころは大丈夫だった。
1月に入ってから、なんだかいろいろあって、落ち着かない。
ちょうど先ごろ入院し、手術した義父は、翌朝高熱が出て、吐いてしまったという。
インフルエンザではないかと検査をしてもらったが、陰性で、あれは今思えば、全身麻酔の影響だったのかもしれない。
おかしいのは、犬のころの手術のときには、事前から当日まで、医師からしっかり説明をしてもらって準備が整っていたのだが、人間の義父のほうは、15時からの手術の予定が押せ押せで、手術室に入れたのは19時過ぎ、そこから2時間かかると言われ、昼から病院につめていた義母が、太郎ちゃん(犬)のお世話で一時帰宅をし、代わりに待合室に入った私は、交代してすぐの20時過ぎにはもう呼ばれた。
私は事情を説明し、自分は代打であることを告げたが、医師の説明はとても簡単で「すべて予定どおり」の一言で済んだ。
開腹手術なのに、びっくりするほどあっさりしていて拍子抜け。
メモをとる必要もなかった。(それについてはありがたかった)
ちなみにその二日後に義父は『予定通り』退院したのだが、あると思った医師からの説明はなく、お世話になった看護婦さんに、さよならバイバイ、と退院してきた。
多分、来週あたり、退院後はじめて診察を受けるので、医師とはそこで初めて、じっくり話をするのだろう。
予定通りといえば、入院前まではあった、義父宅近くの医院の雑木林が伐採されていた。
近くに複合施設が出来るので、バスターミナルが必要だとかで、その場所が選ばれた。
街道沿い、代々医者の家、邸宅というにふさわしい広い敷地に、きっと明治大正のころいやもっと以前からあったのだろう、いずれも空まで届きそうな大きな立派な木がそびえている。
小さな森はそのまま残す、という話だったが、わずかな木々を残して、道路沿いの大きな大きな木は、何日かかけて、なくなった。
「ああ、ずいぶん、風景が変わったねえ」
ちからない、かすれた声で、義父が言う。
急に空が広くなって、目新しいような、さびしいような、しんみりした空気が漂った。
この道はその工事の関係で片側通行になって、とても混んでいるから、よけて帰るほうがよかったが、なんだか見ておいて欲しかった。
話がそれた。
まあとにかく、人間以上に、じゅうぶんに安全性を考慮してもらい、細心の注意を払って、『たまたま』は無事、ころの体から離れた。
お迎えのとき、幾重にもガーゼにくるまれた『それ』を見せてもらった。
「あの子はこんなにかわいいものを内包していたのか!」
感動。まるで、白い砂肝じゃないか。
写真を撮りたい衝動をなんとか抑え、衝撃でなかなか頭に入らない説明を、どうにか叩き込んだ。
抜糸は必要ないらしい。1週間後に消毒をする、とのことだった。
「手術中、おしっこが出ましたね。大きいほうは、しませんでしたね」
そう。いつもと違う雰囲気を察したのか、あさんぽでは大きいのをしなかった。
「今朝出ていなくて、もしかしたら、手術中にしちゃうかもしれません、この子のうんこ、とても大きいので、出てしまったらすみません」
「あああ、そうですかあ・・・」
先生のこめかみに縦線が入った(そらそうだ)のを見て、これはなんとしても出さないと、と焦る。
血液検査のあと少し時間があったので、外へ連れて行(本人は終わった終わったと喜び開放感に包まれていた)くと、すぐに出た。
「出ました、出ました、もう出ません、きっと」
と言って、先生に託し、7時間後に迎えに行ったのだった。
待ってる間はそわそわしたが、オレコやこんちゃんの時とは違う。
健康100%の子を送り出すときの気持ちはこういうものなんだな、と、心の安定を与えてくれたころの健康を、ありがたく思った。
ころは、エリザベスカラーをつけて、ぼんやりした顔で、先生に支えてもらっていた。
病院の匂いをたっぷりまとって、傷口にガーゼをつけて。
薬を受け取り、お会計を済ませ、外に出る。
もう真っ暗だった。車に乗り込み、ゆっくりゆっくり運転する。
会社で待っていたオレコとオットをピックアップして、家に帰る。
途中、いつもの神社に向かい、ころとオットに待っててもらい、オレコとふたりでお礼参り。
車に戻って、またゆっくり運転し、駐車場に停車。
よかったねえ、がんばったねえ、と言いながら、家に入る。
術中、カテーテルを挿入していたので、喉に違和感があったり、咳が出たり、食べないかも?と言われていたけど、もともとが食いしん坊、朝ご飯抜きで頑張ったので、予想通り、がつがつもりもり残さず食べた。
食べ終わったら、その日はいじる様子もなかったので、エリカラを外し、いつもどおり、ゲージで寝かせることにした。
くうくうとよく眠った。
翌日からはほぼ、いつもどおりの様子を見せた。
数日分のおくすり(抗生物質と痛み止め)をもらってあったので、食事のときにピルポケットに包んで与えた。
本人はおやつをもらえたと思って喜んでいるから好都合だ。
おしりは痛いし、気になるけれど、なめたくてもエリカラで届かない。
ストレスがたまって大変なことになるかも、と予想していたけれど、意外にも、その状況を受け入れているようだった。
というより、エリカラの存在など無視して、やりたいことをやっていた。
できることは限られていたけれど、こたつにも潜っていたし、くずかごからティッシュを持ってきて、これ見よがしにカミカミしたり。
これもいつもと変わらないのだった。
傷口を気にして舐め始めたので、サークルを使うことにした。
このサークルは、こんちゃんが徘徊のピークを迎えた頃、いぶし君のおかあさんから頂いたものだった。
ヨガマットも、おむつも、いぶしくんが使っていたいろんなものを頂いた。
おかげでこんちゃんの最終シーズンは、それまでよりずっと快適になった。
きっと安心して過ごせたのではないかと思う。
2週間後、とても穏やかな、かわいい表情で、こんちゃんは、いぶし君のところに行った。
介護グッズはすべて、こんちゃんからころに引き継がれ、今も大事に、使わせてもらっている。
このサークルがあれば、エリカラをしていても、快適に、安全に過ごせる。お留守番の間も。
「柴犬はパニックになりやすくて、ベランダから飛び降りちゃう子もいるんだって」
そんなことを、いつかオットが言っていた。
「ふーん、そうなのー、怖いねえ、気をつけないとねえ」
何か家事でもしていたからか、そんな返事をしたきりで、あとからオットがいろいろ説明してくれたことはもう、忘れている。
ああそうだ。あれは、夏の日。
四国までころを迎えに行った時のこと。
早朝、リムジンバスで羽田に向かい、朝一番の飛行機で神戸に降り立ち、そこから長距離バスで四国入り。
鉄道に乗りかえて、小さな小さな無人駅で降りた。テレビドラマに出てきそうな、かわいらしい駅舎。思わす六角さんの姿を探す。
迎えの車に乗り、犬舎について、是非にとお願いして、本人に会うより先に、お父さんとお母さんに会わせてもらった。
黒目の大きい、愛嬌たっぷりの、素晴らしい雄犬がやってきた。
元気いっぱい綱を引き、ゆらゆらとシッポを振り、目を輝かせて、こちらを見ている。
「この子は、脱走癖があるので」
そうして、天井まで金網の囲いがついた部屋に入ったのを、外から見せてもらった。
知らない私にまで、おみみがヒコーキになっている。陽気でいい子だな、つい、微笑んでしまう。
三代続いたこちらの犬舎の子たちはいずれも、おおらかな、性格のいい子ばかりだと聞いていた。
ご機嫌のお父さんのあとから、美人のおかあさんが連れてこられ、この子はさらに、人なつこかった。
盛んにしっぽを振り、手をこまねいて、ねえねえ、こっちにきてくださいよ、と甘えていた。
お父さんに比べると小ぶりで華奢な体つきだったが、ふたりとも綺麗な赤柴だった。
本音を言うと、こんちゃんのような、背中の黒い胡麻柴に育ってくれたらな、と期待していたけれど、このふたりの子供なら、美しい赤柴に育つだろう。ところどころ、金色の毛が、キラキラ輝いていた。
ころは生まれたてからしばらくの間、黒っぽい、将来胡麻か?という雰囲気だったが、近頃では両親の遺伝子に従って、黒い部分が少なくなり、赤柴へと変貌を遂げていた。
仕方ない。
こんちゃんは一代限りの、私の運命の犬。何もかも同じというわけにはいかない。
それにしても、ああ、この子たちの子だったら、どんなにか愛らしい子に育つだろう。
みんなにかわいがられるといい。
そうして、2kgに満たない子犬を、フェレット用の籠に入れて、はるか西のシルト層から、東の関東ローム層へと連れてきたのだった(新幹線で)。
術後の経過もよく、もう普段どおりの暮らしだった。
このごろ骨格も筋肉もしっかりしてきて、体重も増え、実母のそれを超えた。
こんちゃんの(よりワンサイズ小さい)と同じメーカーのハーネスを装着していたが、あの子は一番元気なころでも、決してぐいぐい引くタイプではなかったし、脇の下から腕にかけての皮膚に問題があったのと、何より、重度の気管狭窄だった。
レントゲンで見た気道は、本来円形でなければいけないそれが、ジェリービーンズみたいにへこんでいた。
それが喉元から、胸のあたりまで、ずっと続いている。
本来なら難しい手術をしてなんとかしなければならないが、そんな手術に耐えられる腎臓心臓肝臓を、こんちゃんは持っていなかった。
「なんとかキープするしかないですね」
キープできない時は呼吸もできなくなるから、こんちゃんのいのちはそこで終わる。
自身もぜんそくだったので、呼吸できない苦しみはよくわかっている。
胸がギューっとつぶれるようだった。
首輪をきつく締められたあとも見受けられた。クビのあたりの毛が脱毛し、さわるとわずかにくびれもあった。
「気管狭窄の原因は不明とされていますが・・・首輪も原因のひとつと考えられています」
他の子の場合はわからないが、こんちゃんに関しては、先生の説明のとおりだったのではないだろうか。
十分に注意して暮らしたこともあるが、本人がもともと穏やかな性格だったので、パニックになることもなく、気管狭窄でのトラブルなく、余生を送った。
オレコは雑種ゆえに、クビから顔が独特の形をしている。
どんな首輪でも、すっぽり抜けてしまうので、それで最初からハーネスをつけていたから、こんちゃんも自然とハーネスをつけることになった。
そんなこんなで、ころも、首輪という選択肢ははじめからなかった。
もう少し骨格がしっかりしたら、オレコのと同じメーカーのハーネスを買おうと、商品もチェックしていた。
そしてそれは多分、あともう少ししたら、生後8ヶ月頃の予定だった。
順調な回復ぶりだったので、散歩は朝夕欠かさず行っていた。
腰を落とす時、おなかに力を入れる時に痛みを感じるのか、散歩のたびに毎回していたうんこは、
日に1度になっていたが、それも今日か明日には、もとに戻りそうな雰囲気があった。
そう、すべてが順調だった。
いつもの道を行く。
ごきげんでフムフムし、お手紙をかき、ゆっくりと歩いた。
お肉屋さんの前に来て、小さな花壇の花に鼻をうずめ、ころはお手紙を読んだ。
顔を上げたな、と思ったと同時、坂の上から突然、すさまじい、ひどい強風が降りてきた。突風だ。
のぼりがバタバタと大きな音をたててはためき、駐車場の看板がガタガタと踊った。
そのときだ。ころはパニックをおこし、いやいやをするように暴れた。
わたしは目にほこりが入ってあたふたしながら、それでもリードだけは離さないよう、握り直した。
ころは、ぴょんぴょんと、ミジンコみたいに跳ねる。あ!と思った瞬間に、ハーネスが抜けた。
まるきりはだかの子犬。時が止まる。
片目をつぶったまま、捕まえようと踏み出した第一歩で靴紐を踏んでよろけ、倒れそうになる。
ころが『おかあさんなにすんの!!!』とまたびっくり、飛んで逃げた。
ころは来た道をかけ戻り、私ははずれた靴紐を踏まないように走りながら、追いかける。
弾丸のように走り、大通りに飛び出して、車に轢かれそうになった。
追いかけながら、ああやめて!それだけはやめて!と、声に出さず叫ぶ。
なすすべもなく掌から砂が落ちていくように、ほんとうに無力だった。
ころは今日、死んでしまうのかもしれない。
夏の日、1日かけて迎えに行った、あの小さな、手の平に乗るような小さな子は、おじいわんになる前に。
こんなとき、普段たいして使っていない人間の脳というのは、一瞬で、いろんなことを考えるものだ。
涙など出ない。感情は追いつかない。頭が真っ白だ。
飛び出して、『くるまはこわいもの』とインプットした子犬は、自分で戻ってきた。
抱き留めて捕まえたかったが、パニックを起こしていたため、私をよけて、手前の道に折れ、走り去った。どんどん離されていく。丸くなって走る姿は脱兎のようだ。
(あいつ、脚、結構速いんだな・・・。たまたまとったばっかりなのに)
なんとか追いかけると、頭上、民家のベランダから、声がした。
白い家のおじさん「柴犬?あっち行ったよ!」
青い家のおじさん「●●の角まっすぐ抜けた!」
道を挟んだ向かいの家のそれぞれのベランダから、身を乗り出して、教えてくれた。
息切れしながら、頭を下げて、御礼もそこそこに、追いかけた。
そういえば、ここのところ、夜眠る前に、オレコに『風の又三郎』を読み聞かせていたっけ。
お正月、恒例の、東北ツアーを終えて、そのときに立ち寄った宮沢賢治記念館がとてもよくて、久しぶりに読みたくなった。
『やまなし』とか『貝の火』とか、あんまりかわいいお話なので、ちかごろいろんな面(ドラマ視聴とくに科捜研の女が好き)で人間みたいになってきたオレコなら、もしかしてわかるんじゃないか?、と、毎晩少しずつ読んで聞かせているのだった。
あいつ、端で聞いていたのだろうか。まるで又三郎みたいじゃないか。
おじさんズに教えられた道へ出ると、もう、ころの姿はどこにも見えなかった。
(次回へつづく)